家を捨てる
何故家をたかが13歳で捨てると決めて実行したのか……振り返ると祖母からの容赦ない虐めに差別にそして家には誰も居ないし。
ご飯?洗濯?風呂?いつしか私には祖母を幼い頃からの母に瓜二つやからと 憎たらしいを連発しだしたのは祖父が亡くなり
家屋敷を売却して父が情けで一軒家を住処にしてくれてからは 祖母の差別 虐め 虐待が始まり
ほんまに辛い毎日でした。
考えて見てください
小学6年生の私は体重測定で下着になるんですがパンツは穴だらけの 汚パンツに 明らかバストに合ってないブラジャーでしたから
小学校の女子のヒーローはただの汚れた汚い子なんです。
恥ずかしい思いで 体重測定を受けていたら さすがに担任が祖母に下着の事をちゃんとしてあげてくださいと よく家庭訪問されてました。
今なら虐待です。明らか虐待ですから それを私は憎たらしいの一言で一喝されるから 下着を買ってとは言えずに居たから……涙する時はありました。
が あからさまに泣くとまた殴られるしホウキで叩かれるから涙も自由には流せない でもまだ子供の私には食事の差別……風呂は最後……下着は1回買うと何年もやからサイズがね……
そんなに母が嫌いで憎しみを私にぶつけるのかなんて その当時には理解すら出来ずに ひたすら
悶々として弟の食事を見ては なんでやろ?なんで うちは?さかななん?なんでなん?て せめてテーブルでご飯を食べたかった。布団で寝たかった。
そんな思いで頭がいっぱいでした。
でも私には大切な弟には優しいから 我慢していましたが 流石に6年生にもなると 限界でした。
誰が破れたパンツを?
サイズの合わないブラを?
靴下は穴だらけ!でも学校ではお助けヒーローやから それだけが救いでしたから学校から帰るのが嫌でした。
笑えない 話せない 弟は祖母が刷り込みで母の悪口を唱えまくりで育てたから弟には母に捨てられたと言う悲しい子どもみたいな……
穴あきパンツに靴下を祖母にいうと必ず言う言葉が
『縫うたらええがな』でした。
だから 服は着たきり雀のちんちくりんに 穴を子供ながらに恥ずかしいから 必死にどうしたら良いかも分からないけど縫っていた。
靴もボロボロ 雨なら濡れる
傘もボロボロ穴が空いてる小さな傘 自転車欲しいが言える訳が無い。
マンガ買いたいけど怖くて言えないから友達が読んだら必ず読ませて貰った。不思議とそんな貧乏人な私でした学校では人気があるから
学校が唯一の居場所でした。
でもそ中1になると ガラリと変わり私には居場所が無い。
一学期だけは まだ居れたが
ご飯や風呂にも入れないし
弁当すらでしまいには
祖母は入院ですから私は
色々と無い頭で考えたけど
夏休みに高校生と付き合い 万引きして 祖母に殴られたから
もう私は家を出ようと決めて
心配なのは弟でしたが
祖母は溺愛していたので心配も今は無いかと思い私はキセルで
梅田に初めて行く事にした
何故かは今でも分からない
梅田のスケートリンクの近くに
小さなロック喫茶があり漏れてくる音楽を入り口に座り私は聞いていた。ピンク・フロイドにT.REX
大音響で したから私は聞いていた。
まだフーテン時代で
何気に声を女の人に声をかけられた。『なぁあんた入りたいん?ラリるか?』に 意味も分からず ポカンとしていましたが 私に声をかけてくれる優しいお姉さんの笑顔に頷いた。
一緒に店に入るとそこには フーテンだらけでなんか皆が今から思うとラリっていた
私にも薬を大量にお姉さんが飲んで音を聞いたら天国やで!に
私は薬に手を出した。
凄い気持ちが良くてラリっていた。お姉さんが私は家出して帰るとこが無いと話したら
お姉さんは仲間の家においで!ってご飯と寝る場所をくれました。初めて出会った人にです。ずっと寂しかった私には優しいお姉さんやお兄さんらの仲間は私には神にうつりました。
続きます。
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