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日本語教師資格をとろう、に至るまでのキャリアの話

夫が海外駐在になり、今後のキャリアを考えた際に出てきた一つの選択肢、それが日本語教師の資格をとることだった。

今わたしは英語の教員免許(中高)を持っていて、大学時代に半年だけ米国に語学留学した経験もあり(二十歳の誕生日をあっちで迎えたから・・・もう10年経つ。汗)、日常会話程度なら、正直自信ないけどまぁという感じである。

そして今、英語ではないのだが、中学生と高校生の授業を担当している。今年は学校数で言えば13校。全部で26クラスなので約30名/クラスと考えると780名に教えていることになる。しかしこれはあくまでも仕事の1つで、教育プログラムの開発から、それを学校に導入までの設計・営業、そしてそのプログラムをいち教員となって授業で実際に教えるという一連の活動を行っている。このように開発から実践までかかわれる今の仕事は本当に面白いと思う。

どんな仕事でも同じだと思うけど、やっぱ全体が見えるまでに3年はかかるもんだと思う。私の場合は、前職時代に今の仕事につくために教員免許を明星大学(通信)でとりだした。教育実習だけ残して転職し、1年目は主に下積み的な仕事をしつつ免許を習得、2年目前半は現場にはいって教える経験(高1~3の週一16クラスぐらい)を積み(プライベートでは結婚もした。)、2年目後半は営業活動をメインにして、少しの授業も持ったのだが「教え」の感覚が完全に吹っ飛んでいてかなり落ち込んだ(その時に言われたショックな言葉は一生忘れないんじゃないかと思う。)。3年目は、教えと営業の両立を重視。紆余曲折しながらも、学校の外から学校に関わりつつ、今の教育プログラムの内容理解を日々深めてきた。

この教育プログラムを軸に、開発・営業(飛び込み営業からイベント運営・実施、導入後の支援、広報誌の作成など)・その他事務作業等を含めて、様々なを経験をさせてもらったが、結論、「授業をする」ということが一番じぶんのスキルを高められると確信していて(また授業に関する自己・他者評価がとても気になる自分に気がつき)、自然に集中することができる(授業準備など集中力が途切れず夢中になれる。)なと感じている。どんな営業トークよりも、教えている先生の実践を話す方が説得力になるのだ。

個人的には「教える」という仕事は、響きがあまり好きではない。どうしても上から目線な響きあるからだ。だから「教えの仕事が好き」というのは言うのが憚られた。でも、実際の「教え」の仕事は全くそうではない(とくに私の教えている教科がそうなのだと思うけど)。そもそも教える側がその姿勢では学習が成り立たないように感じている。大切なのは学習する方が学習者なりに考えているか。教える側は、学習者がその状態になるために、どう授業を設計し、語りかけ、その場を一緒に楽しむか。それに尽きる。そして中高生は一人一人ちがうので、いい化学反応が起こった時の授業が、その瞬間が一番楽しい。

大変なんだけど、自分は授業をするというスキルをこの先も高めたいし、仕事として継続的に携わっていきたいと考えた。改めてこう思えたことは、やはりいろんな経験をしたからこそ、なんだと思う。私は実際にやってみないと腹落ちしないタイプだから。

徒然なるままに書いたが、このような経験から、私は自分のライフワークに「教え」を軸にしたいと考えた。そして、教えを軸しつつその幅を広げるという意味で、日本語教師の資格を持っておくことは、中長期的な将来、海外・国内ふくめてどこで過ごすことになろうが、いい選択だと考えたのだ。


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