10年間の沖縄

「子供達は登校も下校も何度もゲロ吐いて下校して来たです。トラウマって言うのかな?その傷はいつ癒えるか自分には全然わかりません」

小学生のラグビースクールから数えてかれこれ25年くらいになる頃2012年くらいかな?サッカーを通して何か社会的な活動ができないか?といきなりの問いかけにいきなり幼馴染の猿橋が連絡よこして来たものだから、

ちょうど暇こいてた自分に一体何ができるのだろうか?なんつって打ち合わせて持ってきた案件が原発のある女川の視察。
東北大震災の被害が深刻でそれは子達の登校にも及んだのだとか。
当時東京で被災した自分にはその甚大さは自身の身にまでは及ばす、親族友人の被害も最小限だった。

猿橋の案内でこちら側は、東京からは佐谷と小森と岸田と。
彼ら三人とは今回の震災を機にドキュメンタリー4なる、岸田中心のドキュメンタリー動画中心の小さな会社を興す事になる。ちなみに岸田は今般の震災の被災した缶詰を題材に「缶闘記」なる作品でわりと大きなアワードを受賞したと聞き、女川まで一緒したのだからとほぼ無理やりな形で会社を設立して、今では押しも押されもせぬ立派な映像作家として名を馳せるまでになった。かどうかは実は知らないけどどうやらそうみたいで嫉妬でいま震えてる。
僕震えてる。

それでは、と震災被災ど真ん中の女川のサッカー少年たちを地震とはおよそ関係のない沖縄に招待してみないか?
彼らは海の水が怖くて近づくことがもはやできる状態ではなく、それでも沖縄の澄んだ海ならなんとか戯れること、できるのではないか?
親御さんはじめ、コーチ達の理解を得、
女川の子達だけではなく、ゆくゆくは日本中からなんなら世界中から日本でのサッカーを通して平和のため、サッカーの振興のためのイベントを恒常的にできはしないか?
なんて、事は言ってないけど言った事にして欲しい。

現場の声を聞いて親御さんの明るさに触れ、地元の根強さに励まされる形でこの地としばらくはふれあい続けてみようと決めた。
昨年?一昨年からは偶然知り合った、渋谷のあっくんという謎の好青年が「海葬」とのめい目で岩手?のなんとかってところで震災の犠牲者を悼む儀式を2021年の3/11に行った翌日に出会って、それならばとこのイベントに誘ったら一躍スターダムに上り詰め、地元の三線とボーカルの簡単なライブで選手達オーディエンスの荒波がピンコ勃ちのマイクパフォーマンスなぞしやがるもんで、ムカついて秒で帰らせるなどした。

僕の文章はほとんど嘘ばかりなのだけれど今の後半部分は全面嘘なので試しに
「渋谷のあっくん」てYouTubeで検索されたし。
出てきた対象がその彼なのでみても観なくても良い。

今年まで毎回300万円の協力を都合10年しめて3000万円もの金員を寄せた。

自慢するつもりはない。

コレは長い目で見た純然とした投資なので。

少年少女コーチやなんならおっさん達と触れ合う中で見る景色は小気味良く、各々の子らの個性、性質、技師の差を超え、時に言葉の壁を超えて抱き合い握手し励まし合う場を見る事もあった。

明らかな点差を超え、体格差を超え、性差を超えて、一つのボールをひたむきに追いかける仕草はネットを網とポストで囲まれたゴールなんてなくても十分にその役割をはたしてるし
「ボールは友達」
なんてほざく前にもっと大切なフレーズがきっとある。

自分はサッカーを小さな頃少し嗜んでいたけれど特段好きと言う事はなく、どちらかと言うと猿橋の子供達との向き合い方に強く打たれたので10年間、おかね、出し続けた。

聞けばたかだか5000円のmoltenのボールを一つ無くせば血眼になって全員で探して「コーチ!見つかりました!」つってデカい声で報告してる。
こっちもつられて探してるものだから(見つかったんかい!)と思いながらもホッとする。(全然しない)
わずかなミスを指摘され全力で反省してる仕草を褒めちぎる。
絶妙なパスにサンキュー!と返す。

東京での仕事場ではありえないような、波音や春風や太陽の温かみのなか、ほとんど泣きそうな微睡のなか
そっと屁をこいた。

忘れないでいて欲しいのは、ぼくからの支援のお金は僕からだけのお金ではないと言う事。僕の大切な会社の社員さんからの泥食って吐いてこさえたお金かもしれないし、あなたのご両親が汗水出して作ったお金かもしれない。ましてや僕が持ってる油田から湧き出てるわけでもなければ意味もなく日々出てくるお金でもない。

尊敬する自分の先輩がいつも言うことばで、
「お金には表情がある」
というのがあるのな。
どうやらどんなお金にもその多寡に関わらず大小に関係なく絶対に表情があるんだと。一つのサーターアンダギーにもソーキそばにも一杯の泡盛にだってかならず表情があるんだと。あなたのフライトにも一枚のホテルのチケットにだって必ず。そこには必ず一滴の汗が一縷の望みがあるんだと、そういうの。

「流した情は水に流せ
受けた恩は石に刻め」
みたいな警句がいつかどえらい人が言っていたような記憶があるけどもしそれが本当なら、そしてもし、受けた恩と感じてくれるなら石に刻んで次の世代に受け継いで欲しいなと心底から願います。

差し支えなければ
「恩送り」
の意味を調べて実行してみてください。

そしてそれがもし実行されたなら先輩諸兄が残した沖縄の思い出が永続し、次の若い友達へと受け継がれるのだと思う。

10年間の長きに渡りどうもありがとうございました。

田口茂樹 拝