1年を振り返る - 私の心を満たすもの

さて、年末だ。
世界中の人々にとってそうだと思うが、2020年は、コロナに翻弄された一年だった。とはいえ、私個人にとっては比較的穏やかな一年ではあった。32歳、本厄に怯えていたが、蓋を開けてみれば取り立てて悪い出来事もなく、むしろ自粛のおかげでいらぬ怪我や病気を貰わずに済んだともいえる。

noteも始めたきり全く書いていなかったので、2020年の締めくくりとして、ざっくり一年を振り返ってみる。

1月下旬頃から外出を控えるように。都心や観光地などの人混みは避け、友人には会えない生活が続き、それは今日まで変わらなかった。身内と職場の人以外会わない生活だった。
元々出不精だったのもあって自粛はそこまで苦ではなかったけれど、やはりストレスは溜まるもの。捌け口は通販で"ちょっといいもの"を買うことだった。
二子玉川で買った食器に、お気に入りのベーカリーショップのパイをのせて食べてみたり、若い作家がつくったおしゃれな花器にドライフラワーを添えてみたり。
自宅で過ごす時間が増えるなか、お気に入りのものに囲まれる生活は私の心を豊かにしてくれた。

4月には、緊急事態宣言に合わせて娘の保育園の登園自粛願いが出された。夫は週4の在宅勤務、私は週2の計画休業が命じられ、どうにかスケジュールをすり合わせて、約2ヶ月もの間、自宅での保育に切り替えた。
近所に穴場の公園を見つけ、ほぼ毎日娘を連れて散歩に出かけた。桜が散り青々とした緑の葉が風に揺れ、つくしや筍がだんだんと伸び、たんぽぽの花が綿毛に変わる過程を、こんなにもじっくりと観察できたことは、少なくとも大人になってからは一度もなかったはずだ。
生後3ヶ月から保育園に預けていた私たちにとって、娘との時間はプレゼントのようなものだった。誰もいないときはマスクを外して深呼吸。季節の移ろいを身近に感じる機会は、この先当分ないかもしれない。

夫は通勤がなくなり時間ができたことで、積極的に家事をこなしてくれた。元々掃除洗濯はよくやってくれていたのだけど、それに加え料理も覚えてくれ、今でも継続している。週末には、旬の食材で天ぷらをふるまってくれたり、魚を捌いたりもした。
料理に目覚めたと同時に家庭菜園もスタート。園芸雑誌と睨めっこしながら、プランターから用意して、バジルの苗と小松菜の種をまく。それは立派に成長した。全ての収穫が終わると、しばらく休んだあと、今度はそら豆の苗を育てている。私は空いたプランターを借りて、チューリップの球根を植えた。どちらのも食べごろ見頃は暖かくなった頃だ。ついでに花屋で一目惚れしたレモネード色のスミレと、紫と黄色のツートンカラーのヴィオラも小さな鉢にいれて並べてみた。毎朝洗濯物を庭に干すついでに花に水をやる。これもまた、心を豊かにするルーティンのひとつ。

秋は天気さえ許せば毎週末ピクニックに出かけた。手作りのお弁当を包むときもあれば、公園の近くのスーパーで惣菜を買って食べるときもあった。栗ご飯のおにぎりを頬張りながら上空を見上げると、人工物のない、ただただ青い空が広がり、鳥の鳴き声が響いていた。なにも考えずぼーっとする時間がなによりの贅沢だ。言葉を交わさなくても一緒にいて心地のいい相手と家族になれた幸せをしみじみと噛み締め、大きな丸太のベンチによじ登りながらケラケラと笑う娘を愛でた。

心を満たすには、季節を感じることが一番大切なのかもしれない。旬の食材を食べる、部屋に季節ものの雑貨を飾る、来シーズンの洋服を買う、花を育てる、散歩に出かけて気候の変化に触れる。
今年はそれが存分にできた。自然は私を癒してくれる。コロナなんてない方がよかったけど、それでも、私は私なりに一年を楽しめた。

換気のために窓を開けると、春は生ぬるい強風が、夏はサウナのような熱気が、秋は爽やかでヒヤリとした風が、冬は刺すような、でもよく澄んだ空気が。
年を追うごとに季節の巡りは早くなる。目まぐるしく過ぎる毎日のなか、「ああ、また今年も無事にこの季節を迎えられた」と安堵する瞬間が好きだ。娘の目にはまだ、どの季節も新鮮に映るだろう。去年はよくわからなかったようだけど、今年はリビングに飾られたクリスマスツリーのオーナメントを嬉しそうに覗き込んでいる。

年末年始は帰省を取りやめ、家族3人、自宅で過ごすことにした。
人生で初めて、おせちを手作りしてみよう。お雑煮のレシピは義母直伝のものを。そうだ、大掃除は? 娘には片づけを手伝ってもらおうかな。
帰省できないことをLINEで詫びながら、気兼ねなく過ごせる年末年始の計画にわくわくしている。

来年はどんな一年になるだろう。とりあえず、そんな些細な喜びを家族と共有しながら、毎日を過ごしていきたい。

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