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高校演劇の「コミュニティ」と「聖地」【わたしのゴールデン】

突然ですが、私は、ジャパニーズヒップホップグループRHYMESTERのMCでありマイクロフォンの宇多丸氏がパーソナリティを務めているTBSラジオ『アフター6ジャンクション』(旧番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の頃から)のリスナーです。数年前からの。

2019年9月4日、番組内の「ビヨンド・ザ・カルチャー」というコーナー(コンセプトは、“様々な文化の研究・発信・そしてさらにその先を目指す”)で、「高校演劇 最前線2019」という“高校演劇の今”(2019年現在)をお伝えする回がOAされました。
個人的に神回でした。「高校演劇 最前線2019」。

というのも、
「高校演劇に没頭してた」からです。


今から遡ること29年前、1992年の4月、進学先の高校で演劇部に入部。
演劇が好きで入ったわけではなく、それまでは、陸上部一筋(一応)の中学3年間だったので、演劇とは一切無縁の生活を送っていました。高校でも陸上を続けるつもりでいましたが、(実は)進学先に陸上部がなく(学校案内には“陸上部”が明記されてたのに、何故?)、球技系の部活に興味が湧くこともなく(球技が苦手なので)、「さて、どうしようかと」思ってた矢先の選択肢だったんです。何故か。
「演劇部かぁ」
うーん、憶えていません。どうして演劇部を選んだのか。

入部動機はともかく、演劇漬けの高校生活を送ってきた私は、1980年代の小劇場ブームを牽引した鴻上尚史氏の「第三舞台」や、1990年代の商業演劇の最前線だった成井豊氏の「演劇集団キャラメルボックス」らの戯曲を読み漁ったり、『演劇ぶっく』(現在は『えんぶ』に改名)を毎月チェックしたり、校内で自主公演をおこなったり、全国高総文祭(全国高等学校総合文化祭)の地区大会にむけた活動や、地区大会で出会った同志(他校の演劇部員)たちで開催した“合同公演”の活動、地元のアマチュア劇団の公演を観劇したりと、徹底的に脳に叩き込んでいったせいか、毎日が刺激的でした。そして、色んな出会い(と別れ)がありました。


出会いといえば、高校演劇には、演劇に没頭する環境が整っていたコミュニティが三つ存在しています。
一つ目は、「部内のコミュニティ」。
演劇部は、一癖も二癖もある部員の集合体です。先輩、後輩関係なく。“個人情報保護法”に触れるので、“個性豊かな先輩と後輩たちに恵まれた”としか書けませんが、おかげさまで、(いい意味で)刺激だらけの毎日でした。
顧問の先生も部員に負けないぐらい個が強く、いろんなことを学ばせていただきました(ありがとうございました!)。
本当に「癖強っつ!」(千鳥・大悟風に)だった、「部内のコミュニティ」に関わっていた部員、先生全てが。
(今思えば、どの高校の演劇部も同じ状況なのでは?)

二つ目は、「部外のコミュニティ」。
高校演劇は他校との交流が盛んにおこなわれている文化部です。他の文化部の状況が分からない前提で言わせていただきますが、「特に盛んだと思います」。上述の地区大会や夏休み期間中に開催される夏季講習会(私たちは“夏季ゼミ”と呼んでいた)を筆頭に、他校の演劇部員との交流を深める機会がとても多く、数々の「部外のコミュニティ」が形成される現象が度々起こります(全国共通だのはず)。中には、勢い余って、春休み期間中に(自費で)合同公演をおこなったりする“演劇熱が強すぎるコミュニティ”が定期的に出現し、高校演劇界の盛り上げ役も存在します(現在もそのような現象は継続中ですか?)。
といった感じで、「部内のコミュニティ」とは違った経験を得ることが出来、私自身も、(強引に)他校の演劇部員との交流を深めていった一人でした。結果、「部内のコミュニティ」を一回りも二回りも上回る“癖強な人たち”に出会うことが出来、今に至っております(笑)。

三つ目は、「アマチュア劇団のコミュニティ」。
上述の「部外のコミュニティ」から発生した合同公演では飽き足らず、高校卒業後に劇団に昇格(?)して活動を継続していった高校演劇OB・OGが数多く存在します。私が現役だった頃も、幾人のも先輩部員、後輩部員の方々が、有り余った演劇エネルギーを放出させる為に、高校卒業後、アマチュア劇団を旗揚げし、学業や職業を両立させたながら定期的に公演をおこなっていったのを目の当たりにしてきました。
その代表格だったのが、現在も精力的に活動をおこなっている老舗の劇団「劇団風三等星」。

出所は不明ですが、福岡地区の高校演劇(「部外のコミュニティ」)で最初に合同公演をおこなったのが彼ら(初期メンバー)と言われています。
私が最初に観に行った公演は、劇作家、高橋いさを氏の『ボクサァ』を上演してた回(番外公演らしい)で、それ以後、「部外のコミュニティ」で出会った他校の演劇部員らと(常に)観劇したり、稽古場に訪れては、数々の助言(アドバイス)をいただいたりと、頭が上がらない存在であり、(当時の)最重要人物の集合体でした。
余談ですが、この劇団は『ある日、ぼくらは夢の中で出会う』や『けれどスクリーンいっぱいの星』、『ウォルター・ミティにさよなら』、『アメリカの夜』、『極楽トンボの終わらない明日』といった、高橋いさを氏の戯曲を好んで上演していました(大半は観に行ったはず)。

高校演劇は“体育会系文化部”です。
その所以は上述のコミュニティ全てに関わっている部員がとても多かったからではないでしょうか(全国共通のはず)。
それらのコミュニティに関わっていた方たちのほとんどは、社会人となって各方面で活躍している方々ばかりですが、現在も演劇活動をおこなっている方も多数存在します。中には演劇活動の枠を超えて芸能活動をされてる方も極僅かですがいます。
全く会うことがなくなった方々が大多数ですが、SNSで繋がっている人もいれば、道端でバッタリ再会する人も。


続いて、上述のコミュニティには欠かせない聖地のご紹介を。
一つ目の聖地、「紀伊国屋書店」。
今は無き“天神コア6階の紀伊国屋書店”。市販されていた戯曲、『演劇ぶっく』は、当時ここでしか買えなかったので(多分ね)、演劇部員は必ず訪れていた書店ではないでしょうか?そのせいか、他校の演劇部員たちと遭遇する機会が何度かあり、中には「集合場所、紀伊国屋書店で」といったやりとりがおこなわれていたような。

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2021年5月5日(水)撮影
『天神ビックバン計画』という再開発プロジェクトの為、天神コアは取り壊されておりますので、聖地巡礼が出来なくなっております。残念。

全く関係ありませんが、はてなダイアリーで「僕の聖地だったころ」と綴ってた記事を見つけたので、勝手ですがリンクさせていただきます。


二つ目の聖地は、「パピオビールーム」。
福岡市博多区千代にあるスポーツ複合施設『パピオ』の地下につくられた音楽・演劇練習場です。
(アイススケート場、ボウリング場がある『パピオ』です)

大・中・小といった練習場を備えており、用途、使用人数等に合わせて部屋を使用することが出来、練習場を持たないアマチュア劇団に重宝されています。高校演劇の合同公演の練習場としても使われていて、アマチュア劇団の先輩方と遭遇する頻度が高く、「部外のコミュニティ」を活性化させる場所でもあり、「アマチュア劇団のコミュニティ」との交流の大半が、この施設内の練習場及びロビーでおこなわれていました。
(大練習場で公演をおこなっていた劇団、合同公演も多数存在)
施設入口のロビーに利用状況の掲示板が常設させていたので、どの団体が利用しているのかが一目瞭然。
ドラゴンクエストでいう「ルイーダの酒場」的存在だった「パピオビールーム」。私も大変お世話になった場所でした。

三つ目の聖地は、「福岡市民会館小ホール」。

福岡市民会館内につくられた小ホールです。
(普段、音楽イベント等が行われているのは大ホール)
小ホールは、総客席数354席と、“丁度いい”小劇場の公演会場として長年重宝されてきました。音響設備や照明設備もバッチリ、楽屋もあり、といった好条件もあってか、数多くのアマチュア劇団及び合同公演はこぞって指定会場としていたのです。上述「劇団風三等星」の公演の数多くはここでした(現在は「ぽんプラザホール」?)。

コミュニティに関わりがなくなってから、上述の聖地には足を運ぶことがなくなった私は、(紀伊国屋書店を除く)再び訪れる機会はあるのでしょうか?


ちなみに、上述の鴻上尚史氏含め、劇作家の多くは高校演劇出身者で、それ以外にも、女優の黒木華さん、アナウンサーの徳島えりかさん、元SKE48で小説家の松井玲奈さん、女優の山本美月さん、芸人のアキラ100%さん、といった方々も高校演劇出身者だったのは小ネタ。


ということで、書くンジャーズ日曜日担当のコモリが、奇しくも、上述の活動期間が週刊少年ジャンプで『ボンボン坂高校演劇部』が連載されていた時期(1992年~1995年)と被っており、クラスメイトから「徳大寺ヒロミが好きなのか?」と度々弄られる日々を送っていたのはいうまでもありません(笑)、と一人ボケツッコミを入れながら、126週目のテーマ【わたしのゴールデン】について書かせていただきました。





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