「ここ半年で思ったことを書くだけ」

 お疲れ様です。
 今日の朝は、なんとなく秋の匂いがしたので久しぶりにnotoをかくことしました。
 10月になり、私が専門学校を卒業してから半年がたちます。相変わらずのサボり癖は直りそうにありません。クリエイターとしては全く成長を感じませんが、最近仕事面で変わったことがあります。
 それは、契約社員になったことです。現在、REDの方でお世話になっていて、黙々とスクリプトの仕事をしています。契約社員になって変わったことは、賃金がちょっと上がったことと電話対応が増えました。ゲーム業界の階段を昇れていることになるのでしょうか? それは深く考えずポジティブに働いていきたいと思います。
 さて、本題の「半年で思ったこと」を書きはじめますが、全然半年という期間の総括などではありません。さっきです。先ほど私が考えた、3年後も10年後も忘れたくないと思える文章を書いていきます。卒業してから半年なので、何か学校と結びついた記事を書きたかったですが思いつきませんでした。では、始めます。
 学生の身分がなくなって、映画や美術館の料金が一般になったことの次に辛かったことは人との関りが極端に減ってしまったこと。別の言い方をすると、学校が結んでいてくれていた人間関係が解け会えなくなったことです。人見知りなので、話す量が減ったことには何も感じるところはありません。単純に友達未満の知り合いと呼ばれる人の母数が減ったことです。こちらから誘えば難なく会えるのでしょうが、そうはいきません。人見知りですから。
 そこで、たった一つの思ったことが「人は固執するべき」です。
 今覚えば、私は学校の環境に甘えていたのかもしれません。とにかく登校すれば同じ趣味持つ人がいる必要な知識を持った人がいる。そんな環境に身を置けていたこが大変幸運で、仲間を作ることなど容易なことです。すると必然的に人付き合いに積極でない自分が生まれます。これこそが私の嫌いなところで、この先も足かせになりうるでしょう。実際に今、社会人になって自由の代わりに行動力の無さが露呈し、自らに制限をかけているように感じます。良いか悪いかは私の性格のみが知るところ。
 そのどちらに傾いたとしても、私が大事だと思えることが「人は固執するべき」になります。
 ふと、眞島先生の言葉を思い出しました。
『物語の主人公は何かに固執していなければならない』
 正確な言葉は覚えてはいません。作家によって、否定する人もいるでしょう。しかし、私にとって、半年たってやっと心の深い場所に着弾しました。
 物語上、何かに固執し行動力の示された主人公ほど書きやすいものはありません(個人の見解)。賞に出すにしても主人公の分かりやすさの点ではピカイチ。何より作家の卵にとって無難で簡単に良い作品が書け、教育方針としてこれの右に出るものはないでしょう。
 それを、現実に当てはめてみればどうでしょうか? 例えば欲しいもののためにお金を貯める。いつだって始まりは欲です。欲しいものを買うためにお金を貯める行為が行動力だとすると、お金を貯めようと思いいたるまでが私の定義する「固執」です。悪く言うと、「思う」だけで良いことになります。主人公が固執すれば物語が動き出すなら、思う力は物語の起点になりうるか? 答えはイエスです。1分で読み終える短編ホラー作品なるものがたくさん転がっていますが、あれらは単調で主人公のみで構成されるものがほとんどです。そのほとんどに当たる作品は主人公の思い込みで進行されます。隙間風が幽霊の声に聞こえる。最上階なのに天井から足音。主人公の思い込みは激しいものになり読者が感情移入するとホラーへと昇格するのです。このように思い込みだけで物語が進む場合があり、固執し続ける意味は必ずあり、それが行動力に代わる日はすぐそこにあります。
 作家は面白い作品にしたいから主人公に固執させるのではありません。固執させないと物語が始まらないから、しかたなく付け加えているかもしれません。
 お金の例を出しましたが、結局はただ思う事なので何に対しても使えます。思って思い続けて考えて考えて、するとじきにそれは固執へと様変わりします。私みたいになかなか行動に移せない人はたくさんいると思います。そのような人たちの気休めのような、無頓着無関心よりは断然ましです。ひたすらに固執していきましょうと、私はそう言いたい。
 仲間にしても、夢にしても励み続けるのは大事なこと。最初に書きましたが私のサボり癖は直りそうにないので、思い続けます。たとえ、行動に至るまでが奥手になっても。未来設計図を描いて寝ます。

最後に私の固執は
「左利きをサウスポーと呼ぶ人間を駆逐することです」

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