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高崎に行ってきた

僕の親父はエンジニアだった。
彼は紙工場で三相交流のボイラー発電機を作っていて、僕に「全てはベクトルから始まる」と教えてくれた。彼はまだ小学三年生の僕に三角関数を教えようとして、「なんでわからねえんだバカ!」と僕を殴った。

今思えば教え方が悪い。分数を習ってない小学三年生に分数で三角関数を教えようとしても無理だ。アメリカ人の小学生に日本語で成田空港から秋葉原駅への行き方を説明するくらい無謀である。

今の僕は当時の彼よりもずっと三角関数について知ってるし、小学生でも三角関数を理解できるように教えることができる。僕が立ち上げた「秋葉原プログラミング教室」の教材には、三角関数どころかニュートンの運動方程式まで出てくる。能力さえあれば小学生でもそこまでたどり着くことができるようにしてある。

結局僕は、四年生になるまで自力で三角関数というものがどういうものなのか体験しながら学ぶしかなかった。

大人になった僕は、今も「全てはベクトルから始まる」と思っている。本当はテンソルと言うべきだが、高卒の父にはテンソルという概念は縁遠かったのだろう。子供の頃は、父が家に持ち帰ったプログラムを盗み見ては「もっとこうすればうまく動くのに」と思ったりしていた。とはいえ僕がプログラミングをするようになったのは、親父の影響が大きい。親父は最初の一日だけ僕にプログラミングを教えてくれたけど、一週間で親父より詳しくなった。子供とは元来そういうものだ。

父が紙工場で働くことになった理由は、祖父が同じ会社にいたからだ。コネ入社というよりも、他に選択肢がなかった。祖父は満州からの復員後、陸軍時代の上官から誘われて北越製紙に入った。親父は次男坊だったから、大学に行く金は出してもらえず工業高校を卒業してそのまま北越製紙でエンジニアとして働いた。

僕にとって本当のエンジニアとは、内燃機関エンジンを設計する人である。つまり父のような人だ。

大人になってゲーム業界やらアイテー業界の人が自分を「エンジニア」だと自称するたびに少し心の中で苦笑いしてしまう。君は一体、何体のエンジンを組んだことがあるのだ。

ソフトウェアエンジンにしても、何回それを組んだことがあるのか。おそらく、エンジンを組んだのではなく、エンジンの上で回る小さなスクリプトを書いただけの人が大半だろう。いや、それどころか、設定ファイルしか書いてない「エンジニア」だっている。

本物の内燃機関エンジニアリングの世界では、エンジンを買ってきて微調整する人を機械工メカニックと呼ぶ。全く別種の仕事なのだ。自動車会社にだってエンジンを設計する人はごく一握りだ。かつてホンダでは、F1のエンジンを設計した人だけが社長になれると言われていたそうだ。それは社内に数人しか居ない。

その縁で、紙パルプ業界の全国大会で基調講演をしてくれと依頼された。
まったく、ただの不良AI屋である僕によくもそんなだいそれた依頼が来たものだ。

しかし、祖父と父、そして父と母が出会ったのも製紙会社だったことを考えれば、いわば自分のルーツとも言える業界の依頼を断ることなど出来はしない。僭越ながら引き受けることにした。

子供の頃、OA化、今でいうIT化やDXのようなものが急速に進んでいて、当時は「ペーパーレス社会が来る」と熱病のようにマスコミが騒いでいた。

「ペーパーレス社会が来る」なんて言葉が新聞紙ペーパーに書かれたものが大量に出回っているのがおかしかった。

親父に「ペーパーレス社会が来るから親父の勤めてる会社は傾くんじゃないか」と言うとまず殴られた。

「バカヤロー。お前は言葉の上っ面だけを見てその裏にある意味を汲み取ろうとしないからそんなバカな話にノセられるんだ。いいか、今の社会の礎は紙だ。あらゆるものが紙で流通している。情報も、知識も、権威さえもだ。いいか、OA化して一番たくさん売れるのはなんだと思う?」

「えー?コンピュータ?」

「バカが。あんな高いモン、一回買ったら5年は使わないと減価償却できんだろ。紙だよ。紙」

「えー?紙が?なんで?」

「コンピュータの画面なんか、不便極まりないだろ。結局コンピュータの上で何が書かれようが、その計算結果は紙で共有されるんだよ。事実、OA化によって一番売れてるのはコピー用紙だ。うちの売上は右肩上がりだよ。コンピュータがどれだけ小さくなろうが、持ち歩けるようになろうが、紙のコストを下回ることは永遠にない。それに紙は何も情報を運ぶだけのものじゃない。建材にもなれば鼻紙にもなる。お前、コンピュータで鼻をかめるのか?」

それから数十年経って、一度本当にペーパーレスが実現できるかやってみようと思って紙の代わりにメモしたりできるタブレット型デバイスを作ってみた。しかし父がかつて言っていたように、紙のコストを下回ることは永遠にできそうになかった。

まるでアキレスと亀だ。

コンピュータがどれだけ進化し、軽く、柔らかく、安くなったとしても、紙のコストは常にそれを下回る。コンピュータの部品には紙かそれと同等の原材料マテリアルが必要だからだ。AIの時代になろうと、コンピュータは永遠に紙に追いつけない。

意外に思われるかもしれないが、僕は対面のプレゼンは必ず紙で行う。
現地の喫茶店で直前までノートPCで作業して、コンビニで印刷してから先方に向かう。だからホチキスは必ず持ち歩いている。

紙で行う理由は二つある。一つは、情報が無限にコピーされないこと。つまり「PPTでくれ」とか「PDFでくれ」とか言われると、コピーは永遠に残ってしまう。勝手に内容をパクられても文句は言えない(実際、パクられたことは何度かある)、けれども紙ならば、一手間必要になる。簡単なコピープロテクトだ。もう一つの理由は、偉い人が「よしこれをやってみるか」と思った時に、適切な担当者にすぐ紙を渡せるからだ。つまり、紙は情報を載せるだけでなく、責任の所在を物理的に移転する機能を持っているのだ。

もしも紙がコンピュータのようなデバイスだったら、こんな気軽に渡せはしないだろうし、渡せたとしても、普通の会社なら、「外部の人から渡されたコンピュータ」を施設内に侵入させることを許可するとは思えない。それは重大なセキュリティホールになる。

つまり紙の「書き換えられない」「ネットに繋がらない」という一見欠点に見える性質は、「情報セキュリティ」と言う観点ではかなり有利に働くのである。

講演後、父と一緒に働いていたと言う方が挨拶に来て下さった。

「YouTubeを見て、今日もTシャツとハーフパンツで来られたらどうしようと心配していました」

と笑って言った。
流石にその日は祖父と父が世話になった会社だから、珍しく年に一回か二回しか袖を通さない背広を着て行ったのだ。

しかしそんなリスクを背負ってまで僕を招いて下さったことは大変ありがたいことだ。事前に服装については(当たり前だが)何一つ指示されなかった。

「実は父上もこの大会で二回ほど講演されてるんですよ。素晴らしい内容でした」

そうなのか。そんなことは全く、想像もしなかった。
親父は口より先に手が出るような性格で、理不尽なことを言う工場長を殴ったせいで出世が遅れたと聞いていた。最後は課長まで行ったが、念願の課長になった年にゴルフのハーフタイムにビールを飲んでる最中に脳溢血になって回復しないまま定年した。

それで僕はビールを飲むのをやめてゴルフをしないことにした。
進化計算だ。

引退はしたが、親父はまだ元気に生きてる。