見出し画像

マシュー・ボーンの Swan Lake

2019年7月16日

コンテンポラリー(現代)バレエの傑作、マシュー・ボーンのSwan Lakeが5年振りに日本で5度目の公演を行っている(7月11日(木)~21日(日))。今や伝説のダンサーと言ってもよいだろうアダム・クーパー(イギリス、ロイヤルバレエ団で熊川哲也と同期だったとのこと)をプリンシパルに1995年に発表され、白鳥を男性だけで踊るという斬新な演出も話題を呼び、この演目は世界中で一大センセーションを巻き起こした。トニー賞など数多くの演劇の賞をそうなめにした歴史的名作だ。

私の前妻が一時期バレエ鑑賞に凝っており、ちょうどそのとき2005年の公演にぶつかったので、二人で3公演は観に行ったはずだ。他の年にも行ったような気がするが、残念ながら妻と離婚してしまった今となっては、それを確かめる術はない。しかし、1995年のアダム・クーパー主演のDVDは二人で見まくった。少なくとも数10回は観たと思う。なにしろ記憶がニャーの私のことだから、実際は100回以上観ているのかもしれない。こういう時、記憶力の抜群に良かった妻を失ったことを、本当に残念に思う。とまれそのDVDは今Youtubeで全編見れてしまうので、興味ある方はどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=iuab3kK8cPU&t=1s

このSwan Lakeは、クラシックの白鳥の湖とは全く別の演目と考えた方がいい。確かにチャイコフスキーの白鳥の湖が全編を通して流れ、白鳥や王子、イギリス女王などの踊りもクラシックバレエの正当な技術を基本としている。しかし、チャイコフスキーの白鳥の湖はときにロックのように早く荒々しく演奏され、酒場の場面では、そこに集まった怪しげな人間たちにロックダンス(?)として踊りまくられる(嗚呼ここも私の大好きな場面だ)。私が一番好きな、イギリス王室主催の世界各国の王女を招待した社交ダンスの場面では、チャイコフスキーは最初からこの場面を想定してこの曲たちを作ったに違いないと思わせるほど、見事な演出とダンスを見せてくれる。まあとにかく、いっときも観客を飽きさせることのない、一大エンターテイメントかつ総合芸術の傑作中の傑作なのである。

今回の公演では、白鳥役(とストレンジャーという役どころ、クラシックの白鳥の湖では黒鳥の役にあたる)として3人のプリンシパルが用意されている。マシュー・ボール、ウィル・ボジアー、マックス・ウェストウェルの3人だ。
私は、7/14(日)に昼夜2公演を観て、ウィル・ボジアー、マックス・ウェストウェルの2人の演技を見た。ウィルの方は、まるでK1ファイターのようなマッチョ男で、演技も気迫がこもり大変に見ごたえがあった。実は7/20(土)のチケットも先ほど取っており、もう一度彼の演技を観に行く。マシュー・ボールはアダム・クーパーの再来と呼ばれており、アダム、熊川哲也と同じ英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルダンサーだ。CMに出てるのも当然彼ですな。7/14の公演を観た後、どうしてもキャツの演技も見たくなり、彼主演のチケットはもうほとんど残っていなかったのだが、なんとか隅の隅の席の残りもののチケットを手に入れ、7/19(金)に観に行く。都合4公演を観にいくことになる。しかも私のことだから一人では見ない。当然素敵なレディと一緒だ。しかも毎回違う女性だ。うらやましいだろう。さらに言うと、7/14夜は当初その4人の女性とは別の女性と一緒に観るはずだったのだ。しかし私が彼女の職場でちょっとした問題を起こしてしまい、そのけじめとして、一緒に観ることを辞退し、私のチケットは彼女の同僚の男に譲ってしまったのだ。つまり私は今回の公演で、都合5回分10枚のチケットを買ったことになる。チケット一枚いくらするか調べてみな。我ながら素晴らしい狂人ぶりだこと。

話が脱線し過ぎた。実は私は、これから2公演を一緒に観るレディにあらすじと見所を説明するために、このノートを書いているのである。あらすじを理解しないで観ると、「あれ、この人たち一体ここで何をしているのだろう」状態に陥ってしまい、せっかくの名作鑑賞の機会がもったいないからだ。まあ最後のオチのネタばれだけはしないように書きます。

それでは本題のはじまり、はじまりー。

今回はマシュー・ボーンの新演出が売りのひとつらしいが、全編を通してそれほど大きな変更はなかった。振付などは変わっていたりするのだろうし、私も何度かここは確かに違うな、と思ったところはあるが、演技の解釈を大きく変えたりということはなかった。一点大きく違うのはオープニングだ。一匹の白鳥の大写しのグラフィック動画から始まり、それが羽ばたくさまがスローモーションで再現される。実際の白鳥の動きをキャプチャしているのだろうが、羽の動きが実に美しい。クラシックの白鳥の湖でもプリンシパルやプリマたちが白鳥の羽の動きを美しい腕の動きで再現する。それは見事なものではあるが、本物の白鳥の羽の動きはこれほどまでに美しいものなのかと驚かされる。そこに神の意志が働いているとしか思えない。

長くなり過ぎたから、はしょりますよー。

これは英国の王室のお話で、白鳥の相手役は、英国王子です。こいつが結構な中二病のやつで、子供の頃から母親つまり女王の愛情を十分に受けることが出来ず、大人になったら、あかんたれのマザコン男になっちゃった。
しかも、女王にも問題があって、警備の若い男を誘惑しては、いかんことをしちゃったりする、自由奔放過ぎる女王なんだな。
それから実は王室の執事は、敵国(?)のスパイ(たぶん)で、英国王室の没落を狙っている。そして、あかんたれの王子をさらにダメにすることで、自分の任務を果たそうとしているのである(たぶん)。
でも今思い出したけど、自分の息子(社交会に出てきて女王を誘惑する、ストレンジャー、クラシックの白鳥の湖でいう黒鳥)を女王の旦那だか恋人だかにするためにいろいろ画策してる、って奥さんが言ってたような気もするなあ。その場合、王子が邪魔だから消そうとしてるっていうことになるのかな。まあ、どっちでもいいか。気になる人は自分で調べてね。
執事は、酒場で働いている身分の低い一人の女を、王子にあてがって恋人にしてしまう。ええと、こう言うの何て言うんだっけ、ハニートラップだね。王子、ハニトラにひっかかってやんの、バカだねー(俺と同じくらいバカですね😃)。女は教養もなくて、おまけに天然。女王と王子の3人で観劇に行っても、失敗ばかりして、女王のひんしゅくを買い、王子をひやひやさせる。でも基本的に性格はいい女で、自分がスパイの手伝いをしていることにだんだん嫌気がさしてきて、王子に同情的になっていくんだよね。僕こういう女性、わりと好きです。僕が通ってる(今夜も当然行く)川崎のバーのママがこんな感じなんだよね(ママの教養が低いと言ってるわけじゃないよ、でも実際高くもないけどね)。

観劇の場面は、一人のきこりが蝶の妖精の女王と恋に落ちるコンテンポラリーダンス劇なんだけど、コミカルで面白い。笑える場面が多い。でも最後、ハッピーエンドなのに、蝶の妖精の女王が突然胸を押さえて倒れて死んじゃうのがなんでだか分からない。
7/14午後の公演では、この蝶の妖精の女王を日本人の女性ダンサーがやっていたことが確認できた。社交ダンスの場面ではどこかの国の王女役でも出ていた。出演者表を見ると、午前の部でも出てるから毎回出てるんでしょうね。日本人女性ダンサーはこの人と別にもう一人出てます。探してみてください。

執事にあてがわれた女性が働いているバーをつきとめ、酒とクスリ(たぶん)でラリラリの状態で現れる王子。当然身分を隠した遠山の金さんのつもりなんでしょうな、自分では。酒場では酔客とケンカになったりして散々な目に会う王子。おまけに身分がバレて、酒場を出たところでパパラッチたちに激写されてしまう。たぶん執事がパパラッチたちを呼んだんでしょうな。何で執事がこの酒場にいたのか分からないけど、王子は執事が女に金を渡すところを見てしまう。女が執事の仕組んだハニトラだって分かっちゃいましたね。でも休憩後の社交ダンスにもこの女いるんだよね。王子も情が移っちゃって別れられなくなっちゃったのかな。まあいいか。

恋人がハニトラだと分かった王子は、もう全てに絶望して湖に身を投げて自殺することを決意する。遺書を書いて、今まさに湖に飛び込まんとするところで、白鳥たちに出会い、その中の一匹の白鳥と恋に落ちるという寸法ですね。おまたせしました。やっと白鳥の登場ですよー。
白鳥は全員男だから、この恋は今はやりのLGBTの恋ということですね。まあここは難しい理屈は必要ないから、この演目の一番の見所の踊りを十分堪能しましょうや。プリンシパルの踊りも含めて、CMなんかでも、もちろんこの場面が使われますよね。一点だけ付け加えると、最初王子を警戒していた白鳥がだんだんと王子に近づき、最後恋に落ちる経過に注目するといいかもしんない。
白鳥のおかげで、すっかり元気を取り戻した王子。嬉しさのあまり、ホームレスのおばちゃんにキスなんかしちゃったりしたところで、15分間の休憩です。女性用トイレ混むから出来れば、先にすましておいて、この時間はシャンパンなど飲みながら、サンドウィッチなどつまみながら、僕と知的に感想など述べあって会話を楽しんだ方が良いと思います。

さあ、休憩が終わって、私の一番好きな、外国の王女たちを招待した社交ダンスの場面ですよー。いろんな国の王女が出てきて、そろいもそろって淫乱ですよー。王室ってろくな人間がいないんですねー。
えー、そこに現れたのは、白鳥と全くうりふたつの、ストレンジャー。黒づくめの衣装で実に暑そう、プリンシパル大変だねー。王子は白鳥がストレンジャーなのか、ストレンジャーが白鳥なのか、それともまったくの別人なのか、わけがわからず、パニックに。私も本当のところどうなのかよく分からない。別人のはずなのに、王子と白鳥のことを知ってるし、一体何者?前の奥さんいわく、執事の息子らしいんだけどね。本当、何で白鳥のこと知ってんの?永遠のなぞです。
まあストレンジャーはそんなことにお構いなく、各国の王女たちを次々と誘惑して、しかもこれがみんなストレンジャーに夢中になってしまう。そして最後にイギリス女王を誘惑してしまうという訳です。女王は淫乱のくせに、ストレンジャーの前では少女のようにはにかんでみせたりして、本当女ってやつはよう。いい男目の前にすると、態度豹変させたりするから嫌いだよ。馬鹿野郎。私の好きな場面はここまでで、大抵DVDはここで最初に戻したりしてたので、この先はあまり知りません。っていうかこの先言っちゃうとネタバレになっちゃうし、あとはクライマックスに向かうだけで、すじも単純だから、解説は割愛させていただきます。長々とした解説に付き合ってくださってありがとうございました。

2019年7月20日 (土) 追記
昨夜7/19(金)、3度目の観劇でやっと今回公演の最大の注目株のプリンシパル、マシュー・ボールに会うことが出来た。伝説のダンサー、アダム・クーパーの再来と言われる前評判に嘘はなかった。カリスマ性を感じさせる深く端正な顔立ち。バレエダンサーとしては大き過ぎるのではとも思える、格闘家のように筋骨隆々とした、それでいて見事にバランスのとれた立派な体躯(まるで希代の名工が作った彫像のようだった)。非の打ちどころのない(私のような素人の目からでは)、躍動的で美しいダンス。観劇中ずっと思っていたのは、彼のダンスは、ワインで言えばオーパスワンのようなものだということ。自分にワインを語るだけの造詣がないとしても、そのワインを飲めば、味や香りのどこにも非のつけようがないということから、そのクオリティーの高さが推し量れるというものだ。
そして驚いたのは、彼のスタミナである。多くのプリンシパルがこの演目のダンスの過酷さに言及しており、それは観劇をしても、DVDを観ても、ダンサーがいかに観客に疲労の色を見せないようにしていたとて、彼らの滝のように流れる汗や荒い息つかい、舞台の端で休む間の表情などから、ありありと伝わるものである。しかし、昨日私は群舞を観ることを完全に捨てて、双眼鏡で彼の姿をくいいるように追い続けたが、彼の涼やかな様子と笑みさえ浮かべたリラックスした表情が崩れることは、ついに最後までなかった。カーテンコールの間でさえ。実際私は戦慄さえ覚えたほどだった。それは、彼が神に選ばれた特別なダンサーであることを教えてくれるのに十分な体験だった。

2019年7月21日 (日) 追記
昨晩、第2プリンシパルのウィル・ボジアー主演の観劇を終え、私の今回のSwan Lake詣では、幕を閉じた。ウィルは坊主頭で体はやたらごつくて、私は観劇中何度も心の中で「こりゃあ白鳥って言うよりゴリラだな」とごちていた。やはり前日に、天才ダンサー、マシュー・ボールを見てしまうと、こりゃあいけねえや、なのである(昨晩一緒に観劇した美保さんと打ち上げではしゃぎ過ぎて、まだ脳が沖縄名産、豆腐ようの状態でまともな日本語が書けないのである)。しかし、Swan Lakeのオフィシャルサイトのプリンシパルたちの顔写真を見ると、ウィルがかなりのイケメンであることに驚く。坊主頭のせいもあるのだろうが、昨晩はゴリラ、あるいは、いもにいちゃんにしか見えなかった。つまりこれがマシュー・ボール効果なのである。ダンスの上手い下手の前に、圧倒的な華やかさの違いがあるのである。こりゃあいけねえや、なのである。