「愛想」は振りまけない? 振りまけるのは「愛嬌」?
ショックを受けたのは、「愛想を振りまく」という表現は、本来間違っていると知ったときでした。
普通に使っていましたからね。それこそ「愛想」を振りまきながら。
しかし、正しくは「愛嬌を振りまく」でした。
でも、なんんだかこちらの方が言いにくい。それほど間違った言い方に馴染んでしまったのでしょう。
考えてみれば、「愛想」とは動作です。「愛想良くする」「愛想が良い」、「愛想笑い」など、自分の表情や動作、言葉などにより「演じる」ものですね(だと思う)。
だから、動作である「愛想」は振りまけないのです。
逆に動作である「愛想」は止めることができるので「愛想を尽かす」事ができるですね。
一方の「愛嬌」は状態ですよね(だと思う)。「愛嬌のあるぬいぐるみ」「愛嬌たっぷりの笑顔」、「そのえくぼには愛嬌があるね」など。
「愛嬌」はそこにある状態なので振りまける、ということのようです(歯切れが悪いですが)。
逆に「愛嬌」は持って生まれたモノですから、止めることができません。だから「愛嬌を尽かす」という使い方はしませんよね。
ということで、私には「愛嬌」は備わっていないので、「愛想」をよくする努力が必要なのかもしれません。
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