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地下鉄サリン事件が残したもの

2020年7月24日

2014年4月16日のセウォル号事故で韓国の人たちが受けた衝撃の大きさを思うと、自分の体験として思い起こされるのは、1995年3月20日の地下鉄サリン事件だ。
テレビで第一報のニュースを見ながら、日本で、しかも自分の生活圏である東京でこのような事件が起きたことが信じられない思いだった。
事件により乗客や駅員ら14人が死亡、負傷者数は約6,300人とされ、事件の数十年後も重い後遺症に苦しむ被害者とその家族も多い。
実行犯は教祖麻原彰晃の指示に従って凶行に及んだオウム真理教の若い信者たちだった。それもまた衝撃だった。

オウム真理教は、地下鉄サリン事件の以前から坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件の犯人であることが疑われていた。しかしオウムの若い幹部信者たちは、メディアの取材を正面から受け、積極的にTVに出演し、自分たちの潔白をアピールしていた。
彼らの物怖じしない態度や、スポークスマンの上祐史浩、顧問弁護士の青山吉伸らの弁舌のたくみさは、常識から考えれば、恐ろしい殺人事件を起こす組織の人間が見せる所作とは思えなかった。
上祐、青山はじめ他の多くの幹部信者たちは、高学歴のエリートである。メディアで見る限り、教養と常識を備えた真面目な若者たちなのだった。
そして私が感じたことは、彼らは当時の多くの人間が見過ごしてい日本社会の問題についてピュアな感受性を持っているということだった。私は彼らに、事件の犯人であるとの疑念と同時に、感受性の高い若者同士に流れるシンパシーを感じていた。

地下鉄サリンと一連の事件の犯人がオウム信者たちであることが明白になった時、自分も偶然が重なれば彼らと同じように事件の犯人になっていてもおかしくはなかったのだと思った。

一連の事件は日本社会に多くの衝撃を与え、被害者やその家族の悲しみや苦しみと共に多くの問題を後世に残した。私はその中に、彼らと私が共感した日本社会の問題点が内包されていると思った。

私は最近のネトウヨを見ていて、かつてのオウム信者たちとの共通点を感じる。それは両者が日本社会の歪みが生み出し、邪悪な支配者たちのマインドコントロールにはまってしまった危険なモンスターたちであるという点だ。

オウム事件の記憶は、その2か月前に起きた阪神淡路大震災の処理や、その後顕在化して来るバブル崩壊の影響である不景気、金融危機などのさらに大きな問題により徐々に風化して行った。1990年代の日本社会は今に比べればまだ豊かで活力があり、それらの事象を乗り越えていける力があった。
しかし今現在日本社会が置かれている状況は、もはや問題を先送りすることが許されないものである。25年のときを越えて、オウム信者たちや私たちが感じた日本社会の矛盾といよいよ向き合う時が来たのだと思っている。

セウォル号事故と地下鉄サリン事件の犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。