いつも朧げ2

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創業間もない頃の記憶はいつも朧げで、誰かに確認してもし詳細がわかったとして、その信憑性なんてなんの役にも立ちやしないのだし。

創業間もない頃のどこかの春先、入社したばかりの野崎一成さんと目黒区の某訪問介護事業所まで営業に訪問した折、「おすすめ求人」の特大広告枠をなんと今なら出血大サービスの月額10万円のところ、本日ご決断いただけるなら緊急大サービス込みで5万円でサービスさせていただくところ、祐天寺ちかくの目黒川のせせらぎがあまりにサラサラゆくものですから1万円で提供させていただき、
「ありがとうございます‼️」
などとほぼ押し売りの状態で取引確認書のハンコを獲得した。

先方から問い合わせが来た訳でもないし、特におすすめ理由もないのに「おすすめ求人」などと謳い広告に枠を割きwebに載せる。紙面を少しでも賑やかすために必要なのでね。

他の求人情報は各々営業先で寄った駅で見つけたフリーペーパーの求人情報から介護系のを見つけてアルバイトさんに手で打ち込んでもらって全て無料で掲載した。一言「ケア人材バンク見て電話しましたと言ってお電話ください」と添えて。
そうなると求職者から電話がかかってきた介護事業者からは、あんた方は何者だ?と電話あって、一度会おうやと。
こちらはこちらで、当時から人材不足で業界全体がら不足していたであろうケアマネジャーは不足しておりませんか?と営業をかける、たんまりおりまっせと。

あの時の目黒区の1万円の当社初めての売り上げは野崎一成にとって、否、僕たちに取って天にも昇る程の喜びだったと思う。
割引現在価値というの?そういうのよくわからないけどあの時の1万円が今の当社のソレと比してどれほどの差で価値があるかを想うに、底を着きそうな資本金と今のこの会社の時価総額を比べれば良いのかな?
それを思い出すにつけあの時の一成を抱きしめたい想いは、今も変わらない。

思えばほんの直前まで、
「受験塾でも、やれば儲かるんじゃね?」なんて言い出す人もいた。
それだと早期に儲け過ぎてしまうかもしれない危険性?があるので危ういのでそれはやめておこうという意味のわからない理由で全会一致で却下された。
他に
「テキ屋とかはどーよ?たぐっちゃんやってたべ?」てのもあったけど、自身の最後の自尊心がそれを許さなかったので僕の独断で排除した。

結局のところ、ケアマネージャーの人材紹介が奏功して取引先が増え、求職者も増やした。
求職者の増やし方が独特で、ケアマネジャーの資格試験の試験会場は無論非公開なので横浜にある本部に頼み込み、全国の会場を把握するや、
開催日には会場各地にスタッフを配置してチラシを工夫を込めて配りまくると言う仕組み。
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いつも朧げ


田口茂樹
田口茂樹
2023年2月22日 06:02
桜の満開の頃、近くの芹ケ谷公園でカレーでも売るかなんて、誰かが証拠裏もなくまた言い出しやがって、確かまたバカな徹(山本)と釜野(晋史)あたりが支度し始めやがったところ、諸藤が漫然と眺めてうち、タバコふかした自分が小走りで戻ると、ミスタービビリでお馴染みのヨシ君(中野氏)が何故かテンパってルーを炒めていたパンを後ろ向きに投げ倒すという荒技でもってまさかのカレーを焦げつかすという罪を犯してしまい、不味いカレーを仕上げた。
ヨシ君は場の空気を気まずくするなどしてカレー桜祭りまで焦げつかせるという失態をまで犯してしまったのだ。
こんなでテキ屋案もあえなく消えた。

そんなヨシ君を励まそうと、2人で散歩しようと、そして何か良い人を探そうとほど近い玉川学園までジンザイを探しにゆこうと誘って歩き始めた。玉川学園といえば日本で一番学費が高価だと評判の大学だとは存じていたので、肩やさ大阪の山猿、もう一方は和歌山のチンパンジーなので互いに蝶ネクタイをキメて散歩に挑んだ。
んな訳ないけど。
手話サークルの好感度の高い男子3.4にんに声をかけてその日の夕食に誘って我が宿舎(てゆうかただの一軒家)に招待した。

前菜はトマト(に塩
メインティッシュはキャベツ(の酢漬け
後からピクルス(売ってる
ドリンクはビール(みたいなやつ
500ml✖️2
デザートはプリン(ドンキで60円くらいのやつ
空を睨んで不満気な学生と、彼らの瞳ばかり追いかける腐った大人。
たまりかねた徹が
「アレ、出してもいっすか?」
諸藤社長「ちょ、約束とちがうだろ?」
アタス「上場した時のお祝いの時にみんなで飲もうと決めただろ💢」

アレとは、近くのヤマヤだかどこかで4リットル1600円くらいの大五郎を並々とそのへんの粗大ゴミから拝借した甕に注いだ液体。
その液体をこれまた粗大ゴミの柄杓で掬って、恐る恐る汚い竹のカップに容れたモノ。

そのモノを手にした学生はこれまた口に注ぐや開口一番
「んんん!マロいー!」
おっさん一同!
「だろーーーっ!!」
学生だろうが魯山人だろうが、大五郎だろうが越乃寒梅だろうが、マロいモノはマロいのであってそこに罪はないし誰も悪くはない。

結局、学生の3人だか、4人だかは一階の宿舎(と言うかただの民家)で川の字で寝る際に「1人2000円高くね?」「おっさん4000円だからしかたなくね?」て会話を無事ヨシ君が聞きつけたと聞き、おっさんは眠りにつけたと言うしだい。

何故受験塾でもテキ屋でもなく、漫然とまだよくわからない、不確実な介護の人材業界を選択したのか。
世間受けしそうだから?
儲け出そう?
良い人取れそう?
お金出してくれそう?

いま自信を持って言える事は、胸を張って言える事と言えば、あの当時どの会社も、本気で取り組んでいなかったからなのではないかと。

いくつかは、介護や医療の業界の人材供給の分野で活躍していた会社はあったろう。
でも、当社ほどの本気さで取り行っている会社はなかったのではないかと。