息子の朝の支度がめたくそ遅い。

5歳児の朝の支度がめたくそ遅い。

いやこれ全国の7割くらいの保護者が思ってる事かもしれんけど本当にイライラする。

毎日毎日毎日毎日「ご飯のあとはお着替え!」「いま何時か分かる!?」「ねぇほら遅刻しちゃうよ!」「はやく○○しよう!」「次何するんだっけ!」「あと○分で出るよ!」「(急に関係の無い遊びなどを始めて)今遊ぶ時間じゃないよね!?」「なんでまだパンツなの!?着替えは!?」「言われなくてもやって!?」「(着替えさせて~♡など急に甘えだす)→赤ちゃんか!赤ちゃんなのか!!!!」「いい加減にしなさい!!!!」

最終的に実力行使で無理やりあれしてこれして…おいおいなんでここまでブチ切れさせるまで分からないんだ本当に疲れるぜ毎朝毎朝。

叱られて泣いて登園というのはお互い気分が悪いからイヤに決まっている。
「はやく」って急かしてもあんまり意味ないとわかりつつホント早くして欲しい以外言葉が出ないくらい追い詰められてしまう。

なんでこんな風になってしまうかというと私が外に働きに出始めたのは大きい。それまでは在宅で仕事をしていたので、まぁ多少の前後は…最終的に9時とかまでには…登園さえすればなんとかなるし…って感じでダラダラしていた。

9時までダラダラしていた人が、この1ヶ月は7時半に登園しなきゃならなくなってる。そんなん無理ですやん……。息子も急には無理だよね、ごめんなさい。

基本的な生活習慣を身に付けさせる事。この課題には多くの親が手を焼いている。

2~3歳くらいまでなら、まだ赤ちゃんの延長みたいなもんだしな…着替えとか準備とか、親が手伝ってあげて、できたら「よくできました~(拍手!)」って感じなんだけど、5歳くらいになってくると、大体の事が「できる」が基本になってくる。

そうなると、「できるのにやらない」「スムーズにやらない」「さっさとやればいいだけの事を、やらない」という事象と、それに対する苛立ちが出てきてしまう。これがあと10年以上続く場合もあるんだと思うと気が重い。

「親なんだから大きな心で一つ一つ褒めて見守ろうぜ!」っていう気持ちと、「いや私が仕事に遅刻するから。褒めどころとか待ってられないから。それにもうすぐ小学生になったら毎朝どうすんねん。」という気持ちと。
全然本人に響かない虚しい怒声と。

これは一旦整理しないといけないぞって思って筆を取る。

自分の幼少期

私自身、そもそも子どもの頃から朝の支度が死ぬほどキライだった。

なんていうか自己肯定感低太郎だったので、まず生きるのがめんどくて、イヤイヤ生きていた。

なぜこの腐敗した世界に毎朝起きて繰り出していかなきゃいけないのか。I'm God's childか。

起きる所からムカついていた。早く起きろ!という母親の怒声で起こされて目覚めるのは最悪の気分で、朝という時間帯をまるごと憂鬱にした。布団から出たくないし、着替えもしたくないし、食事もしたくないし、学校も行きたくないし、親の声も顔も何もかもがイヤで、世界の全てに最低最悪に苛つきながら明日もまた日が昇る。

小学校高学年から成人するまで10年くらいは特に、朝が苦しかった。(渋々起きて学校に行ったら、日中はとても楽しく過ごせるので、学校がイヤとかではない。園や学校の方がイヤという人もいるかもしれないよね。)

その幼少期は私のものであり、過ぎ去ったことだからどうでもいい。
問題はここで感じていた全てのことを真逆にしてクリアしてかねばならないと感覚的に思う。つまりこうだ。

私の思う、「朝気持ちよく支度する条件」

1、怒声で起こされたくない
(爽やかに自分の意志で目覚めたい)

2、布団からはつらつと出たい
(寒い部屋が無理)

3、朝食を選択したい
(私は少食だったので、朝からガッツリした食事を用意されるのが苦痛だった。パンやシリアルが好きなのに、朝食は絶対にしっかりとお米食べないといけない教の母親の元に生まれてしまった)

4、登園(登校)したくなる気持ちが大事
(これに関してはそもそも私も息子も学校・保育園が好きなので一応問題はない。ここで通い先に問題がある場合はそちらの解決がなによりの課題になりそう)

OK、一つづつ解決していこう。

1、怒声で起こさない。

基本的に息子が自然に目覚めるまで待つ。しかし冬になると睡眠時間が長くなるようで、夜きちんと9時に寝ても朝7時になっても全然起きてこない時がある。(夏場は6時台とかに勝手に起きてるので季節ごとに違うんだな…。)

そういう時は菓子で釣る。幸い12月にはアドベントカレンダーというものがある。「アドベントカレンダー今日の分開ける時間だよ!」と声を掛けると、お菓子が大好きな息子はハッと目を冷ましてダダダとリビングに駆け下りてくので助かる…。

後述するが、11月と1~2月はポケモンパンのシールに頼るしかない。要するに「起きるモチベ」=「現実の朝の世界へ繰り出すための心理的楽しみ」が必要なんだなと思う。

2、冬に布団から出るハードル。

これ大人でもめちゃくちゃ分かると思うけど、とにかくあったかい布団から寒い部屋に出るのは嫌なものだ。部屋をきちんと暖めておくことで解決。暖房を絶対にケチらない。

3、朝食を本人に選択させる。

息子はポケモンパンが好きだ。ポケモンも好きだし、シールを集めるのが好きだ。

毎朝ポケモンパンを食べてるというと、夫や実母から「虫歯になるのでは」とか「朝からそんな菓子パン一つで不健康だ」「量が少ない」とか言われるけど、私は自分が少食でパン一つでいい(むしろ朝から胃を動かすのが不快だし午前中消化に時間がかかって本当に無理だった)ので、それは本人がそれでいいという量でいいと思う。本人が希望すれば追加で食パンやフルーツ等を出す。

虫歯が気になるならさっと歯磨きかうがいしとこう。

で、前述した通り、朝食がポケモンパンだとシールを開封するという楽しみが起床のモチベになるので、このメリットは何より大きい。

たまにポケモンパンを買い忘れるとそれだけでグズったりするから、朝のグズり回避と思えば少々割高な出費も必要経費だなと思う。

それからたまに買い物で息子がシリアルとかを欲しがったら絶対買う。朝は息子が食べたいものを食べるんだ。

4、登園したくなる気持ち。

これについて最初は毎朝その日の給食やおやつを読み上げていた。

「わぁ、今日のおやつは貴方の好きなゼリーだよ!よし保育園行こう!」って感じで。

でも息子は食にあまり興味がないので給食のメニューにあまり反応しない。おやつの時間は遠すぎて想像しづらいのか、一瞬顔がほころぶが、着替えの手が止まったり毛布にくるまったりするのは改善しなかった。

結局、それだけで登園しようってほどでもないようなので、割と早めに面倒で読み上げるのをやめた。

園でのイベントがある時はラッキーで、「今日サンタさんが来るよ!」「今日はやきいもの日だよ!」「今日は調理実習でクッキーを作るらしい!」とかなんか楽しそうだと絶対動いてくれる。

毎日イベントがあるわけではないのでたまにしか使えないけど。でもこれで動く気になるってことは、やっぱりモチベって大事なんだなってことを定期的に確認する。

あとは晴れの日は園庭で遊べるね!公園までお散歩じゃない!?虫探ししてみたら?とか、雨の日はこないだの塗り絵の続きしてみれば!?レゴで新しい作品作ってよ!とか、なんとか、園での遊びを中心に楽しいことを想起させてなんとかモチベを作っている。

ここまで書いておいて確信したけど、私は既にかなり頑張って解決努力してると思うんですよ。

それでも改善しないので次の段階に進みます。

息子の気持ちを引き出すまで

今までのは言わば、「私」の解決策だった。私が生きてきて、私が感じてきた事を基準に、物事を考えてしまっていた。

それである程度は正解に近づくことはできると思うけど、息子自身へのオーダーメイドの解決法ではないと気付く。そこで息子への綿密な聞き取り調査が始まるのである。

なんせ息子は5歳になったばかりだ。まず思ってる事を言語化して人に何かを説明するという能力がバリクソに足りない。
びっくりするほどにそのノウハウが無い。5歳…5歳か…。確かに私も5歳の時はそんな能力なかったぜ。

でも私の親がそれを込みで会話してくれた事もなかった。私が言いたくても言えないこと、何か思ってるのに言えない事があるとき、私は泣いてしまって「泣いてちゃ分からん!どうせ○○だと思ってるんでしょ!はいはい!もういい!」って感じで、何も伝わらないことは親の勝手な解釈で勝手に終わらせられて、子供心なりに「それは違うんだけど何をどう説明したらいいのか分からない…」という状況に常に陥っていた。

これは物心ついてから25歳くらいになるまでずっとそうだった。

自分の気持ちをきちんと整理して言語化して伝える事、またその必要があるとはっきり気付いて必死で訓練し始めたのが25歳位なんで遅かった。

もっと早く教えてほしかったが、私の親にはそういうスキルはなかったので自力で習得していった。せめて自分の子には是非生きやすくなる近道を教えて行こう。

ということで5歳の息子に「なんでもいいから気持ちを言葉にして口に出して行こう」と教える所から始まった。

と言ってもそれもいきなりは難しい。こっちが気持ちや状況に一つ一つ名前を付けて行く所からだ。

例えば息子が泣いてしまった。何故泣いているか。

その涙は悲しい?悔しい?怒ってる?どれに近い?と選択肢を掲げる。これを選択式引き出し法と呼ぼう。

選択式引き出し法はこちらの語彙が試される事や、本人の状況にドンピシャで当てはまる選択肢が無かった場合に選ぶのが困難かもしれないが、一度の質問で終わらせずにいくつもの選択肢の階層を重ねていくことで、少しずつ進路を修正して「もっとも近しいと思われる答え」を出していくので、精度は悪くない。

(もう少し年齢が進むと、こちらが怒りに任せて威圧的に質問を繰り返す状況から抜け出すために嘘の回答やだんまりで通されるかも…などリスクは考えられるが、ひとまず今我が家では有効な手段である。)

で、息子が泣き出すとき、殆どの場合「悲しい」が多い。

朝の支度でも主に「悲しい」を感じていた事が判明した。そして「何が悲しかった?自分のこと?お母さんのこと?保育園のこと?」「お母さんのこと?おかあさんの態度?言葉?言い方がいやだった?どの言葉がいやだった?」などと選択肢を進めて行く。

これにより、なんと悲しいの主原因は「私(母親)が怒っていること」に集約すると突き止めた。

なんてこった。これは朝の支度の本質以前の問題で、私が怒る→そのセリフの内容で悲しくなる→朝の支度に関する解決策は分からないまま毎朝同じことが繰り返される、という状態ってことだ。だめなループでしょうこれ。

割と日本語が通じていなかった問題

私は朝、息子を叱ったあとに泣かれると、もしかして朝の支度が思ったようにできない事が本人も悔しくて泣いてるのかな~?とか想像してたいた。

でもこれはかなり見当外れで、悔しさは全く感じていないと言う。それどころか、そもそも「何故支度できないことでこんなに叱られるか」を、わかっていない段階らしい。

そこからというのは、なんか思ったより届いて無かった。

毎朝毎朝、「遅刻しちゃうよ」「遅刻するとこんな不都合な事が起こるよ」とデメリットを聞かせ続け、「遅刻しないように支度をしよう」という基準を刷り込みまくっていたし、息子もそこのところは結構理解していると思っていた。

でも子どもって、わかってるようでやっぱりわかってないと言うか、一つの点と点(原因と結果)がわかったとして、線は引けるけど、複数の線を面として認識していくのがまだできないんだなぁと思う。つまり

1遅刻したらこんな悪いことがある(遅刻はだめ)

→2だから朝のお支度を手早くしよう

→3そうすれば遅刻をしないで済む

という流れが私なりの一番シンプルな主張。

息子はこの3項目を一つずつは日本語として理解できる。しかしその「1,2,3のステップをつなげる」がうまくできていなかった。

その「つなげる」を阻害している原因が、なんと実は「ことば」だったのだ。
意味わからないでしょう。
私は割と意味がわからなかった。
事項で説明していく。

通じているようで通じてないことば

どうでしょう、身近に小さい子がいるみなさん、5歳位って。普通に会話できる子が多いのでは。
それこそ日常会話で全く困らないレベル。
口語は殆どの場合問題ないはず。

文字の方は?ひらがなの読み書きを覚える頃で、早い子はカタカナ、数字なんかも大体読めたりわかってきてるなーって。
就学前だから、そういうの理解してる子してない子は色々段階的にいると思うけど、まぁ、まぁ、大体…なんとなくは…ですよね。

うちの子あまりお勉強に力を入れてないんで、興味を促しつつ教えられる時は教えて…ってしてるけど、結構理解しててすごいと思う事が増えて、そんなに心配はしてなかった。

保育園で、「時計の針が”6”になったらお片付けでーす!」とか声を掛けられて、それに従ったりもしてるんで、時計の読み方も完璧にはわかってないけど、数字の読み方がわかってるからなんとなく指示には従えるという感じ。

そういう感じなもんで、家でも7時半に家を出たい時に「長い針が6になったら出なきゃだからね!それまでにお着替えだよ!」って感じの声かけをしてて。

一応「時計の7時半が読めなかったら、アレクサに”あと何分?”とか”○分後にタイマー”とか、そういう機能を使ってね」とかで補佐を教えて「うん、わかった!」って返事が来て、アレクサへの指示も普段から問題ないんで、「よしよし、理解できてるな」ってホッとするんだけど。

でも実際に見てると朝の支度でほとんど自発的にそういう補佐機能は使ってないし時計をチラチラ見たりしていない。 

これに関しては私は今までずっと習慣付いてないからかなぁと思ってたんだけど、息子に深く深く質問を繰り返していくと本当に根本的なことに気付くんです。

ああ、この子「時間の概念」をそもそも理解してないぞ、と。

盲点だった。
そう、時間とは何か、まずそれがわかってない。

とても基本的で簡単な、1年は365日で、1日は24時間で、1時間は60分で、1分は60秒で、それは全世界全人類平等に進行して、皆それ基準に生きているということ。

これくらいは誰でも知っているという前提を持ってしまっている自分に気付いた。
しかしよく考えたらうちの5歳児にはそんな前提がまだ作られていない。

5歳児でも一応誕生日は1年に1回って知ってる。
寝て起きて1日も感覚的に知ってる。
1時間は…どうだろう、仮面ライダーの映画1本くらいって言えば分かるかも。
1分…数字の60まで数えようと思えば数えられる。

さて、こうしてひとつひとつの単位は分かるけど、それらが繋がって1秒が1分になり、1分が1時間に、1日に、1年に、という連続性を持っていることに、果たして真の理解が及んでいないのだ。

我が子がこういう「ひとつひとつはわかっているけど、それをつなげて大きなものとして認識していくこと」ができていないと、本当に今日、すごくはっきり気付いた。

何故これに気付けなかったんだろう。それは言葉が(特に口語が)通じてしまっているからに他ならない。ひとつひとつの場面では理解してるから安心して、そこで物事の理屈を掘り下げるのを忘れてしまっていた。

こっちの出す指示や考え方が連続的になっている場合、要素をうまく繋げる処理ができていなかった。特に時間の事、時計の事を言われると、1時間というのがどういうものでどれくらいなのかが非常に漠然としてるので、家を出る1時間前に起きたとしてもどんなペース配分で支度を進めて行ったら良いのかという理屈にたどり着けない。

時間概念の理解度が低い状態がすべての元凶だということに気が付くまで、とても長かった。

(ちなみに保育園で時計を基準に動いてると思ってたのは、あくまでも周囲全体の動きを見たりして空気を読んで動いてるに過ぎなかった)

そんな子に

「1時間で支度をするよ!」と言っても、

「わかってる!(わかってない)(わかってないけど1時間て言葉は聞いたことがあるからわかるぞ!)とにかくえーと、支度をすればいいんでしょ!時間はある!(本質をわかってない)」となり、

→30分後「全然進んでないじゃない!」と指摘すると

→「(30分ってなに?どんくらい?)わかってる!!(わかってない)支度すればいいんでしょ!」

→「あと10分だよ!」

→「(10分てなに?どんくらい?)わかってる!(わかってない)支度するする!」

→「ちょっと!もう出掛ける時間だよ!!!!(←爆発)」

→「責められた、叱られた、悲しい」

→明日もこの繰り返し

ちょっと書いてて意味がわからなくなってきた。
つまりわかってるのにわかってないんですよ。

本質を理解してないのに言葉が通じてるってのはこういうこと。

理解してないのに表面だけ伝わったように見えるから齟齬が生まれる。

えっなにこれ怖い。

どうやって本質を理解してもらったらいいのか全然わからないけどこの伝わらない怖さって育児してると結構出てこない?それがもう怖い。

自分の頭がいいわけじゃないからこれどうしたらいいのか全然わからんぞ?とかやってるうちに子どもも生活の中で少しずつ頭が良くなってって、ある時急にひらめくように「本質を理解した」って瞬間が来ると思うのよ。
自分のときだってそうだよね、教科書で文字で習ってた事がいきなりピンと来て頭に入って「あーはいはい完全に理解した」の状態になって、その方程式をそこから手足のように使えるようになる瞬間が。

あれ、あの瞬間って意図的に呼び起こせるのかな。
少なくとも私はこれは本人のひらめきの才能とか、学ぼうとする意欲を削がない事が大事だと思っている。つまり今ここでひらめけ、理解しろ、と5歳児の脳に色々と説明をぶっ込んでも、わかってくれるかどうか、分からない。

とりあえずアナログ時計をじーっと見詰めて1秒の積み重ねが1分になるって所から始めようと思ったってことです。
朝の支度をするために。

うーん嘘だろ……めんどいけど頑張るわ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?