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まいねぇの東京物語3

ささやかな昭和年代記 3

母は体が弱く、何度も
たおれた。
入院をすすめられるたびに
家で寝こんだ。

子供を4人産んで、
難産が続いたので血液が
人の半分くらいに薄くなって
元気がなくなって
しまった。

たおれる度に
私は代わりにご飯を作った。

2年生の時には
お味噌汁に入れるワカメを
水で戻して切った。

母から
「ワカメは、煮ると
大きくなるから
1センチに切ってね」と
細かく指示されて
必死で包丁をにぎった。

出汁をとったり
味噌をとくことを覚えた。

鶏のそぼろも
父が作ると甘すぎるので
母に聞きながら、
自分で味付けして
菜箸でかきまぜながら作った。

母が
そばで教えてくれていたから
何とか乗り切ってこられた。

だけど、とうとう
私が3年生になった時、
手術をすることになり
入院してしまった。

その頃のことを
あまり覚えていない。
妹がいたのに

大人になるまで
その時の妹のことを
ほとんど
思い出せなかった。

たまたま、その頃の話を
妹としていたら
「私は、その時に田舎に預けられていたから東京のことは分からないのよ」と言われて

「え?」と驚いた。
「いつ、行ってたの?」
妹は本気で怒ったように

「お母さんが入院するからって、
私だけがお父さんの
おばあちゃんちに行かされてたの。お姉ちゃん覚えてないの?」
覚えていなかった。

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