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KS-55 Hyperに再びハマる

今年のお元旦はニッポン放送でAIの番組をやるというので生放送に参加してきた。

その時、AIが選んだ曲が、Kraftwerkの「The Robots」だった。
ラジオ局というのは、オンエア中の放送がビル全体に流れている。
正月の誰もいないラジオ局、誰もいない廊下でひたすら「We are the robots」というセリフが流れ続けるのは実にシュールだ。

KS-55Hyperは、しばらく銀座のImagination Tankに置いていたが、週に2日しか開けない店のために置いておくのも勿体無いと思い、結局持って帰ってきた。

しかし改めて聞くとマジでKS-55Hyperは素晴らしい。
なんていうか、次元が違うという感じだ。

いいオーディオには立体感がある。
視力は目に見えて衰えるが、聴力はたとえ衰えたとしても、根本的な感覚としては変わらないのではないか。音を感じる力は、生命として生きる根本でもある。

かなりの下等生物でも、音には反応する。
直接音を感じる器官を持っていなくても、振動は感じ取ることができる。音は触覚の延長上の感覚であり、視覚は温感の延長上の感覚という気がする。

生物はなぜ光を求め、温もりをもとめ、体温を保とうとするのか。それはその体温が一番量子的現象が起きやすいからだと量子生物学では考えられ始めている。

量子現象が起きやすい状態とは、環境に最適化するために遺伝子が変化しやすい状態であり、光合成しやすい状態であり、渡り鳥が方角を見極めやすくなる状態でもある。

まだ発見されていないだけで相当数の生物学的現象が、量子的効果によって引き起こされていることがやがてどんどん発見されていくだろう。

どんな温度であっても、空気があり振動がある限り音はある。
振動とはなにか。繰り返し揺れ動くことである。

しかもその動きは決して一定でも単調なものでもなく、バラエティに富んでいて、一筋縄にはいかない。ひとつひとつは正弦波を源にしていたとしても、その変化こそが生命の煌めきであり、軌跡であり、それが奇跡なのだ。

我々が純粋に音楽を「愉しむ」ことができるのは、われわれが生命である証拠だと思う。

もしも音楽を愉しむ人工知能を作ることができれば、それはもう生命の仲間として認めてあげても良い。ロックンフラワーやVJには、一定程度、似た可能性がある。しかし、それは自律的ではない。

もしも自律的に音楽を選び、純粋に楽しみのために音楽を聞こうとする機械があったのならば、なんとなく、人はその機械に親しみを覚えたりしないだろうか。

KS-55Hyperは、そんな生命としての自分を呼び起こしてくれる。
ニア・フィールド・スピーカーの入門として、そしてピュア・オーディオの喜びをより多くの人に知ってほしいという動機からあえて戦略的な低価格で発売されているというが、倍の値段でもほしいと言う人はいるだろう。

生きる喜びのようなものが確かにある。
特に東京のような住宅事情では、本格的なオーディオよりも、KS-55Hyperのような機能が凝縮されていてごく個人的な聴覚拡張環境を得られるものにこそ大きな価値が認められるのかもしれない。あえてヘッドホンではなく、スピーカーから音を聴きたい。そんな気持ちにばっちりと答えてくれるのである。

銀座のお店は狭いので、KS-55Hyperは残念ながらそこまで真価を発揮できていなかった。それでも、まったくのオーディオに無知なお客さんたちも、「これなんでこんなに音がいいんですか?」と聞いてくることが度々あった。

でもさすがにKS-55Hyperを置いておくのはいくらなんでも勿体無いので、自分のために使うことにして、銀座には下位機種のKS-11あたりを置こうかなと考えている。KS-55Hyperより二回り小さいが、実力は期待できる。

昨年のOTOTENで、「おや、ずいぶんいい音が聞こえてくる部屋があるな、という部屋に入ったら、そこには大きなスピーカーもアンプもなく、KS-11が鳴っていただけだった。このサイズでこんな音が!と感動したのである。

KS-55Hyper、やっぱりいいなあ。
もしも在庫があったら、迷わず買うべきと断言できる。