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まいねぇの東京物語1

ささやかな昭和年代記 1

「お母さん、お水」というと
「お水を誰がどうしたいの?」と
母にたしなめられた。

「あのね、
まーちゃん( 私 )が
お水を飲みたいの」
あわてて、そう言い直す
もうすぐ6歳の私。


母はじっと聞いてから
「だからお水を
どうして欲しいの?」

私はハッと気がついて
「お母ちゃん、
まーちゃんは のど が
乾いてるから
お水をちょうだい」
と、また言いなおす。

小学校へ
上がる頃だったろうか。
それまで田舎の母の実家で
世話になっているだけの
野生児のような子供。

そんな子供だった私は
自分のことを言うのも
「まーちゃんね、こうしたの」
という甘えた口調だった。

周りには親戚の大人ばっかりが
いて、そういう口調でも
誰にも
叱られたことがなかった。

でも、会社の倒産で
無職になった父が
東京に職探しに行き
仕事を得たと言ってきて。
私たち家族は
東京に
行くことになった。

2年くらい
別々に暮らしていた母は
「ようやくお父ちゃんと
一緒に暮らせるねえ!」と
喜んだ。⋯けれど

保育園も中退して
山深い田舎で
人間の友達もなく
ネコや虫を相手に暮らして来た
娘の私の山猿ぶりに
ハタ!と
正気になった。

( この子は東京に行ったら
すぐに小学校に入学だわ⋯ )

オマケに田舎の言葉しか
話せない。

ここに来て
意外と見栄っ張りな母は
頭をかかえた。

( まーちゃんをどうしよう )
そして特訓が始まった。

それまで、誰にも注意されず
自分のことを
「まーちゃん」と読んでいた

私は、それが甘えた言い方だとは思っていなかった。
なぜなら、周りの大人が
私のことを
「まーちゃん」と
呼んでくれていたから。

それは私のことを指す代名詞で
私は自分の名前は
「まーちゃん」だと
思っていたくらいだった。

村中が同じ苗字で
家族しか周りにいない

そんな環境の中で暮らす
子供の私にとって
戸籍上の本名は
必要がなかった。

でも、来年上がるのは
東京の小学校。
そこでは本名で生活するという。

知らない沢山の人と
ご飯を食べたり
トイレに行くのだ。

私も母から
これからの展望を教えられ
よく分からない期待をし、
コーフンし、そして緊張した。

それはここに集約された。

「ワタシには本当の” 名前 ”があった。 ワタシは まい なんだ」

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