現実は厳しいが、現実は優しいという話。
はじめまして(?)
えー。V高専アドベントカレンダー16日目の記事を担当させていただきます。浅浪沫とかいうやつです。とりあえずなんとなく企画に乗っかったはいいものの、プログラミングに関する内容ですらないからQiitaに書くのは憚られる、というわけで、Noteにアカウントを作ってみました。というわけで、当方このNoteの使い方を全く分かっていません。よろしくお願いします。
そしてこの記事は先程書いたように12/16の記事なのですが、これを書いている時点で現在時刻は12/16の0:04です。なんでこうなったんだろうね。
んで、このタイトルは何?
という突っ込みが入ると思うんですが、おそらく僕が持っている知識の中で、僕の身の回りにいる高専生の皆さんに最も伝える価値がある情報というのがこの話だからです。
僕はプログラミングをしてAtCoderのレートをなんとか緑に上げたり、AviUtlで動画を作ったり、なんていうこともしているのですが、そういう話は、ぶっちゃけggればわかりやすい記事とか動画とかがたくさん出てきます。それをパクって書いても面白みがないので、どうにか僕らしくて、なおかつ価値がある記事を書こうとするならば、こういう話が一番かなと思いました。なのでこんなところにアカウントを作って投稿する羽目になっているのですが。
早く本題に入れ
はい。僕がV高専なる界隈に身を置いていることはまあこの記事を開いている方ならご存知なんじゃないだろうかと思いますが、メンタルが弱い、と自認している人をよく見かけます。これは傲慢かもしれませんが、病んでしまう気持ちはよくわかるつもりです。僕はそのような人間だったからです。
「自分は誰よりも劣っている」と思い込み、そうでないことを許しませんでした。かつて、僕の中では、「自分が誰かより何か優れている」と考えることは「悪いこと」で、「自分は常に最底辺のクズ」で「なければならなかった」のです。
歪んでるな、と思われた方がいるかもしれません。僕もそう思います。そして、このような考え方は、だいぶコントロールが効くようになりましたが、今の僕にもまだ残っています。
自分はメンタルが弱い、と思う人へ
メンタルが弱い人といっても、いろいろなタイプがいるでしょうが、僕がよく見かけるのは、「過剰に物事をマイナス方向に考えてしまう」タイプです。
物事がうまくいかなかった、他人に迷惑をかけてしまった、頑張って作った作品が評価されない、誰かに怒られた、などの理由で、「やっぱり私はダメだ、生きている価値がないんじゃないか」と強く思い込んでしまう人が居ます。
厳しい現実を投げかけると、こういった性格の人は、インターネットに向いていません。インターネットというのは残酷なのです。インターネットにいる多くの人は、他人のメンタルに興味はありません(興味がある人はそれはそれで怖いです)し、他人の作品を目に入れません(作品の善し悪しにかかわらず、目に留まらなければ評価されません)。そして、他人の気持ちを考えず発言する人も少なくありません。また、メンタルを病んでしまった人がよく発する自虐的ツイートなど、見たくないと思っている人のほうが多いでしょう。
ですが、僕はこの現実を善しとしません。些細な理由で病んでしまう人の大半は、それだけ周りを気遣うことができる、「良い人」だからです。しかも、クオリティの高い作品を投稿している人も少なくありません。いつも楽しみにしている作品の作者が病んでいるところなんてできれば見たくないですが、自分の作品は残念だと思い込み、制作しなくなってしまっては、楽しんでいる側とすれば最悪です。もちろん、作品を制作する能力がないとしても、「良い人」には元気でいてほしいですし、周りに気を遣わない人達のほうが「良い人」よりも生きやすい世の中、というのは、現実かもしれませんが理不尽です。僕は「良い人」たちと共にインターネットで暮らしたいのです。
現実を見直そう
とは言っても、僕が何を叫ぼうとインターネットの現実が変わるわけはありません。我々の側で変わるしかないのです。
そして、それは難しいです。そもそもなぜ病んでいるのかというと、周りを気にする「良い人」だからなのです。「良い人」でなくなるなんて、そんな悪い事はしたくありません。できません。してほしくもありません。
では何をしてほしいのか。それは、「現実を見てほしい」のです。
現実なんて厳しいことしかない、最悪だ、できれば見たくない。そう思う方も少なくないと思いますが、自分と現実をよく見直してみましょう。
高専に受かった人は、高専に受からなかった人よりも、学力で優れています。
進級できた人は、留年してしまった人よりも、単位を取る能力で勝っています。
プログラミングが少しできる人は、プログラミングを全く知らない人より技術力があります。
たとえ再生数2桁でも動画を制作して投稿している人は、動画の作り方を知らない人ができないことができます。
彼女が一度もいたことがない人は、性犯罪に手を染めてしまった人よりは誠実です。
同じような理屈で、イラストを描いている人、ゲームが得意な人、小説を作っている人、3Dモデリングソフトの使い方が分かる人、何かしらの資格に合格した人、バイトを頑張っている人……
そう、意外とあなたはすごいのです。
確かに上には上がいます。何をどんなに頑張っても、頂点に届くことはほとんどありません。これは厳しい現実です。しかし、同時に、下には下がいるものです。そして、下にいる人は、きっと貴方を羨ましいと思って見ています。絵の描けない僕は絵をTwitterに載せている人が羨ましいですし、ハードウェアが全く分からない僕は回路使って何かを作っている人が羨ましいのです。
「誰かが自分より下だなんて見下すなんてできない」という人もいるかもしれません。しかし、これもまた、現実なのです。
友達は大切に
少し先程と被りますが、もう一つ大事にしてほしいことがこれです。
貴方のTwitter(に限りませんが)をフォローしてくれている人がいるとしましょう。おそらくその人は、貴方に価値があると思っています。何の価値もない、不快だ、と思いながらフォローしていることは稀です。何かいいことがあるからフォローしているのです。
では、自分がフォロワーに与えている良いこととはなんなのでしょうか。それは、自分では見つけられないかもしれません(ひょっとすると、笑いものにするためだけにフォローしているかもしれないと思うかもしれませんが、そこまでする人は変人です)。でも、それでいいのです。フォロワーは、貴方がありのままの貴方でいることを、ひそかに応援しているのです。これもまた、現実です。
なので、これは「こうするべき」というよりは、「こうしてくれるといいな」というお願いなのですが、あまり自分の価値を低く見積もらないで欲しいのです。価値があると思っているからフォローしているのに、自分に価値はない、という発言をされたら、それは「価値がある」と思っている人を裏切ることになってしまいます。貴方は誰かに認められていて、求められているのです。このような考え方をするのは難しいという人もいると思いますし、すぐに誰もができるとは思っていません(なので、「お願い」なのです)。ですが、僕が認めている価値を、否定しないでください。僕は泣いてしまいます。
マイナスよりも、プラス
そうはいっても、「自分の身のまわりにいる人は自分の価値を否定してくる」という場合もあるでしょう。特に親から認められずに育つと、このような気持ちが強くなるのではないか、と勝手に思っています。
そのような人は、少し「損得」の考えをしてみてほしいのです。貴方を嫌っていて、貴方が悪い目にあってして喜ぶ人と、貴方を応援していて、貴方が幸せになって喜ぶ人がいるとします。もし貴方が損をすれば、貴方を嫌いな人は喜ぶでしょう。でも、貴方が得をすれば、貴方と貴方を好きな人の二人が喜びます。
貴方を嫌いな人と、貴方を好きな人、どちらを喜ばせたいですか?
いや、私を好きな人なんていない、と思う前に、現実を見てほしいのです。Twitterのフォロワーの全員が貴方を応援している、とは残念ながら言えませんが、よくリプライを送ってくれたり、時には親身になって相談に乗ってくれる人がいたりしませんか?それは、貴方の友人であり、貴方の幸せを共有できる人です(特に女性の人は、そこにつけこむ悪い人の可能性もあると思うので、信用できる人と信用できない人はうまく見分けてください。僕を信用してくれるととてもうれしいです)。貴方には幸せになる権利があります。自分が幸せになることは、全く悪い事ではありません。貴方が幸せでいることで、貴方の友人をも幸せにできるのです。
そうは言っても
ここまで長々と(3500文字ほど)駄文を書きましたが、僕の書いたことをすぐに実践できるという人はなかなかいないと思いますし、また実践してすぐ幸せになれるかといえばそうではないと思います。全く参考にならないという人もいるかと思います。
ですが、貴方が辛い思いをしているとき、少しでも思い出していただければ、と思います。何より必要なのは、自己肯定感です。それを身につけるのは、人によっては簡単ではありません。しかしながら、僕は、高専生、Twitterのフォロワー、ゲームで出会った仲間など、様々な人に恵まれたおかげで、自己肯定感を身につけることができましたし、歪んだ性格が少しはまともになったと思います。とはいえ、ひょっとすると僕のことを強いメンタルを持っていると思っている人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。発作的にとても辛くなることがありますし、ストレスに耐えられなくなることだってあります。それでも、メンタルが強い人っぽく振る舞うぐらいはできるようになりました。それまでに何があったのか振り返ってみて、自分でできることを書いてみました。
僕は、この記事を読んでいただけた人がどう思ったか察することはできませんが、応援することはできます。貴方が幸せでいることを願います。
この記事はこちらの企画の記事です↓
https://qiita.com/advent-calendar/2019/v-kosen