自分史的なクリッピング資料

バイデンはどうなるのだろうか? ハリス副大統領は後継になれるのだろうか?ある意味、その国や地域のリーダーにはどうやら定年という概念はないらしいから、輝けるシニアの羨望の的になるのか?と考えると少々疑問も。英国も労働党が圧倒的に勝利した。保守党における政権運営が見事に覆される結果を招いた。日本に目を向ければ、田原総一朗の朝ナマも、秋からゴールデンタイムに進出(改編)されるみたいで、若年層の視聴も可能な時間なのだろうか。田原さんは間違いなくレジェンドの一人。でも90歳にまでなってもっと違う関わり方があるのではないか?と個人的には思う。例えば司会を別に立てるという方法も。出演者によって朝ナマは時折視聴してきたけど何せ夜中の番組なので、全て通しで観ているケースは少ない。時折舌戦が繰り広げられ、何せディベート方式なので、少々興奮されるゲストパネラーの方もいて、それがエンタメ的に面白いと思う瞬間もあるのかもしれないけどもう少しわかりやすい時間・議論を提供して欲しいなぁ。田原さんの仕切り方振も時に独善的に見えるし、パネラーに対する質問も抽象的な感じもすることが多い(要は、素っ頓狂に聞こえるものも多い)気がする、最近。

さてシニアも自分で活路を見出す必要がある時代になってきたのではないだろうか。総じて引退者には環境は厳しい。これまで定年を迎えた企業人にはその個々人が有する人的ネットワークを期待する若年層や企業も多い。至極当然だとも思う。でもそうした行為は、それを業務とするよりも、善意で行ってきたことを、成果報酬的に仕事としませんか?と言われても、なかなかはい、そうですかと首を縦に振ることも難しい。なぜなら、シニアが副業的な感覚で取り組むことは正直難しい。若い企業の方々は、少しでも速く、ムダを排除した形で、お客さん候補である企業などの意思決定権者とつながりたいという思いがあるのは必然。でもそれまで、善意で無報酬という形でなされてきたものが一挙にそれをタスクとして取り組む仕組みに変容するのかという話だからだ。

2024年4月27日 朝日 フロントランナー 聞く、書きとめる、理解する
「介護民俗学」実践者 六車由美さん

シニア自身での活路を見出さなければならないとしながらも、歳をとるという絶対的な時間制約の中で、老いをまだまだ若いと思いながらも考えることも必要だと思う。民俗学というテーマも個人的には興味があってこの記事を読んだ。

六車さんは、博士号まで取得された元大学教員。2009年からデイサービスセンターで働き始め、その後特養の老人ホームに移り、著書「驚きの介護民俗学」を読んだ介護関連の会社社長から誘いを受け管理者・生活相談員となられたとプロフィールに書かれている。

自身で管理するデイサービス「すまいるほーむ」では、利用者への聞き書きを実践されている様子。あくまで話してのリズムに合わせて、話し手の脱線なども軌道修正しない。話し手の労苦がとりとめもなく語られる時間を寄り添う形で。介護民俗学の聞き書きは、介護現場で使われる回想法とも傾聴とも違うらしく、相手の人生に関心を持ち、ただ聞く、書きとめる、理解するという姿勢らしい。

このキッカケは、自身がハローワークでヘルパー養成講座を知って、民俗学にとってお年寄りの話が聞けるということは自分の研究に大いにプラスになると考えたからだと。そして就職した介護施設で利用者たちの話に民俗学の宝物が詰まっていると感じたとある。一方話してにとっても共感したり、驚いたりすることで、自分自身の価値を再確認する意味があるのかもしれないと推察されている。業務として認めてもらって本を上梓し、その成果を講演などで発表したと。

当然利用者の中には、やたらと周囲とぶつかる人がいたりして、コロナ禍の労苦も加わり、心が折れそうになったこともあったと語られている。それでも「誰かとかかわる面倒な心地よさ」を思い出して立ち直ったとも。これは当事者じゃなきゃわからない感覚。

コロナ禍以降は、アウトプットにこだわらず、聞き書きを冊子にまとめ、未編集のまま利用者のご家族に渡すメモなどにしていると。このページの最後のまとめの方で、「戦後史を支えた市井の忘れ去られた人たち」の記録を残したいというのは民俗学の性だという一文がある。確かに高齢者の記憶をオーバーラップすることは少ない。亡くなった親父も酒が深まると、戦争の話をしていた。戦後は進駐軍に物乞いをしたこともあるとも言っていたし、そんな微かな記憶だけでなく、記録を残しておけばよかったなぁと思うこともある。

次ページのインタビュー形式の記事では、介護に携わったことで、これまでの民俗学の対象にはなかった話をたくさん聞き取ることができたとコメントされていて、回想法などは、どちらかと言えばテーマを決めて話し手の変容を促そうとすることに対して、民俗学では話し手の言葉をそのまま受け止めて理解することを大切にしているのでそれをメモに残していると。

今では介護民俗学を掲げた施設や、看護師や介護職員の人たちの間でもそれを勉強しようという気概にあふれているところもある様子。またデイサービスを始めてからは一対一での聞き取りよりも皆が集まっているところでの聞き取りを始め、周囲の参加者も含めて聞き取りを実践していると。確かに効率的で、開かれた聞き書きだと。スマホなども利用しているとあるのは、確かに効率的だ。アウトプットも冊子だけでなく、「思い出の味の再現」だったり、「象徴的なエピソードをすごろくやかるたに」したりする方法を見出して、その人の人生の更なる深堀りを可能ならしめたとおっしゃっている。

そしてコロナ禍では、皆で集まって聞き取りもしにくくなって、ひたすら傍に寄り添って、その話し手のありのままの過去をメモにしてご家族に渡したりして、普段聞いたことがないような話を新たなコミュニケーションのトピックスとして利用してもらえるようになったりと、その効果は大きいと感じていらっしゃる様子だ。生産性ばかりで人の価値を見出そうとするとこうした高齢者それぞれの歴史に目を向けることもなくなってしまうけど、その歴史には多様な怒り、喜び、悲しみがあることで、価値を見出すことができるかも知れない。そしてそれを話し手が意識できれば、人生の意味を感じ取ることができるかも知れない。シニアの意味を考えるにはいい記事だったなぁと思いつつ読んだ。



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