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4月15日(月)18:00~19:00 国本はる乃 蜃気楼龍玉「ふたりらくご」単館上映演芸会 ~浪曲と落語~

筆名:miko 
ツイッターアカウント:https://twitter.com/miko_andola(落語用アカウント)接客と販売が好きすぎるアパレル社員。落語を聴き始めて丸4年とちょっと。本も好きで週に5冊ほど読んでいる。好きな食べ物はあんこ。たいやきは頭から食べる派。運動神経皆無。運動神経無い芸人が他人事とは思えない。

国本はる乃-水戸黄門漫遊記〜散財競争〜
蜃気楼龍玉-鼠穴

立川流の落語から面白さにハマった私は、その他の協会や落語以外の浪曲や講談に触れる機会が他の落語ファンの方よりまだまだ少なくて。
知見を広げる為に、今年は全力でいろんな方の落語を聴く!と、心に決めています。
 
そんな私にとってシブラクは、今まで聴く機会が無かった落語家の方や浪曲、講談と出会える大切な場所。
今までもシブラクで初めてお聞きして、大好きになり。そこから独演会や寄席に聴きに行った方々がたくさんいらっしゃいます。
龍玉師匠はその中でもとびきりの方。
初めてシブラクでお聞きしたのは2022年3月13日。「双蝶々雪の子別れ」
龍玉師匠を一目見た印象は単純にかっこいい!という感想だったのですが、同時に会場全体の空気が変わるすごさを感じ。
そして噺に引き込まれていきました。
足元にね、雪があるのが見えるだけじゃなく、感じるんですよ。ざらついた、少し氷みたいになった部分が混ざった雪が。冬の風と寒さが。静けさの中にある心の震えが。
 
情景が浮かぶどころではない。感覚さえ変えられてしまう。
 
最初に感じたかっこよさは、見た目のかっこよさでしたが、噺を聴き終わった後のかっこよさはしびれるかっこよさでした。
なので、今回のふたりらくごもとても楽しみにしていました。
そうそう!国本はる乃さんを拝見するのは今回初めて。
ただでさえ浪曲師の方聴く機会が少ないので、楽しみさが半端ない。新しい出会いってなんだかときめきますよね。自分の中に知らない知識が入ってくるワクワク感。いいですよね。
あまりに浪曲のことを知らなすぎるので、配信を見る前にWebで調べてみたところ、浪曲は、一つの物語を節とよばれる歌と、啖呵とよばれる台詞で「語る」のだそう。あの台詞部分って啖呵っていうんですね。
そんな事も知らない初心者マークの私は、はる乃さんが出てこられて最初に「国本はる乃の浪曲、実は初めてなんだよという方~」とのお声かけに、嬉しくなっちゃって配信なのに手を挙げちゃった!ちょっと恥ずかしいぞ。でもこれぐらい前のめりで聴きたいじゃないですか。せっかくだし。
曲師は玉川鈴さん。はる乃さん、鈴さん、浪曲師、曲師の中でそれぞれ最年少なんだそう。もうそれだけで応援したくなる!俄然、前のめり感がマシマシです。
そして、のっけからその伸びやかで力のある声にびっくりし。そして節と啖呵(覚えたらすぐ使いたくなる私)のバランスが絶妙で。節で飲み込まれ、啖呵で入り込む。
当たり前過ぎて書いていいのか悩みましたが、とにかく声が良い。まるでお風呂に入っているような心地よさ。気づいたら節に合わせて勝手に揺れちゃう。そんな感じ。
今回お聴きしたのは「水戸黄門漫遊記~散財競争」
なんとなく知っている黄門様が出てくるだけで、ちょっと嬉しくなっちゃいますね。でも、なんだか私が知っている時代劇の黄門様とはちょっと違う。
一見さんお断りなのに、ごまかして上がり込んじゃうし、安太郎のお父さん騙っちゃうし、散財競争に負けたくなくて北町奉行に手紙書いちゃうし。結構やりたい放題。そしてそれをとてもチャーミングに語るはる乃さん。さらに、すごくたくさんの人をその素晴らしい声で演じ分けてくれる。ドスの効いた男の声も芸者の色っぽい声も。よくあんなに幅広く演じ分けられるなあ。そして若いのになんでこんなに堂々と出来るんだろうか。きっとものすごい稽古をされているんだろうな。凄いなあ。
ちなみに私の推しポイントは、安太郎が、黄門様に「あんた誰!!」って言っちゃうところ。いや、言うよね。私もきっと同じ立場だったら「あんた誰!!」って言うなあと思いながら笑っちゃいました。
初めて聴いたはる乃さんは、楽しくて、かわいくて、安定感があって。かっこよかったです!
 
続いて、龍玉師匠。「鼠穴」
この「鼠穴」ってお噺。なぜこんな演目名なのか、以前に鼠穴を聴いた時に、ハッと思った事があり。
塞げと伝えていたのにもかかわらず、塞いでいなかった鼠穴。
信じているつもりでも、どこか信じられない心の穴。
もしかして、そんな心の風穴をこの演目名は表現しているのかなと。
これは私の勝手な解釈なので、正しいかどうかは分かりませんが、それにしても凄い演目名だなあと思ったんですよね。
その噺を龍玉師匠で聴けるなんて!最高ですねぇ。
さらりと来場者へのお礼を述べてから、すぐに噺に入る師匠。その空間はすでに龍玉師匠のもの。
 
兄には深い想いや考えがあっての事だと知っても、最初に受けた仕打ちに傷つき、心からは信じられない弟。兄のところの番頭が、たった一度しか見ていない弟をとても丁寧に招き入れたり、現れた弟の為にこっそりごちそうを用意していたりと、龍玉師匠の演じる兄は、弟を想いながら不器用にしか表現できないところに本気の愛情が見え隠れするように思うのですが、それと同時に、その兄の気持ちをまっすぐに受け取れない弟に対して、私はとても人間らしさを感じてしまいました。
そりゃそうだよねと。
商売の元手を貸してあげるよといわれ、怒られ、責められると思っていた分、心からホッとして心底喜んで。そのあと、そのお金がたった三文と知ったときの落胆と怒り、悲しみ。きっと、頭は理解しても、心ではどうしても納得出来ない。兄のことを鬼だ!と言いかけて、直後に言い直すけれど、心の底ではやっぱり本当は鬼なんじゃないかなと思わずにはいられない。そんな弟は、「お前のかか様は焼きもち焼きか?」という兄の言葉も、そのまま受け取れずに、妻と子供がいる自分の事を妬んでいるのではと感じてしまったんじゃないのかな。
龍玉師匠が火事を知らせる半鐘の音を、激しいものではなく、遠くから静かに響くように表現されるところがとても悲しくて。燃えさかる炎に次々と崩れ落ちる蔵。その語りにゾクゾクと恐怖としんどさが押し寄せてきました。蔵が壊れるように、何もかもが崩れていく。兄に罵倒され、娘をかばう姿には胸が苦しくてたまりませんでした。
ラストに近づき、ぷつりと切れた緊張の糸からあふれる弟の泣き声に、一緒になってホッとしながら、それ、全部お兄さんに話しちゃうんだ!というところに、ちょっとびっくりして笑ってしまいました。
ホッとしたときの笑いって、ちょっと幸福感がありますよね。この感覚、とても好きです。
 
サゲは兄の懐の深さや優しさを感じるのだけれど、なんとなく、人として絶対的にわかり合えないだろうというなという二人のズレも感じました。
弟がいつも抱えている、これからも消えないだろう兄への不信感。これからの未来に対して、見えない恐怖と不安。
鼠穴から入り込んだ火で崩れ落ちる蔵は、その恐怖と不安に押しつぶされる弟自身だったのかなあなんて事、この兄は考えもしないんじゃないかな。
あー。きっとこの先も弟の鼠穴は埋まらないんだろうなあ。早いところ塗り塗りしてあげたいよ。
 
そんな事を考えながら、頭を下げる龍玉師匠を見て、
やっぱり龍玉師匠は最高にかっこいいなと思いました。
 
だって、無駄な動きが何もないんですもん!!
 
瓦を剥がす仕草。娘をかばう仕草。膝をたたく。呼び止める。お金を渡す。
 
こんなに噺に入り込めて、その情景を目の前に表してくれるのは、きっとそのひとつひとつの無駄のない表現のおかげなんじゃないかなと。
素敵なお二人をじっくり味わえて、大満足の回でした。

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