国際離婚 パート5 起業してみる
起業を決めた理由
ゲーム会社をクビになり、お給料も払われない、フランス語ができないので仕事が見つからない。そう思って休学している大学時代の同級生と話したら、みんな素晴らしいデザイナーやアーティストだったのにフランス語ができないので仕事が見つからないと言っていました。
それなら、フランス語ができなくてもみんなが作品を売れるカフェみたいなものやってみようと思い、支援してくれる団体を利用して企業の準備を始めました。
ちょうど大学時代の同級生、のちに仕事のパートナーとなる子に相談をしたらぜひ一緒にやりたいというので2人でいろいろ考えることに。
その当時UBISOFTという会社が大きくなりモントリオールのマイルエンドにレストランが増えてきたところ。
パートナーは台湾の子で学生時代からお菓子作りが大好きだったので、私はランチ担当でアジア系カフェ+クラフト・アートギャラリーをすることに。
あまり資金がなかったのですが、UBISOFTで働く友人たちや日本人の友達が手伝ってくれ、何とかオープンすることに。
パートナー
仕事のパートナーは台湾の裕福な家庭の子でした。
ものすごくかわいいこで裕福だったので人にもとても気前がいい子でした。
でも企業には向いておらず、開店当時の資金が少ない時から、最高級のチョコレートを材料で買い、さらにそれを使った大きなクッキーを1ドルもしくは友達だとあげてしまうという商売なのか趣味なのかわからないことをしていて、次第にうまくいかなくなります。
4か月ほどたち、売り上げはよくても出費が多いので儲けは出ませんでした。
その時、彼女の家族は追加支援をしてもいいけど、パートナーがいるなら気が進まないと言ってきました。
そこで私は、彼女に自分が出資した分を返してもらい、彼女と彼女の姉にお店を引き継ぎました。
こうしてとても短い企業生活が終わります。
ただ私も友人が開店資金を出資してくれてその返済があったので再びゲーム会社に戻ることになりました。
正直あの時早く決断してよかったと思います。
パートナーは追加出資をしてもらったけどお店は約1年後に閉店しました。
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