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経営と意味のゆらぎ

今年に入って結婚したり、一戸建てに引っ越したり、大きいイベントに出展したりバタバタとしてしまった

コロナもひと段落な3年目のお盆、そういえばゴールデンウィークも、構えていたのになんだかゆっくりです

(ゆっくりって都合が良いけど、ようは暇ってこと、恥ずかしながら)

あぁふと、前ほどいい店ってなんだろうって考えなくなったなと思い至りました

悲しいことに美味しいとかいい店にお客さんが集まるわけではない

映えだなんだ、ストーリーだなんだ、サステナブルだなんだ、そういう美味しいとかいい店とは別の”感”を求められる雰囲気に嫌気がさして、インスタグラムの更新もやめてしまった

美味しい珈琲を焼いて、いい店を維持して、対価として稼ぎがある
この状態に行くまでには時間がかかることだとは思っています。先輩たちからも聞いていました

ただ貯金残高と性格とはいうのは関係性が深いようで
どんどん闇が広がってきます

”経営”と”意味”とのバランスがゆらいでいる最中
手に取ったオオヤミノルさんの”喫茶店のディスクール”

いい店って何かとまた考え始めました。

僕はどう生きればいいのか

いい店であること、珈琲が美味しいこと、稼ぐこと

商売として3つを成り立たせなければ、意味を失ってしまう
人目を惹くことに注力したり、物語で商品を売ったり、最低限で自給自足したり、それらは僕にとっては少し退屈な人生だと思っているので

いい店であれるように僕の足掻きは続いてゆきます

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