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私は、「優しい世界」を創りたい。

こんにちは。山です。

突然ですが、今日は題名の通り「私が社会を変えたい理由」について、
つらつらと綴っていきます。
ちなみに、noteに書こうと思った理由は、私がやりたい`アイデア`について、私自身「なぜ、やりたいんだっけ?」にいつでも立ち戻れるようにしたい、という想いからです。

「私が社会を変えたい理由」を書き綴る前に、ジャーナリングで今の自分の想いをアウトプットしました。
ジャーナリングは、浮かんできた言葉をただその通り書き出す手法です。
そうすることにより、自分の思考に制限を掛けず、自分の想いを深く深く探っていくことができます。

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↑こんな感じでジャーナリングしました。

ジャーナリングで見えた私の燻る想い。
それは、「優しい世界を創りたい」ということです。
私は、我関せずな社会や孤独による自殺など、そんな場面を見聞きする度、悲しくなります。
※我関せずな社会:ホームレスの方などに、手を差し伸べたいけど差し出せないもどかしさや、ヤングケアラーの環境によって、誰にも相談できず孤独な場面などです。

私自身、母が`こころの病気`を抱えた家庭で育ちました。
弟を妊娠した頃から、ホルモンバランスが崩れたのか、こころの病気を患うようになりました。
メンタルバランスが崩れることにより、家族に八つ当たりをする場面や、買ったものを何度もその場で確認するなどの出来事がありました。
結果、お医者さんに病状を理解されず、度々病院を変えていました。

今思うと子供ながらに`普通の家庭と違う`想いがあったのでしょう。

母が`こころの病気`という実態は、子供ながらに「隠さなければいけないこと」と思い込んでおり、人に言えませんでした。

今振り返ると、`自分はみんなと同じ普通の家庭の普通の子供`を演じたかったのかもしれません。

それでも、私は幼少の頃から好きだった創作活動の習い事や、勉強塾に通わせてもらい、旅行も頻繁に連れて行ってもらいました。
母をはじめ家族から、子供への愛情を深く感じ取り、やりたいことをやらせてもらえたからこそ、「母のこころの病気が無ければ完璧なのに」と思うことが度々あったように思います。

今でも、母の`こころの病気`は完治していません。
それでも、母は家族の力を借りながら、自分の力で前に前に、進んできました。
私はそんな母を尊敬し、とても誇りに思います。

昔はしんどくて他の家族にお願いしていた家事や、外部の人と交流するのが億劫だったコミュニケーションも、今では進んで交流しているように見えます。

母が少しずつ少しずつ、自分の状況を理解しながら前に歩めたのは、家族のサポートがあったからだと強く想います。
母自身も同様に感じていると言葉に出すことがあります。

私の家庭は、`たまたま`周囲の家族がこころの病気に理解があり、母ができないことを率先してやったり、病院に付き添っていくような家庭でした。

但し、社会の別の家庭に目を向けると、子供が親の病状を理解できず、家族と疎遠になっている家庭もあるようです。
また、奥さんが病気と分かりつつも、手立てがなく`そっとしておく`ことしか出来ない家庭もあるようです。
※上記は、精神疾患のある親に育てられたこどもの集い 「こどもぴあ」へのイベント参加と、友人の状況から参照しています。

私は、そんな状況を少しでも変えたい。
家族間でお互いを理解し、寄り添いあえる・助け合える関係性作りをサポートしたい。
そのために、「こころの病気を抱えた家族向けのサポート体制」を構築し、最終的には`こころの病気を抱えた本人が自立できる仕組み`を目指したいです。

私は、「家族力を向上させる」仕組み創りから「優しい社会」を創っていきたい。
このnoteを書いている今も、燻る想いが湧き上がっています。

できることから少しずつ。
頑張って前に進んでいきたい、そんな想いで締めさせていただきます。
迷った時に、このnoteを見て原点に戻れるように。

※「優しい世界」と調べたら以下の絵本を見つけました!
 読んでみようと想います🙌
 ・すべてがちょっとずつ優しい世界/西島 大介(著)

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