自分史的なクリッピング史料

今朝、朝早くからの大きな爆音で起こされた、いや正確には起きがけに聞こえてきた。タクシーの自損事故だった(窓から覗いてしまった。野次馬根性丸出だけど、真っ暗な中、人身事故でなくて良かった。)

さて昨夜は、TV番組で年代別の音楽曲をランキング形式で紹介しているものを見たけど、懐かしいの一言。そうだったよなぁと自分のその当時の頃を思い出す。テロップに映し出される該当年を逆算してのことだったけど・・。

2023年1月8日 朝日 日曜に想う 強く優しく 歌声は静かに闘う

前年の紅白でAdoの「うっせぇわ」を聴いたという冒頭で始まる。流石に編集委員のコラムだけあって、言葉選びは優れている。

Adoの歌唱を「祭りなきコロナの時代のバーチャル神輿」と表現している。「リズミカルな反復を経て声そのものが肉体と化し、焦燥が多様なニュアンスをまとい、かすれ、唸り、聴く者の胸をえぐる」と。

半ば覆面シンガーの様相は、ビジュアルや私生活を抜きにして、歌唱というだけでその価値を世に問うという意志が現代的だという。自身の才能だけが世に伝われば他は関係ないんだ!という主張・メッセージは当世の若者世代の象徴的な心情かもしれない。昨日は今話題だという tuki の晩餐歌を初めて聴いて関心した。中学生でもこんな風に歌えるんだと。昔の昭和歌謡のアイドル・ソングとはだいぶ違うなぁ・・・、立派な大人の歌だなぁと。

中段からは筆者の思い出が始まるのだけど、上田知華の「パープル・モンスーン」の話になる。一節の歌詞をあげて。上田知華とKARYOBINは自分もそれなりに好きだった。初めて観たのはGINZA NOWという番組であったと思う。上田は楽曲提供も数知れず、松田聖子や中森明菜、今井美樹、南野陽子と当時のスターたちにも提供し、JーPOPの基礎的な役割を果たしたとも感じる。ピアノとバイオリンを駆使した楽曲演奏は印象的。

そんな上田の活動の中に、俳優の大方碑斐紗子がエディット・ピアフの曲を歌う公演のプロデュースを務めていたことが記されている。もともとピアフが親の愛に恵まれず、街頭でチップ目当てに歌っていたという生き様に大方自身はその境遇を重ねて歌唱したことがあって、それを聴いた上田が大方の歌唱の再現を願って大方を説き伏せその公演が実現したとある。

ピアフの生き様は、「あるがままの人生をひっそりと生き、微笑んで、ひっそりと世を去ってゆく」と表現されている。更に「名もなき人々の何げない日常を慈しむ大方のピアフは、商業主義の世界に息切れを感じていた上田の希望となっていた」と。今社会人や学生である若者たちにも息切れなどはないだろうか。「いいね!」はある意味で商業主義の象徴的なアイコンだから。

上田知華が2022年64歳で亡くなったというニュースを目にした時、そうかそんな年齢だったのだろうか?と疑問にも思ったけど、まだ64歳。そうか・・・でもとも思った。

この記事のまとめは、大量消費の時代の中で、表現者はそれぞれに闘いながら生きている、自分の信じた道、伝えたいこと、やりたいことを、信念を持って活動しているということに価値があるというまとめ。そしてそれを多く語らずとも自身の活動で他者に影響を与える。黙して語らず、行動あるのみ。そういう思いを持てればいいなぁ。

松田聖子は「瞳はダイアモンド」、中森明菜は「Dear Friend」が一番好きだ。そして上田知華は「メヌエット」かな。こうした名曲に救われる心もある。芸能の素晴らしさを実感しながら。

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