一隅を照らす

学生の頃、京都市左京区の叡山電車の線路脇のアパートで過ごしていたので、毎朝、窓を開け、視界にドンとそびえる比叡山を眺めていたものでした。

比叡山を開いた人は、天台宗開祖の最澄。

空海に比べると、あまり派手な伝説はないのですが、比叡山は京の都から近いこともあって、歴史上名だたる賢者が学んだ知の集積地ともいえる山となりました。

その最澄は、

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」

という言葉を残しています。

一隅とは、片隅、一角という意味です。

気づかれず見向きされないようなものをあなたが照らせ、と最澄は言い残し、その言葉は現代にまでも受け継がれ、多くの人がひそかに座右の銘としていると、ある記事で読みました。

新しい年が開けて早一ヶ月半になろうとしていますが、比叡山を眺めていた20代の頃を思い出し、今年の僕も個人的にこの言葉を胸に留めておくこととしました。

きっと、どこかに(案外身近に)、この「一隅を照らす」を座右の銘としている人がいらっしゃるのだなと思いつつ。

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