3月12日(火)18:00~19:00「ふたりらくご」

文:筆名:miko @miko_andola(落語用アカウント) 接客と販売が好きすぎるアパレル社員。落語を聴き始めて丸4年とちょっと。本も好きで週に5冊ほど読んでいる。好きな食べ物はあんこ。たいやきは頭から食べる派。運動神経皆無。運動神経無い芸人が他人事とは思えない。


立川こしら-片棒
入船亭扇里-火事息子

コントラスト落語と評されるこしら師匠と扇里師匠のふたりらくご。
外は大粒の雨。風も強くて、お出かけ日和とは言いがたい。
そんな中、会場に足を運んでくれたお客さまに対して「こんな雨の日に来るなんて、物好きが集まっているって事ですよね。」とこしら師匠。この一言が、実は伏線だったんだなと
高座を降りる後ろ姿を見ながらはっとする事になるのですが。


こしら師匠、実は2ヶ月ほど前に腹痛から入院されたそう。
その「健康セミナー」たっぷりとまくらに。
お腹が痛くてしんどい中、扇里師匠をもう一度落語がしたいと思ったらしく。

今日、その願いが叶って良かった。

こしら師匠は、まくらでも落語に入ってからも、お客さまの動きに機敏に反応する。
その対応で、一瞬にしてお客が「見る立場」ではなく、「見られる立場」に変わる。
お互いに見て、見られる立場として、会場が一体化していく感じがするのは私だけでしょうか。

今日のまくらはやけに長い。
時間大丈夫?と心配するお客様の顔を見ていないわけはないのに
こしら師匠は余裕たっぷりでまくらを続ける。

楽屋で片棒やると言って出てきたので。と今からやる演目を発表した上で
「江戸っ子は、五月の鯉の吹き流し・・・」おなじみのフレーズからのこり3分弱で片棒をおわらせちゃった!
専売特許(?)の高速落語で「片棒」あっけなく終了。
こしら師匠の高速落語に笑い転げる瞬間は、自分が落語を知っている事をちょっと自慢に思う瞬間でもある。
落語を全く知らなかった時、こしら師匠はまくらが楽しい印象だった。
けれど、いろんな落語を聴くようになってからこしら師匠の高速落語を聴くのがとても楽しくなった。
こしら師匠が端折った部分を自分の脳内にある落語知識でつなげていく作業がとても楽しくて、そのうれしさににんまりしてしまうから。
それがちゃんと出来るように、作られているところも含めてこしら師匠のすごさよ。

そして、高座を堂々としたたたずまいで降りるこしら師匠を見送りながら、あの最初のあのひとことが
「みんなだったら大丈夫だよね?」と脳内変換されて聞こえるのだから。本当に凄い人です。

今日の高速落語がよくわからなかったという方!大丈夫です!
シブラクや寄席でいろんな人の落語を少しずつ聴いてから、またこしら師匠の落語に出会ったら、
今日以上に楽しくなっている事請け合いです。その過程をぜひ楽しんでいただきたい。
ちなみに私が絶賛その過程を楽しんでいる一人でもあります。

そして、その「いろんな人の落語」でも、とても分かりやすく落語の世界観を味わわせてくれる師匠のおひとりが扇里師匠。
散々入院話を披露したこしら師匠を、「心配して欲しかったんじゃん。かわいんだから。」と、微笑みながらつぶやいた心優しい扇里師匠。
片棒を聴いた皆さんへ若旦那にもいろいろあるよと、火事息子を。

こしら師匠とは真逆で、江戸の状況から、火消しの中でも武士火消しから町火消しなど、いろいろ階級があるよとか、場所によって半鐘の鳴らし方が違ったりする事を丁寧に説明してくれる。
すごくわかりやすくて、なんだかちょっと賢くなった気持ちになるし、
落語の背景がわかると、なせ、そうなったのか?を感じる速度と深さが変わってくるから有難いんですよね。

そんな風に思っていたら、すうーっと落語に。
淡々とした口調でちょこちょこホッとさせてくれるような笑いを挟み込みながら、手の動きや目線でぐいっとその世界に会場全体を連れて行ってくれる。
腰から下はほとんど動かしていないのにも関わらず!
旦那が番頭に土塊を投げる瞬間、扇里師匠が目線を上に向けるのと合わせて思わず上をみちゃった私。
入り込み過ぎです。

火事息子に出てくる人は、みんな自分の心に素直になれなくて。
素直になれない人のしんどさを、みんながちょっとずつ助けてくれるところが好き。
番頭さんは旦那が若旦那に会いたい気持ちを察して、赤の他人にはちゃんとお礼をしてほしいと若旦那を旦那と合わせる。
勘当した若旦那に対して、文句を言う事でしか心配だと伝えない旦那。
その口調の強さに、手放したくなくて、若旦那の夢を壊すような事をしてしまったがゆえに、若旦那がより離れた場所に行ってしまった事を、誰よりも悔やんでいるんじゃないのかなと思わせる。
若旦那は、夢でみた母親の姿に涙するやさしい人。自分のわがままで両親を悲しませた事を悔やみつつ、自分の好きを手放せないでいる。

そんな中、一番ストレートに若旦那に会いたいと口に出して伝える母親の強さにまた違う愛情を感じる。
うらやましいぐらい愛を伝える母親の気持ちをくみ取って、いや、きっと同じ気持ちの旦那は、捨てれば拾う人もいるだろうからと、若旦那に渡したいものを捨てろと母親に伝える。

嬉しいけれど、その嬉しさを全身で表す事が出来ず。でもどこかソワソワしている旦那と母親。そして声を出せずに佇んでいる若旦那は駆け寄ることもできず、涙を浮かべ、うなだれているように私は見える。

このやりとりにじんわりとした温かさと、モヤモヤしたもどかしさを感じられるのは、
淡々とナチュラルに伝えてくれている扇里師匠の話力に加え、最初の丁寧な背景説明のおかげが大きいように感じる。
せめて町火消しだったら、勘当しなくても済んだのかなあ。

サゲの後、頭を下げ、そそくさと立ち上がる扇里師匠。
一瞬にして落語の世界から解き放たれる。
大きな爆笑や、荒ぶる感情はそこにはないけれど
じわじわと良い物を見たという感情が今、ここにある。

対比だけではない。お互いの良さを補完しているこのお二人を
一度に見れることにこの会の良さがあるのだなあとしみじみと感じました。



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