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③電通時代のプレゼンテーション

電通の営業部にいた私が体験した先輩方のプレゼンテーション。そして、念願のマーケティング局に異動してからの私のプレゼンテーションの話です。

1990年代後半、まだ、パワーポイントというソフトがなかった時代

に、電通の営業部にいた私は、愛知県にあるクライアント企業を担当していました。その企業の社長、役員、部長へのプレゼンテーションがある度に、両手を横に広げた状態でやっと持てる大きさの発泡スチロール製のパネルに企画書を印刷してプレゼンに臨んでいました。

プレゼン前日の夜に印刷が完了し、それを10枚ごとの束にして大きなナイロンケースに入れて2つ用意して、タクシーを2台止めてトランクにその束を1台に1つずつ入れて東京駅まで行き、最終の新幹線に行き名古屋駅へ。そして、名古屋駅から乗り換えて現地近くの駅までたどりつくのでした。

プレゼン当日、

私とすぐ上の先輩の役割は、私が企画書ボードを片膝ついて両手で掲げる人。私のすぐ右にいる先輩は次のページを私にパスする役割。左にいる先輩は、プレゼンテーターが読み終わった企画書ボードを私から受け取る人。私はクライアント企業の経営者と幹部の方々がずらっと並んでいる至近距離で片膝をついて企画書ボードを持つ「人間イーゼル」(涙)のようなことをしながら、「エースプレーヤー」達のプレゼンを目の当たりにして、それらがすべて「真似る」対象となり、その後の私の成長の糧になっていったように思います。

当時は、電通と博報堂などで競合プレゼンテーション(コンペ)になることが多かったこともあり、プレゼンテーションと言えば、真剣勝負です。そのプレゼンテーションを行う人は、一流のマーケティングディレクター(その後、大学院の教授や日本マーケティング学会の学会長になった方や、電通総研で所長をつとめた方など)や、国内外のクリエイティブアワードで受賞するようなクリエイティブディレクターの方々でした。

私は片膝を立てながら、

真剣勝負をしている彼らのすべてに触れ、感じ取っていました。企画の内容はもちろんのこと、話し方、話す順番、話すペース、間の置き方、質問の投げかけ方、など。そして、質問に対しての答え方。呼吸まで聞こえるぐらいの近さで触れることができました。

少しして、念願のマーケティング局への異動が叶ってからの私は、片膝をついているときに知れたこと、見た光景など、すべてを思い出し、真似をしながら考え動き、企画を創っていました。

ある飲料メーカーのマーケティング・コミュニケーション戦略を提案する際に、「プレゼンテーションの時に、あの人が話をしていたようなアウトプットにしていくためには、今、どのようなことが必要なのかな?」と考え、

「何を食べて、何を飲んでいるか」

の食べ物と飲み物の相関関係を調べようと思い、「コンビニエンスストアのゴミ入れのところに捨ててあるレシートを拾い漁って、1枚1枚、エクセルに打ち込んで分析するプロセスに入れよう」と考え、実際にそれをしました。

そこから見えてきたことは、そんなに大したことではありませんでした。仮説としてあった、「乳酸菌の入った飲み物を飲んでいる人は、健康に配慮したいと思っている」のではないだろうか? ということのリアリティーを確かめてみたかったのです。

インターネットが今のように発達していなく、楽天さえ生まれていなかった時代ですので、そのようなデータがコンビニエンスストアのPOSデータぐらいでしたので、データを自分で作りにいきました。実は、この話は「そのデータ分析がすばらしい!」という評価には全くならなかった(あたりまえですよね……苦笑)のですが、「そこまでやってくれる人と一緒に仕事がしたいと思います。」とクライアント企業の総責任者の方々から言っていただきました。

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