自分史的なクリッピング史料

2月に入って立春が過ぎたとはいえ、積雪を体験することになった。なんとなく毎年こんな時期があったのかなぁと思うも、雪景色自体は嫌いではない。でも通勤時のダイヤの乱れには辟易した思い出しかない。通常をはるかに超えた通勤地獄、想定外に遅い帰宅時間。そんな困難なとは別口だろうけど、限界的な困難に立ち向かう冒険家や登山家にまつわる本を読むのが大好き。何というかロマンというか壮大感を感じるからだと思う。

2018年6月30日 朝日 フロントランナー 登山家 花谷 泰広さん

標高4600㍍の氷河の上で、未踏峰パンカールヒマール(6264㍍)の初登頂を目指していた隊の隊長として臨んでいた時の会話で始まる。氷河を前にして、リスクを回避しながら全員登頂の可能性を探る。これは若手登山家養成プログラムの一環で、その花谷さんは指導にあたっている。その選抜の資格条件は「熱気、やる気」だそうで、非常に明確でありながらも、生命に関わる大きなリスクを伴う挑戦だけに、至ってシンプルな資格条件だと思う。

花谷さん自身は、1996年、ネパールの未踏峰ラトナチュリ(7035㍍)の遠征隊に参加しヒマラヤデビューを初登頂で飾ったという。大学卒業後も登山家として活動し、ヒマラヤやアンデスの高峰の難ルートを制して世界レベルの登山家になったとある。自分が何者になるのかわからない「漂流」でもあったと回顧されているが、正直に野心や功名心もあったと認めている。

海外遠征は、エベレストのような山ではなく、ひたすら7000㍍級の未踏峰か未踏ルートで、これは登山の本質である "未知への挑戦"  "困難への挑戦" を実践しているもの。"一番" 、"最高" という言葉に踊らされることなく、本質を見極めての挑戦こそ価値があるという意思だろうか。登山家マインド(冒険家マインド)や語られる言葉は参考になる。

受け継いできた技術や知識を次世代につなぎたいという心は善の心だろうか。でも大学レベルで山岳部離れが進み、知識不足により挑戦すらどうしたらいいのかわからないという状態のようで、その受け皿を自分が作るという気概でこのプログラムを構築した様子。

自分がリードしながらの登攀では意味がないと思った時、育成する若手にルートの開拓を委ね、無事に登頂した時の達成感も素直に語られている。自分が20歳の時に初の海外遠征でヒマラヤ登頂に成功した時の体験、先輩たちの
"志" を次世代につなぎたいという思い。今の企業組織でそのような育成は果たしてできるだろうか。全て机上で語られていることが多い気がする。

パンカールヒマールは2014年に登山が解禁された未踏峰で、写真といった情報もなく、想像力を逞しくしなければならなかった。ここに答えのないルート・道筋をつけるという思考や行動に大いなる極まりない楽しみがある。メンバーの選抜についても一緒に登山をしたら楽しいだろうなぁという勘が最終判断になったと言っている。そう、企業では、必ずしも自分と同じ意思や気概を持つ集団ではないことがほとんど。何故なら多様性という言葉に踊らされ、また最後は自分自身で覚悟を背負い込むことはしないから。

6000㍍級の登山では酸素ボンベは使わないため、最もケアしなければならないのは高山病。だから薄い酸素に体を慣らすことがとても重要。自分も富士山登頂を4年連続でチャレンジしたけど、富士山ですらも3000㍍を超えると空気が薄く、一歩足を動かすのに普段の10倍くらい時間が掛かった。ましてや6000㍍級となったらどうなるんだろう?と想像外。

花谷さんは、登頂成功の理由として高所順応と山岳専門気象予報士による好天予測をあげている。準備及びチームビルディング奏功し万難を配してわずかなチャンスを伺うという初動が "挑戦" には大事だということが分かる。一方で、登山は作られたプログラムではなく対自然との真剣勝負であり、ヒマラヤでは当然緊張の連続。ミスは許されない。仮に登頂に成功したとしても、また次に登るか諦めるかは本人次第とのことで、そこには自身の経験があってこその判断。そうした全てのことが貴重な人生経験になるはずだと確信していると。

花谷さん自身、メルー中央峰(インド)で墜落して左足の靭帯を切り、後に1年半登山ができずにいた時期があり、それから山岳ガイドの資格を取得し、甲斐駒ケ岳で山小屋を管理・運営しているそう。両親が営むレストランと共に、山全体で地域貢献できる術を展開していきたいという希望が語られ、この記事はまとめられている。

この記事全体を読んで、冒険とか登山に興味がない人にはちょっと遠い記事のように思われるけど、ここに出てくる"挑戦" という意味をちょっとでもいいから考えて欲しいなぁと思う。何せ極限での挑戦だから。因みに登山家にまつわる本では「狼は帰らず アルピニスト森田勝の生と死」を読んで登山への興味に導かれた。困難に直面した時、再読したい本の一つで大切に書蔵している。



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