見出し画像

一般的でない採用。




大体エスだかエムだかよくわからない社名はどうなのか?ってのはどうなのよ?てのは誰もが創業当初から考えてもい、思ってもいなはずなのに。どうして20年に亘って長々とエスだかエムだかよくわからないままこのまま来たのかなんてまだ誰もよくわかってないはずで、僕だって創業当初から照れくさくて「ドMです」なんて言ってお茶を濁すのが席の山で。
それ以外のバージョンを思いつかないまま引退もしており。
もし他の人が他己紹介で「えーこの方はエスエヌエスってゆう看護師派遣の会社を創った張本人でそれがいまや時価総額5000億円でありまして。えー」
修正箇所が最低でも3か所あるがこの際放っておくほどに、もう辟易していて、社名変更するタイミングを逃した。
し、飽き飽きしてもう慣れた社員さんしかいないのだと愚推する。
看護師の紹介をする会社の社名がソーシャルネットワークサービスの会社なんて考えられへんやないか。
ショートメールサービスの会社も本来考えられないのだけれど。
本当は
「シニアマーケティングシステム」
の略から採った社名で、ようやく事業領域が社名に追いついて来た感じだと思っている。

ロゴについても同様の浅はかさで、創業来続いていて。役員室で投げられた問いに、戯れに自分がエクセルの罫線と横線を45度傾けてS字に、ココ黄色、ココオレンジつって出したら採用されてはや20年が経った。

キャッチフレーズ?についても同様の簡潔さで、自分達の領域の今後の広がりを敢えて広く捉えて、Best Matching Best Value と導き出し、
各メールアドレスの@bm-smsのbmはベストマッチングのbmなんですな。

こんな風に手作りで行う事は、営業活動だけではなく、移転や出展準備、支店探し、支店インフラ整備からレンタカー手配、新幹線予約、ホテル予約、達成会段取り、コンパ集金。コンパ二次会手配などなんでも自分たちでやった。外注などはせず、そんなのなんなら難病罹患後の自分が率先してやらせていただいた。
ま、さいごは嘘だけど。

こういった学園祭のようなノリがあると、採用活動のなかにもいま思い出したら面白い事例が多々あって、

いくつかを紹介します。


野崎三兄弟てのが一つ。
初めに長男の和成。
大阪大学卒の一見優等生。
弊社入社ほぼ最初の社員さんで諸藤の高校の同窓。
いきなり大阪からスズキエスクードで現れ、何もわからないままweb部長を任されるも、一瞬で難なくこなす鬼才ぶりを発揮する。
とかしないとか。
続いて次男智成。コレは鳴り物入りで入社して、想定内の活躍ぶりで今は諸藤のプライベートカンパニーから飛び立ち独立して活躍してる。いわゆるむかつくエリート。
そして長女加奈子。
こいつはかわいい九州女。
ほとんど話した事ないけど評判がすこぶる良い以外なんにもしらねー。
三兄弟が同じ会社で働いている様を僕は寡聞にして知らないのだけれど、一つの家庭と何か強烈な協定を会社が結んだようで少しまじめとも安らぎとも取れる気分になれた。

新卒採用枠外の井下てのが二つめ
井下君は確か神戸大学院一年生で会社の説明会に来てくれて、おそらく本当に説明会だけ聞いて帰ろうとしていたのだろうけど、ピンと来るものを感じて、
「今夜はうちの信長さんちに泊まれば?」
つったらほんとに泊まったらしく。翌朝信長さんが詰め寄るに
「田口さん。勘弁してくださいよ!」
ワシ「どうしました?井下お漏らししたとか?」
ノ「彼、質問の嵐で、僕一睡もできませんでしたよ」
ワシ「おめでとう㊗️決めたようですね。」
みたいな事があり、
翌週諸藤が神戸の井下の両親の元へご子息の意思について話をし、ご子息が弊社への入社をご所望している旨、当社もの子息をお迎えしたい旨をお伝えしたところ。4月からの指導と鞭撻をお願いされて、いびつな新卒が誕生した、みたいな。
これは鳥瞰すると僕のスルーパスを信長さんがセンターリングして諸藤さんがヘッドでゴールしたみたいな?
こっちは帝京高校なのに相手アルゼンチン代表よ?違うか。

三つ目
新卒採用も三期目となれば自分は人事ではなかったのかな?それでも面接だけはしていて、ある日の最終面接に来た金児ってのが来るなりタバコ臭くてびっくりして
「お前直前にタバコ吸ったな。最高にロックやな。いいから30分外で深呼吸して戻って来い。面接はそれからやどつくぞ。」
で有名な金児の紹介で同じ法政大学卒業予定の盧鐘守(ノションス)てのが来た。
何か感じるものがあったのか。
その時は何も彼に伝えなかったし、これ彼が読むまで彼には伝わってはいない事になってはいるけれど、彼に謂れのない差別に苦しんだ過去はなかったか?ないか?その事に苦しい思いをしてはいないか。ご家族はそんな思いのままここ日本で暮らしてやいないか。それは君のコンプレックスになってはいないかもしそうなら全力で守り抜く用意が自分にはあるけどいかがか?
との思いから履歴書を裏返し、その返す刀で目の前でぴりびりと破いて見せた。
「俺な、履歴書見ない主義やねん。目を見て、話をしよう。
普段暇な時間は何をして過ごしてんの?」
ノ「読書はわりと好きです。ニヤニヤ」
僕「ほー!何読んでる」
ノ「三島由紀夫とか太宰治とかニーチェ、ですかね。」
僕「そんなの読んでたらそのうち死にたくなるぞ。もっといやらしいのないの?ほらでらベッピンとかあるやろ?」
ノ「いえ、やんぐジャンプとか、ですか?」
オレ「なんやソレはきちんとエロいんか?具は見えとるのか?」
ノ「具?」
オレ「具」
ノ「具」
オレ「具」

ノ「具、は見えません。」

オレ「わかった。終わり。もうかえれ」
そうやって彼は仲間になった。

彼をどうして採用に至ったかというと
「なんかおもしろそうだったから」
ま、そんなもんや。



本来なら
確固たるカルチャー、伝統のしきたり、鬼のようなルール、みたいなものを大きな会社は持ってるものでしょう?
それに変わる別の概念はないのかな?全社員さんに共有される「心棒」(今自分が勝手に創作した言葉)みたいなもの。

みたいに思うようになった。主治医に
「このままだと死ぬよ」と言われてから。


2007年夏の某日。
三田の本社で打ち合わせしている最中に倒れてしまい、一時意識が飛び、急遽電話取材を予定していたテレビ局からアポイントのキャンセルの電話をするも、予定日程が大幅に間違えて覚えており、他、大室先生との夜のアポイントのキャンセルの電話を立て続け、同内容で3度。
「アンタさ。頭大丈夫?この電話、3度目よ?病院行かなくて平気?」
僕「頭なんか今まで少しでも大丈夫だった事あるか?とにかく今日はキャンセルな!」
からの接客中の卒倒。
秘書さんが気を利かせて相模原の北里大学病院へ2度目の入院になりました。
前回は腸管ベーチェット。
2度目の今回は神経ベーチェットでの入院との原因。
腸管ベーチェットは10年以上罹患が続くと40%の確率で失明に至るとの事。
神経ベーチェットは死亡率は2%らしく、僕自身自分は100%死ぬので楽観している。脳障害も残るらしいが、そんなの元来所持してるので気にしていない。
ストレス性のモノと言われているらしいが、つまるところ。
んなもん知らん。結局、僕だって読者だってノビルだってアメンボだって、みんな死ぬ。

法人だって、法人格といわれる以上、立派な1人の人格だ。

である以上、産まれ、生々流転、いづれ死ぬゆく運命にある。
春が来たら華が咲き、秋が来れば葉は紅葉し、寒い冬を超えてまた若葉が萌え、種子が新芽を生やし、新たな生命が誕生する。
去り行く人には手を振って「おめでとう」といってやれる組織であってほしいと心からおもいます。それこそが組織人としての在り方だと思うわけでありんす。

金児しばく。