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韓国人と日本人の思い出

2020年5月17日
横山祥一さんの「韓国語スピーチ作文コンテスト世界各地で予選」というTW(https://twitter.com/sICknXi7EwcKLRL/status/1261586771369881600?s=19) に対するリツイートとして書き始めたのですが、長くなったのでnoteにしました。

20数年前、韓国の半導体工場に技術者としてシステムの納入で行ったときは、客先の担当者も現地商社の人間も日本語を話し、納入したマニュアル類も全て日本語だった。親しくなって一緒に飲みに行った若い客先担当者は「客である我々がどうして必死で日本語を勉強しなくてはならないのか」と愚痴っていた。

ホテルでは従業員から「日本語の教材にしたいから日本の雑誌をくれないか」と言われた。

20年前は韓国の半導体メーカーの技術者は20代の若者ばかりで、工場には日本の大メーカーの人間が技術供与と韓国人技術者のトレーニング目的で来ていたり、我々のような日本の納入業者の人間が多く訪れていた。半導体業界だけでなく、自動車など他の業界でも同じような目的で、日本から多くの人間が韓国企業を訪れていると聞いた。韓国の産業界全体がまだ若く、今後の発展のためには多くの技術やノウハウを日本から輸入しなければならないようだった。

20年後の現在は、当の日本と韓国及び世界中の誰もが予想しなかったほどに状況が激変した。
半導体の世界シェアは韓国が日本を追い抜いた。
現代自動車はトヨタと売上を競うようになった(ある時イスラエルの本社に出張したら、社用車(何台あるのか知らないが数10台ではきかない)がほとんど全てHUNDAI製に変わっていて驚いた)。
スマホで世界シェアを全くとれなかった日本の電気メーカーを尻目にサムソンは世界一の電気メーカーに成長した。
半導体同様かつては日本のお家芸だった液晶パネルは韓国が世界一のシェアを持つようになったし、有機ELパネルのガチンコの開発・量産競争もLGが制した。純日本メーカーはJDIただ1社となり、それすらも青息吐息の状態だ。コロナ禍で、政治、経済、科学技術等の面において、両国の力の差が白日のもとにさらされた。1人当たりのGDPは既に韓国が日本を追い越しているであろうとする意見も多く目にするようになった。

20年前うんざりする程度々韓国に出張させられたが、あれ以来韓国には行ってない。今は皆日本語の教材を捨てて、英語でやり取りしているんだろうな。

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韓国に行く機会はなかったが、3年前まで勤めていたイスラエルの装置メーカーでは、韓国支社のエンジニア数人と日本国内やイスラエルで仕事をしたり飲みに行ったりした。皆驚くほどにフレンドリーでナイスガイだった。彼らとはすぐに打ち解けて、まるで旧友のようになるのだった。対してイスラエル、中国、台湾などの人間とは、距離を感じることが多かった。いい意味でも悪い意味でも、やはり外国人だ、習慣、文化、個人の考え方が違うと思うことがしばしばあった。彼らに対する自分の態度が違っていたとは思えないのだが。しかしそれでも日本人と比べれば、はるかに打ち解けていたが笑。

そして感じたのは、20年前に一緒に仕事をした韓国人たちと比べて、最近の韓国人はずいぶんと洗練されているなあということだった。昔の彼らは元気だけども無骨でアグレッシブな感じがあったが、最近の彼らは元気さがスポイルされた反面、理知的で人当たりが優しく相手に対する気遣いも多分にあるという感じだった。韓国経済、産業の発展が彼らを洗練させていったのか、彼らの内面の変化が発展の原動力となったのか、おそらく両方の相乗効果というやつでないかと思う。

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先に「しかしそれでも日本人と比べれば、はるかに打ち解けていたが」と書いた。まるで笑い話のようだが、俺は自分が所属していた日本支社の男性日本人社員たちとは見事な程に全く打ち解けることがなかった。俺が相当な変わり者で、異端児であったことを差し引いても、これは今考えると異常なことであったと思う。それに本当のところは、2010年に転職して来たこの会社では過去の自分勝手な己の振る舞いを反省し、ひたすら従順で人当たりの良いフレンドリーな人間としてやり直したつもりだった。これは本当だ。実際、一部の日本人女性社員や日本支社に勤務する外国人社員とは、韓国支社の連中よりもずっと打ち解けていた。
当時はその環境に慣れてしまって当たり前のことだと思っていたが、これを書きながら改めて、日本人男性社員の異常なほどの異質分子を嫌う閉鎖性は驚くべきものであったと思う。
まあ体育会系の上下関係の厳しい社風に俺がなじめなかったのも大きな原因なのだろう。
男性社員個人個人としても、チームとして見ても非常にスキルもモチベーションも高く、結果もちゃんと出していた職場だった。何人かの先輩については人格的にも己の在り方が恥ずかしく感じるほどに、素晴らしいと思える人たちもいた。

どうだ、最後は大人の書き方で終わっただろう。俺だってそれくらいのことは出来るんだぜ。