見出し画像

泡が出るうちはシャンパーニュとは呼べない

ワインの魅力に取り憑かれたのは、あるお店がきっかけだった。
世界中どこを旅しても、結局はここに戻ってきてしまう。ガイドブックには決して載らない店。

10年ほど前、東浩紀さんと「ゲンロンカフェを作ろう」と約束したのもこのお店だった。僕にとっては特別な店で、特に思い入れのあるお店だ。

しかしコロナ禍でしばらく休業が続いていた。
先日、近くに立ち寄った際にふらりと顔を出したら、最近営業を再開していたらしいので珍しく予約してから再訪した。

この店は、いつも至高という言葉の意味を噛み締めさせてくれる。

まずはシャンパーニュの白と黒。白葡萄か黒葡萄か。どちらも液体は同じ黄金色だが、黒葡萄のほうが少し琥珀色アンバーに近い。

「泡が出るうちはシャンパーニュとは呼べません」

僕がワインに最初に入門した時から繰り返し聞かされたセリフだ。
シャンパーニュ地方でショ糖と酵母を加えてアルコール度数11度以上かつ瓶内二次発酵の過程を15ヶ月以上させるのが条件だが、それでも泡が景気良く出ているうちは、十分熟成したとは言えない。

実際問題、泡が景気良く立っている状態だと、炭酸の味が強すぎてシャンパン本来の味を味わう余裕がない。

それが良いものであればあるほど、泡が落ち着くまで寝かせてから味わいたくなるのだということが、ここに繰り返し通ううちにわかってきた。

今日の先付けはオイスターのアヒージョ。味がギュッと引き締まり、これまで食べたどんな牡蠣よりも濃厚で、まるでフォアグラのようだ。しかし全くクドくない。

この年齢になるとフォアグラはキツイが、これなら軽いのでいくらでも食べられる。

ジャン・マルク・ボワイヨによるポマールの村名ワイン

牡蠣でありながら濃厚なので赤ワインともよく合う。

スモークサーモンとチーズブレッド

自家製のスモークサーモンとも相性が抜群。
この店に来ると常にワインについて勉強することを諦めてしまう。
たかがブルゴーニュという一地方のワインだけで、千差万別といっていいくらい表情が違う。同じ品種、同じ村でも道一つ挟んだだけでまるで違った味わいになるのだ。

ワインをひとくち含んだだけで、あの広々とした葡萄畑の光景が蘇ってくる。

不思議なものだ。そこに立ち寄った経験が味わいをより深いものに変えてくれる。

ブルゴーニュ地方

そういえば、この店に前回来てから、ブルゴーニュには三回ほど行った。それ以前は、ブルゴーニュのワインは飲んでもブルゴーニュに行ったことはなかった。

以前はせっかく説明してもらっても全くイメージが湧かないワインの産地と生産者の名前も、鮮やかな色彩と香りとともに蘇ってくる。酒にはこういう楽しみ方もあるのか。

目玉焼きと白トリュフ

目玉焼きが出てきた。
これに白トリュフを贅沢にかける。卵とトリュフは文句なしに相性がいい。

ロベール・グロフィエのシャンボール・ミュジニー

合わせるワインはもちろんブルゴーニュの主役、ピノ・ノワール。
華やかな香りだが目玉焼きと白トリュフの香りと味わいを引き立てる。
これぞ、マリアージュ。

さらに意外なメインディッシュ

サバ塩焼き

まさかの鯖。久しぶりに来たというのに意表を突かれっぱなしだ。
この鯖、異常に美味い上に塩加減が絶妙。全く塩辛くなく、サバ本体の味を引き立てる。凄すぎる。

そしてこれがなぜかグロフィエのピノ・ノワールと抜群の相性。
全く理解できない。常識の外、理の外、なぜサバとピノ・ノワールか。

達人だけが可能にする最良のマリアージュだ。というよりも、むしろここまで来るとこれは恋の冒険劇アバンチュール。さしずめ今夜のグロフィエは、一夜のうちに次々とパートナーを変えてもいつも絵になってしまうドンファンか。

子羊のグリル

最後のパートナーは子羊。サバという予想外の変化球でも十分クライマックスだったが、このグリル、時間をたっぷりかけて火を入れているので信じられないくらい柔らかい上に羊特有の臭みが一切感じられない。どんな調理技術があればここまでのことができるのか。

ある研究によると冒険活劇の類型というものがある。
ロシアの魔法民話は、必ず主人公が地元を旅立つところから始まり、遠く離れた場所で悪者と対決し、最後に地元に戻ってくる、という一つの長い物語のどの部分を強調したかだけが変化して全て一緒である、という考え方だ。

ロシアの魔法民話に限らず、浦島太郎も桃太郎も、同じ基本構造を持っている。

シャンパーニュで旅立ち、目玉焼きと白トリュフというお馴染みの道を通り、サバというラスボスと邂逅したこの旅は、やはり肉と赤ワインという王道中の王道の組み合わせという故郷に戻ってくる。

なんという大団円。
しかもただのステーキではなく、材料を厳選し、最上の調理技術で調理されたものであった。

そして特別な夕食は感動のフィナーレを迎えた。

この文章は一体誰に向けて書いているのかと言うと、未来の自分に向けて書いているのである。というのもこのお店は、二度と同じメニューが出てこないからだ。そのときそのときで手に入る最良の食材だけでコースがその場で組み立てられるからである。なので、記録しておかないと二度と思い出せないということになってしまうのである。

そして店の宣伝をするのも野暮なので特に店の名前は記さない。興味があったら、直接聞いてください。

年に一度でいいからこんな食事をまたしたい。
明日からまた頑張ろう。

箸休めはカブ。これもめちゃくちゃ美味しかった