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彼女が俺に隠しごとをしている件 第2話

彼氏が私の浮気を疑った件


桜子さくらこあのさ。浮気、とかしてないよね?」

 ……智明ちあきくんに浮気を疑われた。

 悲しくて。
 苦しくて。

 「ごめん。今日はもう帰る」
 私はそう言って、彼の部屋から飛び出した。

*****

 友人の紹介で知り合った智明くんとは、1年くらいのお付き合いになる。

 初めて会った時から、不思議なくらい気が合って。
 考え方や好きな物が同じことが多いこともあって、一緒にいて居心地がいい。

「桜子。今度一緒に旅行、行かない?」
 智明くんにそう言われた時、凄く楽しみだった。

 ある日、旅行先のことを自分の部屋のノートパソコンで調べていた時のこと。

「ペアアクセサリーの手作り体験ができるお店?」
 なんか気になる。

(そういえば私たち、お揃いの物って何にも持ってないんだよね……)
 旅行中に2人で作ったら思い出にもなるし、いいなって思った。

「あれ? でも……」
 そのお店のサイトを詳しく見ると、手作りできるアクセサリーは指輪だけのようだ。

 見本の写真を見たら、シンプルだけど私好みのデザインだった。
(ファッションリング……だけど)
 指輪が欲しいって私が言ったら、智明くんはどう感じるかな……?

*****

 数日前、夕食の時。
「そうそう。今度、従妹の麻由ちゃん結婚するんですって」
 お母さんが言った。

「麻由ちゃんが? それはおめでたいね!」
と、私。
「へー、そうなんだ」
と、お兄ちゃん。

「確か桜子の2つ年下だったわよねえ。……ところで桜子はそろそろ、どうなの? 結婚とか」

 ……ああもう。またその話。
 私は今年30歳。
 お母さんが心配しているのも知ってる。

 最近は会話に『結婚』的な話題をちらちらと織り交ぜてくる。

 ちなみにお兄ちゃんはもう結婚が決まっているから何も言われない。

「他所は他所、うちはうち。小さい頃にそう言ったの、お母さんじゃん」
「そりゃそうだけど……。いや、それとこれとは別……」
「とにかく! 私は私のペースがあるの! ご馳走様!」

 私はさっさと話題を切り上げて食べ終わった食器を片付けて部屋に戻ろうとする。

「母さん……。心配するのも分かるけど、そっとしとけば? あいつもいい大人なんだし」
 リビングのドアが閉まる前に、お兄ちゃんの私をかばってくれる声が聞こえた。

*****

 ――私はその時のことを思い出しながらベッドに仰向けに寝転んだ。
(……今が幸せならそれでいいって考えじゃ、ダメなのかな?)

 私は智明くんが好きで、いつか結婚できたらいいな、とは思ってる。
 でもまだぼんやりとしか考えられない。
 もっともっと、恋人らしいことをしたい。

(……私が呑気すぎるのかな?)
 私はため息をついて、目を瞑った。
(それに、智明くんに重いって思われるのも、ちょっとだけ心配なんだ……)

 私は目を開けて、むくっと起きた。
 もう1度、ノートパソコンの前に座る。

 とりあえず、体験には申し込んでみようかな。

 予約フォームをクリックして、希望日時を確認する。
(あれ? 予約がいっぱい……?)
 どうやら、ペアアクセサリー手づくり体験は人気らしい。

(あ、でも、キャンセル待ちができるんだ……)
 私はカタカタとキーボードで必要事項を打ち込んで、キャンセル待ちを申し込んだ。

*****

 キャンセル待ちを申し込んだものの、すぐ次の人に決まってしまうことが続いた。
(キャンセル待ちも結構いるのね……)
人気っていうから当然だけど。

 旅行は1泊2日。その内の限られた時間の枠にしか申し込めない。
 私は諦めきれず、チャレンジし続けた。

(……もし予約できたら、智明くんにちゃんと話そう)
 それで智明くんが「指輪はちょっと……」って言ったらキャンセルすればいい。
予約したい人はいっぱいいるんだし、お店の不都合にはならないだろう。

 私は智明くんには内緒にしたまま、スマホの方でも何度か予約やキャンセル待ちにチャレンジした。

 でも落選の通知がくるばかり。
 ため息が出る。

「スマホ気にしてるみたいだけど、何かあった? 大丈夫?」
 智明くんが心配してくれた。

「え? 別に何もないよ?」
 理由を話せていない私は、つい誤魔化してしまうのだった。

*****

 そして今日。
 一緒に夕ご飯を作って食べながら、旅行の話をしようということで、私は智明くんの家に行った。

 私が作った親子丼を好きだって智明くんが言って、おいしそうに食べてくれる。
 ……嬉しいな。
 
 食事が終わってコーヒーを飲んでいた時、スマホにメール着信があった。
 体験申し込みの結果メールだと思って画面を見ると、別のショップからのダイレクトメールだった。

(なんだ、違った……)
 私はそっとため息をついて、バッグの中にスマホを入れた。

 それを見ていた智明くんが、飲んでいたコーヒーをテーブルに置いて私に言った。
「桜子さ、俺に何か隠してない?」
「えっ? どうして?」
 私はちょっとどきっとした。

「だって最近、スマホばかり見てるし。それに、俺にスマホの画面を見えないようにしてない?」

 私はバッグの中のスマホを見た。
(……話すなら、今がチャンスかも! 『旅行でペアアクセサリー作りたいの』『指輪なんだけど、どうかなぁ』って)

 私は智明くんを見た。説明しようとして、ふと不安になる。
(智明くんに、結婚を迫ってるって思われたらどうしよう……。重いって思われたく、ない)
 私はどう説明したらいいか考えながら、自分の膝の上で組んでいた手に目線を落とした。

 そしたら、智明くんが言った。
「あのさ。浮気、とかしてないよね?」
「えっ!?」
 私は驚いて顔を上げた。

「智明くん……。私のこと、疑ってるの?」
「じゃあさ、俺に見られたくない内容の通知って、どんな理由があるか教えてよ」

(浮気じゃないって説明しなきゃ……。でも、こんな形でこんな風に打ち明けたくなかったな……)

「……旅行の時」
「え?」
「旅行の時に、行きたい場所があって……」

 泣きそうになるのは我慢して、お揃いの物を持ってないから、ペアのアクセサリーを作りたかったと伝えた。

「……なんで内緒にする必要があるの? そう言えばいいじゃん」
 智明くんの視線が痛い。

「だって、ペアのアクセサリーって指輪なんだよ? そういうの欲しいって言ったら、重いって思われないかな、って……」

 私は智明くんの方を見ないまま続けた。

「今年30歳になるし、親や周りからは結婚はどう? って聞かれるようになって。私はまだあんまり意識してないって言うか……。でも指輪が欲しいって言ったら、智明くんがどう思うか怖くて……」

 智明くんがはっと息を飲んだのが分かった。

「桜子……。俺、ごめん。あの……」

 でも私は、悲しくて。苦しくて。

「……ごめん。今日はもう帰る」
 私は、彼が何か言う前に部屋を飛び出した。

*****

 ――家までは電車で20分。

 車内は少しだけ混んでいたので、ドアの近くに立って窓の外を眺めた。
 遠くに近くに、家の窓から漏れた灯りが後ろへ流れていく。
 その景色がぼやけた。

(……泣かない……!)
 さっきの智明くんとのやり取りを無理やり頭の片隅に追いやる。

 電車を降りて改札を抜けて、俯いたまま早足で家へと急いだ。


 家の玄関に入ると、ちょうどお風呂から上がって、肩にタオルを掛けたジャージ姿のお兄ちゃんを目が合った。

 後ろで玄関のドアが静かに閉まる。

 お兄ちゃんが目を丸くしていた。
「あれ? 桜子お帰り。遅くなるんじゃなかったっけ?」

「……お兄ちゃぁん……!」
 私は玄関に立ったまま、ぼろぼろと泣き出した。

「ちょっ! どうした桜子? ……とりあえず部屋に行きな。なんか飲む物持ってくから」
 お兄ちゃんに促されて、私は泣きながら自分の部屋に入った。


「桜子? 入るよ。……ほら、ココア持ってきたから」

 フローリングに置いたクッションに座って、ベッドに伏せていた顔を上げると、お兄ちゃんがドアを開けてカップを2つ持って部屋に入ってくるところだった。

 私は涙でひどい顔をしてるに違いない。でもお兄ちゃんは何も言わなかった。
「……ありがと」
 私はテーブルの方に体の向きを変えて、お兄ちゃんからカップを受け取った。ミルクココアの甘い香りが鼻に広がる。

 両手で持って一口飲む。甘くて、おいしい。
 温かくなった心から、また悲しい気持ちがまた溢れてきて涙が流れた。

「……」
 お兄ちゃんは私が話し出すのを、自分に淹れたコーヒーを飲みながら静かに待っていてくれた。

 私はカップをテーブルに置いて、カップに両手を添えたまま話し出した。

「……あのね。智明くんに私が浮気してるんじゃないか……って、疑われて……」


「なるほどね……」
 私から事情を聞いたお兄ちゃんが、コーヒーを一口飲んだ。

 いつもはお風呂上りにはビールと決めているお兄ちゃんが、アルコールを呑まずに私の話を聞いてくれている。

 ありがとう、ごめんね。お兄ちゃん……。

「……私は智明くんと行く旅行、凄く楽しみだったんだよ? それは分かってくれてるはずなのに……。浮気してたらこんなに楽しみになんてしないよ……」
 私は側にあったタオルで顔を覆って呟いた。

「桜子……。『分かってくれてるはず』って思ってるのはお前だけで、彼は『分かってない』かもしれないよ」
 お兄ちゃんが私の頭にポンと手を乗せて優しく言った。

「男ってさ、察するのが苦手なんだ……。まあ俺の持論でしかないから、お前の『智明くん』は違うかもしれないけど」

 お兄ちゃんはコーヒーを一口飲んで続ける。

「女の人はさあ、察するのとか空気感とか読むの得意だろうし、上手いと思うよ。でも男はさ、分かんないんだ……そういうの」

 それで彼女の機嫌を悪くさせることがいっぱいあるらしい。

「『普通分かるでしょ!?』で言われるけど、俺は『普通』に分からないんだよな……」
 お兄ちゃんが顎のあたりをぽりぽりと指で掻く。

「とにかく、お前がちゃんと言葉にして伝えてないのに『分かってもらえなかった』って彼氏に対してがっかりされると、同じ男として不憫っていうか……」
「……」
 私はタオル顔に当てたまま、目線だけをお兄ちゃんに向けた。

「桜子。彼とずっと一緒に居たいなら、お前の方も努力が必要だよ? 彼を手放さない努力、な。ちゃんと納得いくまで、彼氏と話し合いな」

「……でも話し合った結果、呆れられたり、重いって言われたら? それが怖い……」
 また涙が溢れてきた。口元に当てたタオルに涙が染み込んでいく。

 すると、お兄ちゃんが腕を組んで強く言った。
「そんな深く考えずに発言するような男に、桜子はやれないな!」

「……それお父さんとかが言うセリフ……」
 私は泣き笑いになってしまった。


(手放さない努力、か……)
 そんなこと、今まで考えたことは無かった。

 私は智明くんが好き。好きだから今こんなにも悲しいんだよね。
 智明くんと一緒にいると楽しいし、凄く幸せって思える。

 順調だったのは運が良かっただけ?
 それって実は奇跡的なことなの?

(奇跡? ……奇跡で終わらせたく、ない)

 私はタオルで涙を拭いて顔を上げて、お兄ちゃんに笑顔を見せた。
「お兄ちゃん、ありがと。私、智明くんを手放さない努力、してみる」
「おう。頑張ってこい」

*****

 次の日。
 泣き疲れたのか、ちょっと寝坊をしてしまって、智明くんに連絡できなかった。

 お昼休みの時間、スマホで智明くんにメッセージを送る。
『昨日はごめんね。私、智明くんとちゃんと話したいんだけど、いつなら空いてるかな?』

 智明くんからの返事がすぐに来た。
 彼もちょうどお昼休みだったのかな。

『今日がいい! 俺も桜子にちゃんと謝りたい!』
『じゃあ今夜ね。智明くんの部屋、行ってもいい?』
『いいよ。待ってる』

 智明くんとのやり取りが終わると、私はふう……と息を吐いて窓の外を見上げた。
 今日はいいお天気だ。爽やかな青い空が広がっている。
 
(よし! 頑張ろう!)

*****

 夜になって、智明くんの部屋の前でインターホンを押した。

 間もなく『はい』と言う智明くんの声が機械越しに聞こえてきた。
「……桜子です」
 私がインターホンに話しかけると、すぐドアが開いて「いらっしゃい」と智明くんが部屋に入れてくれた。
 「……お邪魔します」
 ちょっと緊張しながら部屋に上がる。

 リビングで、なんとなくいつもの所に座る。
「……」
「……」

 沈黙で気まずい雰囲気の中、智明くんが私の前にコーヒーを置いてくれた。
「どうぞ」
「ありがと……」

 そしてまた沈黙。
 ……私は、よし! と心の中で気合を入れて、彼に向かって頭を下げた。

「昨日は、ごめんなさい!」
「昨日はごめん!」
 2人の声が同時に部屋に響いた。

「えっ……?」
「えっ……?」
 私が思わず顔を上げると、驚いている智明くんと目が合った。

 智明くんがぷっと笑い出す。
「……ははっ。俺たち息ぴったりじゃん」
「ふふっ。ホントだね」
 私も笑ってしまった。

 智明くんが、ふう……と息を吐いて真面目な顔で私を見た。
「桜子、ごめんな。俺に言わないことがあるからって、浮気を疑うのは短絡的だったよ。……ホントごめん」

 私は慌てて首を横に振った。
「謝るのは私の方だよ。智明くんに重いって思われるのが怖くて内緒にしてたのは私だし。けど……。」
 私は大きく、はああ……、とため息をつきながら両手で自分の顔を覆った。

「まさか、自分が浮気を疑われるくらい挙動不審だったとは思わなかった……」
 恥ずかしくて、顔も耳も熱くなっていく。

 智明くんが私の後ろに移動してきて、両腕で私の体を包み込んでくれた。
(……温かい。智明くんの腕の中、なんか安心する……)

「あの、さ」
 智明くんがぽつりと話し出した。
「ペアの指輪は……さ。変に将来を意識し過ぎて、俺が挙動不審になりそう……。だから、今回はごめん……」

(全然気にしないのに……)
 私が智明くんの腕にそっと触れると、智明くんがぎゅっと抱きしめてくれた。

(挙動不審な智明くん、かぁ)
 私は想像した。日常生活の何気ない言葉に敏感に反応する智明くんを。

(刑事ドラマとか観てて、『血痕』ってワードにもびくってなったりして……)
 そんなマンガみたいな展開を想像して、くすくすと笑ってしまった。

「……何?」
「ごめんごめん。なんか挙動不審になってる智明くんを想像したら……」
 私は智明くんに悪いと思って、なんとか笑うのを我慢しようとしたけど無理だった。

「私といる時ずっと、智明くんがそんなだったら、私の方が『重っ……』って思っちゃいそう……」
 笑い過ぎて目に溜まった涙を人差し指で拭いながら、私は後ろの智明くんの方に向いた。

「私が欲しいのは、智明くんとのお揃いの物。今回いいなって思ったのが、たまたま指輪だったから話がややこしくなっちゃったね。ごめんね」
 私がそう言うと、智明くんがはあー……と息をつきながら、私の肩に顔を埋めた。
 ……ちょっとだけ首筋がくすぐったい。

「よかった……。まじで別れ話切り出されたらどうしようって心配した……」
「私だって、昨日逃げるように帰っちゃったから、嫌われたらどうしようって心配だったよ……」

「桜子……」
 智明くんが顔を上げて、私の頭の後ろに手を添えた。
 彼の顔が近づいてくる。

 私はそっと目を閉じた。


 ぐう~。


 突然、お腹が派手に鳴った。
 こっ、こんな時に!

 ぱちっと目を開けてたら、間近で智明くんと目が合った。

(もう……、私のばか。雰囲気台無し……)
 私は顔が赤くなっていくのを感じながら智明くんに謝った。

「や、やだ……私お腹鳴っちゃった……。ごめん……」
「え。今の俺の腹の音だけど?」
「え? 私のだよ?」
「……」
「……」

 智明くんがふっと優しく笑って、私のおでこに自分のおでこをこつん、と当てた。
「……俺たち、どんだけ気が合うんだよ……」
「ふふっ、ホントだね」
「夕飯、食べる? あ。そういえば、冷蔵庫にまともな食材入ってないな……」
「じゃあ、この前行きたいねって話してたラーメン屋、行かない?」
「お。ラーメンいいね! 行こう!」

 2人で出掛ける準備をしている時、智明くんが言った。
「そうだ。俺も桜子とのお揃いの物は欲しいと思ったんだ。今度一緒に、2人が気に入る物を探そう?」
「……うん!」
 智明くんがそう思ってくれたこと、すごく嬉しい。
 私は笑顔になった。

 これからもこんな風に、お互いぶつかることはあっても、譲り合って、寄り添って2人の居心地がいい時間を共有していけたらいいな。


~2話 了~

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