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やまいちのヒレ丼

うちの爺さんは陸軍で満州に行ってたらしい。
農家の口減しで奉公に出され、小学校中隊の爺さんが生き延びれたのは、偉い上官に付く衛生兵だったからと聞いた。砲弾が頭上を飛び交う中、胃の力がら逃げ延びてきたのだという。

爺さんは陸軍でソースの魅力に目覚め、何にでもソースをつけて食べる変な人になって帰ってきた。

親父はそんな爺さんの影響を受けたかトンカツが大の好物で、自宅でも時折揚げていた。

そういうわけで僕はトンカツもソースも子供の頃から好きだったわけだが、いざ上京してみると、世の中にはカツ丼というものがあることに気づく。

いや、カツ丼みたいなもの、もしくはカツ丼と称するものは田舎にもあったのだが、誰もカツ丼の出来で競ったりはしてなかった。

人口が多いということは、競争が多いということであることを必ずしも意味しないことは世界を何周かして分かったのだが、日本に限って言えば、人が二人いたら競争が始まる国なので実は我が国固有の特徴かもしれない。

とにかく、東京にはとんかつ屋が多い。上野には「御三家」と呼ばれるトンカツ屋があるし、他にもまあトンカツ屋というジャンルだけでも無数にある。

ところがここにカツ丼という亜種が存在する。
カツ丼は、元々は蕎麦屋で生まれたとされている。

海軍将校が蕎麦屋を予約して、そこにトンカツを出前させたものの、急ぎの会議があって食べられなくなった。

冷めてしまったトンカツをどうするか、ということを蕎麦屋が悩んで、卵とじにして温かい飯の上に置いて温めて食べた、というのが最初らしい。

そういうわけだから、トンカツ屋は本来、カツ丼を出す場所ではない。
カツ丼が何かこう、ウェットな感じなのは出自が蕎麦屋だからである。

だからカツ丼というのは、トンカツ屋のものではなく蕎麦屋のものなのだ。
ところが蕎麦屋の主役はあくまでも蕎麦である。

トンカツは蕎麦屋では主役になれない。
しかしトンカツのあのツユがうまいのは、蕎麦屋のツユだからだ。
蕎麦屋というのは、蕎麦そのものと同じくらい、ツユを大切にしている。あのツユを作るというのは並大抵のことではない。まあ詳しくは蕎麦漫画を読んでくれ。

しかし、世の中にはごく少数、極上のカツ丼を出すトンカツ店が存在する。

その最高峰が、神田須田町の「やまいち」だ。

先日、近くに立ち寄ったついでに寄ってみた。奇跡的に行列が途切れていたのでそれほど並ばずに入ることができた。

やまいちのヒレ丼

ここのカツ丼は、まるで芸術品だ。
唯一無二の趣がある。

衣はサクサクしていて、さすがトンカツ屋と思わせてくれるし、肉厚に切られたトンカツと、それをさりげなく包み込む卵、そして出汁のバランスがいい。

このバランスの良さに、つい病みつきになってしまうのである。
カツ丼とヒレ丼があるが、僕はヒレ丼の方が好み。

ただ、「トンカツ」の正道は、ロースらしい。
「カツ丼」と言った場合、普通はロースで出てくる。

ロースのカツ丼も美味いのだが、どうかな。僕はどうしてもヒレ丼に行ってしまう。歳のせいかと思うが、僕は20代の頃からヒレカツばかり食べてきたからトンカツのイメージがヒレに固定されてるのかもしれない。

そんなことを言っていたらトンカツが食べたくなってきてしまった。