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やってみないとわからへんやんけ。ゆうてんねん。

「少しお時間いただけませんか?」いきなり連絡もらったのは昨年末の事。
お金の無心か事業提携先の紹介か何かかな?と。どちらにせよピ ピントは少しズレてるので、鮮やかにかわして少し酔わせてやってそのあと兄貴の話でも詳しく聞いて本の出汁にでもしようとしていたらば。
「マネジメントや採用について教えて欲しくてですね」

「。。。んなもん知るか。」

あ、諸藤貴志
諸藤周平の弟、諸藤三兄弟の末の男。
表参道の瀟洒な寿司屋でしばらく食事した後、自分の骨董通りの事務所で2人で飲んだ後
「この辺りでしっぽり飲めるスナック知らないか?行った事あんべ?」
と聞くと、一度だけ行ったことある場所があると貴志君は言い、そこに移動した。

酒聖がしたたかに回った頃、声がだんだん大きくなるのは自分でもわかる。
自身の声が自分でも聞き取れづらくなりさらに声は大きくなる。
五名も座ればいっぱいのカウンターは隣以外は全員がクリボー、もしくはやじろべーみたいに思える瞬間がある。

「うちの父ちゃんの良い所はですね。
兄弟三人を集めて毎晩、算数と英語の家庭教師をするんですよ。その時にね、一番出来の悪いのが、なんと周平でしてね。」
「なんと」
「なんとなんです」
「ソレ、書いてよいかな?」
「よかとです」
「よかと、と」

僕は諸藤周平のお父様とは何度かお会いしたことがありまして。

はじめましてはたしか会社を創業するかしないかの時、どうしてもお金が足りないとき、200万ほどを勤め先まで借りに伺わせていただいた。
確か神保町の小学館?まで行った際になんのお咎めもなく、さして偉ぶるでもなく、ホイと差し出してくださったことを覚えている。
借用書も取立ても利息も何もなかったはずだけど、いつか息子が耳揃えてお返しした。はず。
二度目は僕に長女がうまれた時、報告にと調布のお宅に伺わせていただいた。お母様が小さな熊のぬいぐるみに「ほのか」とかわいい刺繍を施してくれてプレゼントしてくださった。あらかじめそんなものを用意してくださっていたのにはいたく感動した。

したたかに酔ってきた貴志君の肩を左隣のクリボーがヒョイと軽く殴るような仕草をしたものだから
「ヲイおっさん!」
とクリボーを威嚇するような事を僕がしたのだと思う。

三度目は諸藤周平の結婚記念のお祝いをサプライズで確か神田のどこかで敢行した時、
お父様をお呼びして簡単な挨拶をお願いした。
「周平は子供の頃から不思議な子でしてね。お父さん。東京電力は電気を売るのが仕事のはずなのにどうして夏場になると節電節電と呼びかけるの?不思議だねぇ。なんてね」
この、スピーチとも説教とも取りかねるお話にはみんなで唖然とした記憶。
お兄さんも初めて会った日はいきなりベロベロで博多駅をスーツの上着を裏表逆に着て移動しさながら、カブト虫みたいな出立ちで
「たぐちさんいないとしゅーへーは生きてけんと!」と雄たけびをあげるなどしていた。

長男は、脳外科医で国費で海外に留学経験もある医師のエリート、三男も経営者で上場目前のいわばエリート。
次男は今や推しも推されもせぬハイパーベンチャーの創業者。

しかし、でもよ
次男に関する限り泥食って這いつくばって生活した過去がある。のを自分は知ってる。

諸藤よ
覚えてるか?
品川区南大井の14.5平米の小さな部屋を。

シルバー新報て新聞を定期購読しようとしたら営業マン宅報してきてアタフタして僕1人外でタバコ吸いながら対応した事を。

空き缶蹴りながら、釣り銭漁って駅まで歩いてバスで代田橋まで帰った事を。

2人して盛大に遅刻して2人して何故か落ち込んで、2人しかいないのだから勤務時間も土日の休みも、決まりなんて必要ないのに、厳密に守っていた事を。

老人ホームの社長が後から払ってくれると信じて、松屋の300円の半券を領収書と信じて後生大事に取って持ち歩いていた事を。

九段下への通勤路、目についた大きめのゴミ、オフィスで使えるかもと取り置いて持ってくと同じ事考えてたあなたが全く同じファイル持ってきた事を。

全くの思いつきでこないだ、八人で暮らした町田の家を探しに行った。駅からの道を20年ぶりに歩いてみたら足が覚えていたようで少し迷って辿りついた先はあの一軒家。
ヨシ君がゲームしながら眠りに落ちたウォークインクローゼットも、加藤君が独り占めした狭い部屋も、徹との大きめの洋室も広めのリビングも家庭菜園をしていた小さな庭も見れなかったけど、いつもマツダの車の顎を擦っていた小さな駐車場は確認できた。庭先に落ちていた石を一つ拾ってポケットに入れた瞬間涙が止まらなくなったぞ。

ある日、知人の紹介遊びのアドベンチャーの会社に投資してあげて欲しいと紹介されて、そもそもそんな会社、社会性ないから鼻から出資なんかするつもりないけど会うだけ会おうかと会って話だけ聞いた。
いつも聞いているのだけど「あなたの家族構成とどんな産まれと育ちか?」と聞いたらば。
「炭鉱の3代目として産まれて自然と跡を継ぐものだと思われて育てられた。なので経理は小学生の頃から学習してました。両親に勉強しろなどと言われた事はありません。進学についてもです。高校はもとより、大学への進学など両親、肉親は思ってもいなかった。大学の学費、生活費は全て自身で賄い今まで生きてきた。そんな事より何をするかより、誰とするかだと自分は思っている」といきなり捲し立てるものだからあっけに取られた自分は「わかった、希望の金額を全額自分が負担する」と応じたら。
「不思議な事があるんですね。もう1人、同じ事を言ってくださった方がおります」
「まさか?」
「そう諸藤さんです」

それ以来その彼からの音信は不通となり数年後、シンガポールの諸藤のオフィスに行った際、その遊アドベンチャー野郎の会社のアメニティがオフィスの隅に飾られていたという結果。

人を見る時に判断する結局のところ同じなのかな?




いくつか僕しか知らないであろう諸藤のひみつ?めいた事がある。

まず

「タグっちゃんお金持ちになってどうすんの?」
まだ合資会社作って半日かそこら、輪郭はおろか授精したかどうかすらわからない状態の赤子に将来は羽生結弦の奥さんになって欲しいと渇望する新米パパくらい未熟。彼には見えていた、はずはないけど。。

ふたつめ

加藤くんと言う確かハローワークからの応募で勤務年数も長く頑張ってくれた純粋ハンサムな好青年のおばあさまの訃報が勤務中に流れて来てさめざめと泣く本人をよそ目に、密かに陰でもらい泣きする社長その人。
以外と感情が移入いやすいのかも。

みっつめ

会社が上場する2年くらい前かな?
朝の役員会で何やら懸命に署名してる姿が目立つなとはおもっていた。
上場する時、代表は署名するの?
そんなの知らないし、その時は上場するなんてことも知らされてなかった。と言うか自分は知らされてなかった。とにかく諸藤はサインの練習に勤しんでいた。

よっつめ

前職を辞めると決めた直後、前職で唯一2人が信頼を寄せていた年上の先輩である坂爪さんて方と三人で渋谷で飲む機会に恵まれた。

少しお酒も回ってきて、坂爪さんが諸藤に話したい事がありそうだなと気をきかせてトイレに立って五分後、物陰から伺いを立ててみると
「なんでタグっちゃんなの?」
「辞めてみぃひんかったらわからへんやんけ!て言ってくれたからです」

そんなだけでこんなに目まぐるしく楽しい人生が待ってただなんて。

みぃんな独立してリスク取れば良い。

「辞めてみぃひんかったらわからへんやんけ!」