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日米貿易摩擦からの歩みと財政危機

2020年7月24日

日本国民のエゴに応えて来た、いわゆる衆愚政治、ポピュリズムの成れの果てが今の日本です。

高度成長期から自民党政権は福祉、医療、公共事業等で国民への大盤振る舞いを行って来ました。急成長する日本経済から得られる潤沢な税収がそれを支えました。表面上は政権と国民の関係はWin-Winであり、その結果自民党は1955年から1993年までの30年近く政権を続けたのです(55年体制)。

しかし1970年代には自民党のポピュリズム政治が発行する赤字国債が作る累積債務が、社会問題となりつつありました。
それでも日本製の自動車、半導体、家電の輸出は絶好調で、日本の財政の先行きに警鐘を鳴らす声をかき消していたのです。

日本経済に陰りが訪れたのは1980年に就任したレーガン大統領が起こした日米貿易摩擦の時です。財政と貿易の双子の赤字に苦しむアメリカはレーガンに「アメリカの本当の敵はソ連ではなく日本」と言わしめ、飛ぶ鳥落とす勢いの日本の産業にブレーキをかけるための施策を次々と仕掛けて来ました。

特に影響が大きかったのは、1985年に当時のG5の財政責任者(財務大臣、中央銀行総裁)をNYのプラザホテルに集めて行われたプラザ合意です。ここで米のドル安と日本の円高に世界が協力して取り組むことが宣言されました。
その結果、当時1ドル240円だった為替レートは、2年で1ドル120円になりました。

これにより日本の輸出産業は大打撃を受け、円高不況が訪れました。自民党政権はこれに対処するため、公共事業の増額と金融施策等により市場に大量のお金を流しました。
しかしその後、円高による原油等の輸入品の価格が下がり、日本の輸出企業の努力もあり、不況は一転して金余りの状態を作りました。

余った金が株と土地に向かってバブルが起き、1990年にバブルが崩壊すると日本の成長は止まりました。
膨らんだ累積債務、急減した税収、ポピュリズム政治による緩んだ国の財政規律等が現実の問題として現れました。その結果1993年に自民党は細川連立政権に取って代わられ、55年体制は終わりました。

増加の一途の医療、福祉、年金も大きな問題でした。
日本はこの時代、社会システム全般の抜本的な改革の必要に迫られていたのです。改革には痛みが伴いますが、当時の日本にはまだそのための体力(お金)はありました。累積債務も現在の1100兆円という途方もない金額に比べれば僅かなものでした。

しかし戦後から続いたポピュリズム政治に慣れきった日本国民は痛みを伴う改革よりも目の前の景気対策を望みました。良薬よりも飴を欲しがったのです。
細川政権は、1989年に3%で導入された消費税を、1994年に7%に増税して国民福祉税とすることを提唱し、世間の猛反発に会ってあっけなく退陣しました。

1997年の拓殖銀行と山一証券の破綻で顕在化した金融危機は、バブル崩壊で発生した膨大な不良債権が日本中で隠匿され、現実を直視しない日本の体質があらわになりました。

もはや一時的な対症療法では立ち行かなくなった日本経済は停滞と混迷を続け、それに呼応するように、政治も混迷を続けました。
米ビル・クリントン大統領の就任期間である1993~2001年はまさに日本の混迷期でしたが、この8年間に在任した日本の総理大臣は7人です。

2001年「自民党をぶっ壊す」のスローガンで登場した小泉純一郎政権は、守旧派が支配する派閥と金権政治にうんざりしていた国民から多くの支持を集めました。民間から竹中平蔵を経済財政大臣に登用し金融機関の不良債権処理と金融改革を断行しました。
「痛みを伴う聖域なき構造改革」のスローガンの下、郵政民営化や道路関係四公団の民営化等も推し進められ、赤字国債発行の上限を30兆円とするなどの財政再建も行われました。
小泉、竹中と言う、既成の利権やしがらみにとらわれない新しいリーダーの大胆な活躍により、金融危機は回避され、いざなみ景気と呼ばれる好景気まで生まれました。悲願であるプライマリーバランスの黒字化も視野に入って来ました。しかし小泉は続投を期待する国民の声に反して、2006年に首相の座を退きました。

(参考)
小泉純一郎と竹中平蔵の功罪
https://note.com/shig_matsuoka/n/nccc8043754c7

引き継いだのは第一次安倍晋三政権ですが、残念ながら改革は止まってしまい、だんだんと既得権益を守る昔のポピュリズム政治に戻って行ってしまいました。
2007年に安倍が体調不良で退陣すると再び政治の混迷が始まり、もはや改革や財政再建の声はどこからも聞こえて来なくなりました。

自民党と野党勢力が結集した民主党との政権争いは、まるで国民へのばらまき合戦を見るようでした。

2006年の第一次安倍政権から2012年の第二次安倍政権の7年間に代わった総理大臣はなんと7人です。
歴代総理大臣
2006年 安倍晋三 自民党
2007年 福田康夫 自民党
2008年 麻生太郎 自民党
2009年 鳩山由紀夫 民主党
2010年 菅直人 民主党
2011年 野田佳彦 民主党
2012年 安倍晋三 自民党

その間、リーマンショックや東日本大震災などもあり、日本の景気はますます後退し、国民生活、特に若年層の生活は困窮して行きました。数十年前に制度疲労を起こし時代遅れになった社会システムをいつまでも引きずり、根本的な治療である改革を怠ってきたツケです。

景気の後退により税収が上がらぬ中、高齢化による福祉医療年金の負担の増加だけが続き、日本の財政はひっ迫しました。政権維持のために、国民に飴を与え続けるポピュリズム政治にも限界が見えて来たのです。その現れが消費増税でしょう。

消費税の歴史
1989年 3%
1997年 5%
2014年 8%
2019年 10%

ポピュリズム政治に慣れ切った国民がどんなに消費増税に反対しようと、政権を担当して財政の現状を目の当たりにすれば、それに対処せざるを得ないのでしょう。財政危機を顕在化させれば、国民生活がどのようなことになり、その結果、政権を担当している自分たちにどれほどの非難が集まるか、よく分かっているのでしょう。政権担当者たちにとって政権を追われることよりも恐ろしいのは、財政危機を顕在化させることなのです。

2012年に民主党から政権を取り返して発足した第二次安倍政権の政策の柱はアベノミクスでした。そしてその中身は政府発行の国債を日銀が大量購入し、市場に金を流す異次元緩和でした。それによって企業の設備投資などを増やし、長引くデフレを2%のインフレに転じ、経済成長率3%を達成し、プライマリーバランスを黒字化するというものでした。しかし株価を押し上げるなどの一定の効果はあったものの、思ったように経済成長はしませんでした。実際の稼ぎ手である企業の力が弱っていて、いくら金利が安くてもお金を借りて事業を拡大しようとしなかったからです。

バラマキや減税などで政権が国民にいくら大盤振る舞いをして債務残高を増やしても、政治家個人の財布が痛む訳ではありません。多くの場合、政権を他に譲ってしまえば、後で責任を追及されることもありません。議員にとって選挙で勝つか負けるかは、天国と地獄の差です。大盤振る舞いによって支持率が上がるのならば、いくらでもやりたいというのが本音でしょう。
かつては、マスコミも国民も日本の財政を心配して「無駄なハコモノ行政を止め、公共事業費を削減しろ」などと言って、政権の大盤振る舞いを批判する声を上げていました。
それが政権を牽制する力になっていたのです。

しかし今は違います。マスコミを含めて財政健全化を進めろと言う者はほとんどいなくなり、「財政出動を増やせ!」「減税しろ」の一大シュプレヒコールの嵐です。政権とすれば、大盤振る舞いをして支持率を上げるチャンスなのです。

しかしそれができないのは、現在の財政の状態が深刻で、いつ財政危機が顕在化しても不思議ではないからです。地雷を踏んでしまえば、政権担当者たちは世間の激しい批判の対象となり、議員生命は終わり、与党は瓦解します。どの政権がそれを引き起こすのか、まるでロシアンルーレットのようです。


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ふと思い立って調べてみました。😁
ビル・クリントンの大統領在任期間:1993年1月20日 - 2001年1月20日(8年 - 2922日)

その間の日本の総理大臣:
1.宮澤喜一 1991年11月5日 - 1993年8月9日(1.8年 - 644日)自民党
2.細川護熙 1993年8月9日- 1994年4月28日(0.7年 - 263日)日本新党
3.羽田孜 1994年4月28日 - 1994年6月30日(0.2年 - 64日)新生党
4.村山富市 1994年6月30日 - 1996年1月11日(1.5年 - 561日)社会党
5.橋本龍太郎 1996年1月11日 - 1998年7月30日(2.6年 - 932日)自民党
6.小渕恵三 1998年7月30日 - 2000年4月5日(1.7年 - 616日)自民党
7.森喜朗 2000年4月5日 - 2001年4月26日(1.1年 - 387日)自民党

クリントン大統領在任期間8年の間に就任していた日本の総理大臣は7人。。😅
そう言えばそんな時代でした。。
日本の迷走期かな。。

(先に消費税3%導入1993年としたのは誤りでした)
ポピュリズム政治に慣れ切った国民がどんなに消費増税に反対しようと、政権を担当して財政の現状を目の当たりにすれば、それに対処せざるを得ないのでしょう。財政危機を顕在化させれば、国民生活がどのようなことになり、


ーー
クリントンがらみの出来事って何だったかなあって気になってて、やっぱりモニカ・ルインスキーの葉巻事件かなあって思ったりしたんですけど、ああ、そう言えばあの頃の日本ってこうだった、って思い出した次第です。
めちゃ懐かしいです。。

(あの頃の出来事)

1990年
バブル崩壊、「ちびまる子ちゃん」放映開始
東西ドイツ統一

1991年
雲仙普賢岳で大火砕流
湾岸戦争勃発、ソ連邦解体

1992年
松井秀喜5打席連続敬遠
アルベールビルオリンピック開幕

1993年
プロサッカー・Jリーグ開幕、サッカー日本代表対イラク戦でドーハの悲劇

1994年
大江健三郎ノーベル文学賞受賞、ソニープレイステイション発売
リレハンメルオリンピック開幕

1995年
阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、野茂英雄ドジャースに入団
世界貿易機関 (WTO) 発足、ウインドウズ'95発売

1996年
羽生善治(将棋棋士)、公式7タイトル独占、O157食中毒が多発
アトランタオリンピック開催

1997年
消費税3%から5%へ引き上げ、北海道拓殖銀行・山一證券が破綻
アジア通貨危機、香港、英から中国に返還、タイガー・ウッズ優勝

1998年
長野オリンピック開幕

1999年
欧州連合「ユーロ」導入

2000年
2000円札発行、BSデジタル放送開始、三宅島火山活動避難勧告発令、雪印乳製品集団食中毒事件
シドニーオリンピック開幕

2001年
ニンテンドーゲームキューブ発売、実習船えひめ丸沈没
イチロー大リーグで新人王、アップルiTunes、iPod発表、米9.11同時多発テロ