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山下 forever


2013年のある日、悪友の医師に連れられて行った四谷新木町の飲み屋にグッとハマった。
というか東京の真ん中にこの風情が生き残っているその様にグッときた。
その日そこのママにこのあたりに空き物件はないのか?と聞いた。
「ここは人気のエリアだから空き物件の話は聞いたことがない」と素っ気なく言われた。

諦めきれず翌朝目覚めた瞬間にネットで調べたらやっぱり手頃のがあり、即座に不動産屋に問合せ、当時の妻と駆けつけ、その場で契約した。
あるやないかい。
四谷新木町の車力門通りの裏筋を少し入った言われなければわからない小さなビルの二階。
知り合いしか来ないだろう外観にして店名をひっそり「うらすじ」と名付けた。
他意はない。あるわけないやろ解釈は勝手にせい。

そこで初めて山下という人と会った。シンガポールで知り合ったバンカーの江良さんに
「田口さんと同窓の金融マンがいます都合つけばご紹介します」と言われ、10人程度招待していたうらすじのよくわからない飲み会に彼と江良さんも招待してみた。
僕は少し遅れて行ったみたいで店に入ると、見知った顔はみんないてすでにしたたかに酔っていたように思う。
ふと見ると一人知らない大きな背中がカウンターの端にいて、あれが山下かと。
トイレ込みで5坪、席数たったの9席の本当に小さな店なので知らない背中はすぐにわかる。
彼氏は下戸で人見知りなのか寡黙にして誰とも話すこともせず僕は上戸で好きな既存のひとびとがきているのだし楽しく飲んでいるのでカウンターの端の巨漢をもう牛のうんこだと思うようにした。

最後の方で見かねた江良さんが山下さんを紹介し、彼が元関西大学サッカー部の主将を務め、三井住友銀行を退社後メリルリンチ銀行を経て、独立したことを知った。
何人かのお金持ちの資産を運用する投資顧問業をなさっていることもその時に知った。
そんなことより関西大学から三井住友銀行ってことは自分のラグビー部の主将も同じ道なので上田のことを確認すると上田のリクルーターを務めたのは自分であること、なんなら僕のことも上田経由で知っていたことをその時わかった。
はよゆーてくれや。
会が終了する間際自分の資産も管理してくださいとお願いすると、まだ会ったばかりで互いのことがわからないママ、大事な資産を預かることはできないと断られた。
今ならわかるけどこれが山下という人柄そのもの。
聞けばサッカーの経歴も素晴らしく
・1998年 関西選手権 優勝
・1998年 関西学生サッカーリーグ ベストキャプテン
・1998年 関西学生サッカーリーグ ベストイレブン
・1998年 東西チャンピオンズカップ優勝(順天堂大と同点優勝
公立高校からの同大サッカー部のキャプテンは極稀だとのこと。

それから彼の出張に合わせて主にシンガポールで月に一度の会食をするようになった。
取り止めもない話ばかりだけど、
話していくうちにいつも脱線ばかりする自分をよくもまあ理解してくれると思う。
自分はお金の話が頓珍漢なので、自身が創業したかもしれない会社がどうしてこんなに大きくなったのかがよくわからないこと。
いよいよお酒ばかり飲んで皆にいつも迷惑かけてばかりいること。
なのにひとが好きすぎるのでいよいよ手に負えないだろうこと。
取り止めもないことだらけで主語も述語もあったもんじゃないし、話がすぐに飛ぶものだからはじめのうちは理解に苦しんでいたんじゃないかな。
しかも浮いた話を一切しないし、一方は一滴も酒を飲まないゴリラだし、もう一方は服のセンスを前世に置いてきた関根勤だし。
一度は二人とも待ち合わせ場所を盛大に間違えて、山下さんがシンガポール自分がプノンペンで相手を待つなどした。
自分がマダラぼけなのでおそらくはシンガポールの約束だったのだと思う。

今は居住権のあるシンガポールに入ることができないので、プノンペンで毎日彼と会っている。やっと会えたね。
そして月に一度のシンガポールを毎日japanese restrant CHIDORI 屋外の椅子でやっている。
このレストランも彼らしく健康にとても留意した料理を出していて、彼の経営するマイクロクレジットの社員さんの持ってくる弁当を見た原体験に発端があると聞いた。
詰め込んだだけの「コメとただの草やぞあんなもん」とスタッフの持ち込んだ弁当を評してそういった。
栄養が偏ったそれを僕は見たことがないけど、社員食堂を作ろうと思ったのが発端とはまた。。
そこで知り合いに紹介してもらった京都嵐山吉兆の小竹雄一朗という若いシェフに頼んで全てのメニューを監修してもらってこしらえたのがTAKECHAN 弁当。それのレストランがchirori。
これが自分的に美味すぎたので、他店舗展開ができないものかと内心思っていた折もおり、バンコクの山下さんの後輩からの問い合わせがあり、コロナ次第でバンコクにも展開できるかもしれないとの運びにもなりそうと。

ここからは希望なのだけど、健康リテラシー*所得*親日の係数で世界の大都市を測ればどこでもいけるなと。

こうやって起こる発端と行動の、正の連鎖は特定の人と場所でしか起こり得ないことを自分は経験で知っている。
それは、ふとしたはずみに、何かの一言で、時に意味などない一言から起こる事も知っている。

「素手触れ合うも他生の縁」
とは良く言ったモノで僕の日時はいつだって他生の縁でしか起こり得ないモノばかり誰だってそつなのだけれど
“縁と運とタイミング”
坂本九も確かそんな歌を歌っていたような気がするけど、んなもん当たり前やないか。

彼といると自分が正しくなれる気がする。
少なくとも行動を起こすことの理由が明確になる。

経済と道徳のいっちゃんええバランスはどこや。
カンボジアの闇と望みってなんや。

いつも軌道修正され叱られもし静かに怒られもする。
僕ははっきりと覚えてないのだけれどいつかの打ち合わせで「諸藤と同じ時匂いがします」と言っていたく喜んでたと聞いた。
そういう正しいひとがいないと自分は本当にダメ。

あ、彼と僕は卒業年度は違えど、実は同い年で前に一度それならもう敬語はやめてタメ口でいいかと聞いたおり、
彼の性格上、断る理由などハナからないぞとばかりにクイ気味にかまへんよと即答した。
でもなぜか畏敬の念が絶えないことを翌朝気づいてそっこー電話してアレ取り消しますスイませんと言って電話を切った。

この原稿を書く前に二度あった彼のお父様に簡単なアンケートを送ってみたらばよ山下さん。
したら全幅のご子息への信頼しかない極々簡素な回答がきてそんなことはわかっていたのにどうして僕はメールしてしもたんやと。
人生が波乱に富んだ父親は息子に多くは語らず、当たり前の愛を当たり前に与え続け、高く弘く大なる男になるべし。
悔いなく生き抜いてと心から願って高弘という名前をつけた。

先日スタッフの日本人がバイクの事故で緊急入院した。
事故直後真夜中で当然電話に出ない自分と対極に電話に出る山下さん。
野戦病院みたいなところに搬送された彼を、この国で一番高い病院に転院させるようにわたりをつけその交渉に淡々と当たったという。
保険制度のないこの国では個人での旅行保険、カードの付帯保険などに加入していなければ壊滅的は負担になる。
彼は不幸なことにどちらも加入していなかったらしい。
愚かな自分はことの重大さに気づいておらず翌朝、よくわからない来訪客が来て初めてその深刻さを知った。

「彼は誰ですか?」「銀行員、定期預金解約する」
結局自分も定期預金を解約し半分を負担することにしたけれど、判断の素早さには脱帽した。
一刻を争うこの事態に、大した感謝もせず上滑りの言葉だけをメールに載せる事故を起こしたスタッフとのやりとりが何度も続いているのを見て、絶望している山下さんを確認した。

お父さんからの短い返答は、僕の従前からの一番大きな疑問の答えとしては十分すぎるものやった。
景色がいいんやね。

三井住友銀行を辞し、外国のなんとかゆう有名証券会社さえをも辞めて、一年発起してカンボジアで起業して、苦楽園のマンションを貸し、ゆくゆくは売らんとする元の我が家を遠景にペンキ屋の汚い一間を間借りして、ローンの返済とわずかな家賃の差額のみが一家の収入という情けないほどの世帯収入のさなか。
食べ物といえばセブンイレブンの温かいおでんだけって、想像してごらんなさいあなた。
小さな部屋で寝床は川の字ならぬ4人が並行になって横並びってゆうね。

その時長男は後になって述懐するに、毎晩悪夢ばかり観ていたと言う。
一方、次男はあの頃が、一等楽しかったと言う。

そして僕はかれこれ2年以上、朝会という名の、きのうの自信の答え合わせをしています。
山下ももちろんだけど
りんたろう
もそうたろう
も僕は等しく愛しい

それはそれは有意義な時間で
毎日の学びは
想像にお任せします。
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田口茂樹
田口茂樹
SMSという会社を以前創業したやもしれません。

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