2017.01.12に書いていた以前の記事

ゆとり教育についてのニュース記事を読みました。
http://a.excite.co.jp/News/column_g/20170107/sum_BestTimes_4249.html

上のニュースを読んだ、私の感想を今日はちょっとシェアさせてください。
私が感じたのは、一人ひとりが自分が受けてきた教育が間違っていなかったと信じたかったがために、時代や世の中の流れを考えずに偏差値至上主義を次の世代にも必要と思いたかったからなのかな?
と思いました。
批判するだけでは何も生まないけど、もしかしたら文科省批判をする人は、自分を批判された気になってたのかもとも思います。
円周率を3にするなどは極端でやり過ぎだったろうけど、本質を考える対話の風潮がなかったために、この記事にある私立学校や塾のように、そこに込められた目的をあえて?観ずにただのビジネスチャンスにしてしまったというのもあるんだと思う。
当時総合学習を推進していた寺脇さんは、ゆとり教育は幅広い経験を積んだ素晴らしい世代だ。って言ってたけと、周りを気にしてそれを言える人も少なかったのかも。
教育予算も確保できなかったというのもあるとも思いますが、、、
結局は国民の意見や世の中の流れが国の方針を左右しているという事だと考える事もできると思います。
しかしながらその世の中の流れや国民の意見というのは、「流行は作られるものだ。」というように、誰かが都合の良いように作ったものかもしれないとも思います。
だからこそ、シティズンシップやメディアリテラシーを持って、物事の本質を観て対話できるおもろい大人が必要になるのだと私は考えました。
ゆとり教育が始まった時は、インターネットもまだ普及しておらず情報源が限られてたか、マスコミの報道に自分たちの価値観そのものを左右される事が多かったのかもしれないけど、ネットが普及した現在は、自分で情報を選べる時代になった。
だからこそ今こそ、自分で選び・自分で決めて・自分で責任を取る、そんなおもろい(かっこいいや憧れの対象になれるような)大人が求められているのだと私は思っています。
今のアクティブラーニングの風潮は、ゆとり教育の本質としてやりたかった事なんではないか?
そんな風に私は思うので、今こそいろんな場で対話の機会がある社会にして、アクティブラーニングが活きる社会、アクティブに能動的に行動できる人材がいきいき生きる事ができる世の中に、おもろい大人たちと作って生きたいと私は考えています。

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