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足りないのが言葉で良かった。

「井下のご家族の構成はどんなだっけ?」
青山事務所に来た井下くんに、いつもの通り質問すると、

母親は専業主婦でそれはそれは素晴らしい母親業をしているし、兄は大阪大学を出て大手のクルマの会社で働いてる。妹は大阪市立大学を出て今はお子さんも2人いる。
ただ父親に特徴あって、感情の起伏が、面白いんです。決して悪い人ではありませんが”

「決して悪い人ではないのに起伏が激しいてどーゆーこっちゃ。もっと放り込め。コレが普通の反応だと思うのだけどいかがか?」らは

はじめての大阪詣での日、挨拶の後、
フィアンセのノドカちゃんに関西の絶景の良いところを見せたいとおもったんでしょう。
生駒山の山頂付近に車を停めるなり

「もっと隣の車に近寄ってご覧なさい。夜景が綺麗ですよ?」と井下の父親が。
「あらどうしたのかしらお義父様。こんなに興奮しちゃってさとノドカさん。
(せいぜい見えるのはファミリーマートかドンキホーテのサインくらいだわよ)」

そうするとご近所のおっさんがクルマの窓をコンコンと軽くノックして、
近所迷惑になるから早くここから立ち去れと文句を言ってきたらしく、案の定軽く怒った父上はそのおっさん連れて木陰にまで胸ぐら掴んで行ってすこしはなしあったらしく、落ち着いた様子で車内に戻り何もなかった仕草で「どうや?綺麗だろ夜景?」なんて言ったとか言わなかったとか。

「どうです?僕にはテンションの上がり下がりが読めないんです僕の親父の」

「井下くんな。あんな
親父さんははじめてのノドカちゃんが夜景を観て感動する、その景色を観たいんやで。いつかあなたと産まれてくるお子さんと一緒に観るかもしれない未来にまで思いを馳せてそれを阻害されたならそれに腹を立てられたのかも知れへんねやで。
そこまで慮って襟首捻り上げてはんねや。
それぐらいわからへんか?」
「考えてませんでした」

「襟首のくだりは嘘や、そんな人おらへん。言葉の綾や」
「にしても素敵なお父さんやと思うよ」

相変わらず言葉足らずの井下の報告の仕方に辟易しながら自分は会った事のないお父様に想像を膨らませるに。
久々に会う息子、初めて会う将来の娘?見せたい夜景。自慢の夜景。六甲山には負けるけれども、100万ドルとか無いけど、2万ドル、いや一まん、や、ななせんどる。ななひゃくどるくらいの夜景を見て欲しくて。
車窓から4人で観る夜景はさぞ美しかろう。
そうやってそこまで登って来たのか。
とか想像するとぼんやりと泣けてきた。

自分の曖昧な記憶が確かなら井下ははじめての新卒採用の年の人達と同じ学年?、それでも大学院生の一年目なので学生としては一学年上の横入り?というあまりに歪な形になるけれど。
これほどまで歪な形の採用なら採用チームも歪だし、同期の15人だって急ごしらえの採用という意味では歪だし、そもそも会社じたい歪といえばこれほど歪といえば歪な会社なんでないくらいに歪ななんだし。

よく見ると不正を上下にくっつけたら「歪」「いびつ」という漢字になると今気づいた。

ま、ええか。

2006年2月某日。新卒採用枠ではなくなぜか突然井下は大阪の支社に来た。会社の説明を聞きに来ただけなのだろう。

直感でかれをジンブツだと思った自分は4月に東京本社に井上を招待し、
その後をキーエンスの伝説の営業パーソンとして名を馳せた信長努さんにお願いに当たる事に。
「井下さん役員室で、信長さんて人がまってます。
今夜彼の家に泊めてもらいなさい。話はついています。
何か疑問質問あれば何なりと答えてくれると思います。もし夕食の希望あれば彼になんなりと伝えてください。会社で持つように伝えておきます」
信長僕の席へ
「なんか変な子が私の席に来て今夜泊めてもらえると聞きました、つってますが何かいいました?」
田口
「信長さんのことすごく興味あるみたいだから、泊めてもらえば?多分大丈夫なんじゃない?くらいは伝えましたあとはしりません」
信長「むきーーーー‼️」

翌朝
信長さんが僕の席にズカズカ近寄るなり机に両手をついて
「朝まで寝かせてもらえませんでした」
僕「おやおやあいつの高いびきですか?それは失礼しました。後ほどお詫びに行かせます」
信長
「そんなわけない事くらいわかるでしょう?質問攻めですよ」
田口
「きちんと対応くださってありがとうございます。彼も喜んだと思います。入社決めたようですね」
信長
「どうしてそれを?」
田口
「それが使命だとお分かりな事くらい自分でもわかりますよ」
信長
「とにかくそういう事のようなので彼の大学院の退学からご両親へのご説明などは田口さん、お願いします」
田口
「へい」

その後、1人の生徒を大学院を中途で退学させてまで入社させた会社なんて今まで聞いた事なかったし、まさか吹けば飛ぶような会社のまだ新卒採用始めたばかりの弱小零細企業がこ、神戸大学のだ、大学院なんて怖れ多い現役院生を嘘ハッタリかましたらコロリと入社を決めるなんて拾った球で海物語を打ったらまぐれで大当たり出てドル箱5段積んだ、みたいにレアかもと。

なので諸藤と、当時これまたキーエンスから中途入社してくれ、大阪で一番最初に会ってくれていた福良さんてスーパーマンにお願いして大阪まで井下くんのご両親に挨拶方々、入社のお礼に行ってくれないかとお願いしたら快諾してくれた。
大阪のどこかのホテルでその会合は開かれ、井下のご両親、弊社の諸藤、福良の4者は挨拶を無事済ませ、
同年7月付けで井下孝之は無事入社と相なった。
4月に入社した先の15名と井下含めて彼らは「同期」と自分たちで思い込むようにしているフシがあり、今では「同期会」に井下も呼ばれる事もしばしばあるのだと聞く。

株式会社ホワイトプラス創業のきっかけは、井下孝之がまだ小学生の頃、XJapan Hideの葬儀にまで遡る。
それまで知らなかった偉大なミュージシャンが亡くなっただけで、築地本願寺を幾万人ものファンや親交のあった人が弔いに訪れた姿を見てびっくりしたと。
また毎年の命日には何万人ものファンが献花をしに本願寺にまで来訪するのだと。それを知り、自分も人の先頭に立ち、このサービスで良かった、生活が変わったね。と思われてから死にたい。弔われたい、と思うようになりましてね。
「今はどういうステイタスなの?上場とかは?」
「ずっと長くn-xですね。ファイナンスも何社からかいただいてますし、期待に応えないとですがなかなか」
(n-とは上場までの年数でこの場合あとx年て事)
「今もn-xて感じ?」
「そうです。コロナが開けて業績も上向いて来ているので踊り場は抜けました。ご期待ください!」
彼の会社のホワイトプラスのサービスは主にWebやアプリで注文ができる衣類の宅配クリーニングサービスで、一時はテレビCMなどもしており、僕の知人などからはきめの細かなサービスが評判が良くサービスの質は良いイメージ。

「そうかいつかは上場めがけて引き続き頑張ってくゆーことやな?」

「血は争えないなと言う話がありましてね?」
「なんやいきなり!」

ノドカさんの通勤する会社から彼女家の駅への単線電車の車内での事。
対面で居眠りしてる見知らぬ男子学生。そろそろ降りる頃かな?次の駅かな?この駅だな?この駅だ。
起きろ起きた。財布ポケットから落としたぞ。
ドアはどうせすぐに閉まる、ああもう閉まる。

その瞬前までノドカさんと目の前で談笑していた井下は、颯爽と立ち上がり財布を取り上げ、今にも閉まりそうなドアから車外に財布を投げ出した、と。
顔を少し赤らめて鼻息少し荒く何事もなかったかのように隣に再度座り直して
「危なかっなね」と一言。
車窓からは井下が見えなくなるまで深々と頭を下げる男子学生の姿。
その姿が消えるや否やノドカさんから一言。
「お義父さんそっくり」
血は争えない。

井下と話をしていて、いまこの文章をおこしていて感じるのは、あいつが凡百の起業家、経営者と違うのは必ずしも成功の定義がお金持ちや、上場や、ましてや、FIREなんかではないという事。当たり前のサービスを当たり前に提供して利益を得、しかるべき納税をして満足して死にたい。

そう「死ぬ」事が念頭にある事で、その点に限っては圧倒的に自分と共通する。
自分は難病と隣合わせだから当然だけれども。

思い過ごしかもしれないけれども。

井下は事あるごとに
「言葉が足りません」
と言う。
僕はその度に足りないのが言葉で良かったと思う。
気持ちは充分に伝わっているのだから。
気にするな