ど素人のピュアオーディオ入門(11) 10万円で買えるKS-55 Hyperによる想像力の拡張
さあ、ついに届いたクリプトン社のニアフィールドスピーカー、KS-55Hyper。
アンプ内蔵で10万円を切るという革命的商品で、発売直後から在庫切れが続いています。
もともと、マランツのアンプを買う時に、某技術系管理職から「仕事中に聞くならコレですよー」と激推しされていたのだが、「どうせ聞くならでかいスピーカーで聴きたい」と思っていたのでとりあえずアンプを買ったのだが、やはりリビング的なソファで仕事するというのはどうも落ち着かない。
また、技術系管理職から勧められた時は、最新のKS-55Hyperが在庫切れで、一個前の型落ちのやつを買えと言われていたのだが、どうせ買うなら新しい方がいいと思って躊躇していたのだが、ちょうどピュアオーディオ環境がスピーカー以外は一通り試したあとで、「やっぱりPCデスク用のオーディオ環境が欲しいな」と思えてきた。
最初に考えたのはPC画面の両脇にブックシェルフ型スピーカーを置くことだったのだが、よく考えるとブックシェルフだけ持ってきてもダメで、さらにもう一台アンプが必要になる。
しかも、僕の仕事机の場合、そもそも7画面くらいあるのでブックシェルフスピーカーを正しい配置でPCの前に置くことはインポッシブルであった。
そこで俄然、一度は諦めたKS-55Hyperに興味が出てきたのだが、ある日、クリプトン社の直販ページを見てみると、なんとレッドだけ在庫が復活していた。
これは天啓に違いない、と思ったら記憶を失い、1677万7216秒後に眼前にKS-55Hyperレッドが出現していた。これが物体引き寄せ現象か!
めちゃくちゃソリッドでカッコいい。
ちなみにこのスピーカーは、アンプ内蔵でかなりコンパクトであるにもかかわらず、内部的にはバイアンプ(低域と高域で別のアンプで駆動する方式)であり、DACまで内蔵している。
しかも、内部は平行になる場所がないように設計されていて、インシュレーターも一体化されている。
インシュレーターは、「振動を抑える」ためには必須であり、これが一体化されたのがHyperの最大の特徴である。
そして片側2kg近い重量はズシっとくるので、振動の制御という意味ではむしろ安心感がある。
左のスピーカーにはクリプトンのロゴが刻印されている。
右のスピーカーには電源はもちろん、アナログのピンジャック入力や光入力、USB入力端子などがある。
とりあえずいつものように冨田勲の組曲、「惑星」を流してみる。
凄い
何が凄いって、このサイズなのに、マランツのPM7000Nとソニーのトールボーイと同じくらいの品質の音が出る。
一概に比較できないが、マランツのPM7000Nは単体で13万円くらいするのに対し、KS-55Hyperはアンプ内蔵で10万円を切るという価格設定なのに驚く。
メーカーによると、KS-55Hyperは店舗に流通させるととても10万円では販売できないため、直販サイト限定販売になっているらしい。そこまでしてもピュアオーディオの入門者を増やしたいというメーカーの強い意志を感じる。
もちろん音量を上げていくと、PM7000N+トールボーイスピーカーよりも大きな音は出ないのだが、それでも高音も低音も十分すぎる表現力で、仕事中に聞くならばこれで十分じゃないのという気持ちになってくる。
ちょっと別のシンセも聞いてみるかと思って懐かしのP-MODELを流してみたがこれも実にいい。
あと、ジャズとかも全部いい。
アニソンっぽいのも聞いてみるかと思って菅野よう子のGet9。これも実にいい。
いやー、これはまじでいい買い物したな。
都内某所の超高級オーディオには比べるべくもないが、我輩にはこれで十分だ。
都内某所で聞いた曲をこれで流してみると、これはこれでいい。
やっぱいい音ってわかってる音源はいいね。
そしてT&Eの音楽を聴いて思い出した浅倉大介。
やっぱ浅倉大介もいいね。
浅倉大介の「winter mute」は、多分ニューロマンサーに出てくる冬寂っていうAIをモチーフにしてるんだと思うんだけど、KS-55Hyperで聴いてると頭の中にいろんなイメージが賑やかに出てきて楽しい。
しかし、KS-55Hyperを仕事用PCの前に配置してまさにニアフィールド・オーディオとして運用したらすぐに問題が発生した。
あまりにも音楽から浮かび上がるイメージが鮮明すぎて仕事に集中できないケースがあるのである。
んで、この「いい音を聞くと頭の中に韻にイメージが鮮明に湧いてくる」という現象はなぜ生まれるのか、僕なりに考えてみると、こういうことではないだろうか。
そもそも、人間というのは、視覚よりも聴覚に頼って生きている生き物である。
人間に限らず、ほぼ全ての動物がそうだと思うが、目を閉じることはできても、耳を閉じることはできない。
それは、寝ている間や暗い夜にも異常や外敵を察知し、身を守るためだろう。
つまり、視覚は動物にとってもともと補助的な役割を果たしてきたと考えられる。
また、音は必ずしも耳だけで感じとるものではなく、振動や触覚といったものからも感じ取られる。
AIの世界では、音や画像などモードの違うものを同時に関連づけて学習することをマルチモーダルと呼ぶが、人間は生まれた時からマルチモーダルで学習する。
母親の胎内にいるときから聴覚・触覚の学習は始まっており、10ヶ月後に生まれてから初めて視覚を得てマルチモーダルな学習が始まる。それは、痛みや空腹といった苦痛、満腹や安心といった快楽などから強化学習で学ぶ。
すると、人間を含む哺乳類動物は、まず胎内で音声のみの単一モーダル学習から始まり、生後に視覚を得て複合モーダル学習へと移行することになる。
全ての学習に音が先にあるので、再生される音にリアリティがあればあるほど、見えてないはずのものが見えるようになる。
我々現代人は、普段、iPhoneやカーオーディオで聴いてる聴覚範囲を無意識のうちに「人工音の発する世界」と区別し、それよりも再現領域の広い周波数帯を「現実世界の音」と認識している。
現実世界の音は、即座になんらかのビジュアルイメージを脳内で想起させる。
女性の口元から漏れる吐息、広大な砂漠、グラナダの古城、テキサスの荒野、暗闇にガラスの長方形が舞い、砕け散るイメージ、まっさらな湖面の上に金色に輝く格子、それを内側から食い破るように出てくる銀色の直線群。
これらは僕がKS-55Hyperで宇多田ヒカルや浅倉大介を聴いていた時に頭の中で生まれた実際の映像だが、同じ曲を聴いても、僕と同じ映像がイメージされる人は二人といないだろう。なぜならば、これは僕の、僕だけの複合モーダル経験だからだ。これが「ピュアオーディオによる共感覚的体験」の正体だろう。つまり、厳密にはこれは共感覚ではなく、哺乳動物なら誰でも持っている感覚と言える。
おそらくそれは、AIと僕との根本的な違いと言える。つまり、AIは哺乳動物のように生まれたり育ったりはしない。とりあえず今のところは。
音楽だけから頭の中に明確なイメージを得るには、自分で実際に何をどのように経験したかということが非常に重要になる。
逆に言えば、これは、歳をとっていろいろな経験をすればするほど、ピュアオーディオは豊かな景色を見せてくれるということでもある。
人間が本来は聴覚優位な存在であり、視覚が補助的な存在であるからこそ、聴覚から視覚的イメージが生まれる。これ、視覚から聴覚的イメージを浮かべるのは大抵の人にとっては難しい。それができるのは本当に作曲家のような、作曲ができる人だけだと思う。
僕が師と仰ぐ水口哲也さんに、デスバレーの砂漠に初めて連れて行ってもらったことがある。しかも、最寄りのラスベガス空港ではなく、ロサンゼルス国際空港からハマーをレンタルして、5時間も掛けてネバダ州に移動しながら向かうのである。
ロスとラスベガスの間に広がるモハべ砂漠には、日本では到底見たこともないような奇妙な植物が、まるで宇宙人のように大量に生息している。
僕は初めて見るその光景に、世界の広さと言い知れぬ不安と、そして微かなワクワクを感じながら、水口さんとヨーコ・オノの非公開の対談音声を聴いていた。水口さんは長旅の疲れで寝ていた。
そしてついにデスバレーに到着すると、そこは想像を絶した世界だった。
「清水、この砂漠を見ろ。この広大さを。何万年も前から変わらぬ宇宙の奇跡を。僕はこの砂漠を見て、Hevenly Starを書いたんだ」
この曲は日テレの情報番組「スッキリ!」のオープニング曲にもなった水口さんプロデュースの「元気ロケッツ」の代表曲だ。
思えば、この時から、水口さんは自分が五感で体験すること全てを使って、さらにその五感を高めて音、映像、振動で再現し、増幅するということを意識していたのだろう。その後、水口さんは慶應義塾大学でバイブレーションスーツとVRの組み合わせに傾倒していく。
水口さんと初めてデスバレーに行った時の新鮮な感想がYouTubeにまだ残っていた。
2008年か。そんなに前でもないような、でもあれから13年経ったのか。
一つ大事なことがわかったのは、僕にとってピュアオーディオとは、単なる個人的な趣味や「できればよりいい音で音楽が聴きたい」と言ったような、矮小な目的で取り組むべきモノではないということ。元からそもそもそういうことに興味がなく、むしろピュアオーディオというのは、自分の経験の増幅装置であり、検索装置でもあるのだ。
ピュアオーディオから想起されるイメージの数々は、過去に自分が経験したモノでしかあり得ない。すると僕は、ひとところにじっとしていてはいけないのだということもまたわかる。僕が水口さんの影響を受けてから、世界を流離うことを決めたのは、決して偶然ではなかったのだ。
そうして自分の中に蓄積した様々な経験が、僕を僕たらしめていて、僕の発想というのは、結局そうした世界の流離いの旅から生まれているのである。これは他の誰にも持つことのできない、僕だけの経験であり、おそらくそこに価値がある。
水口さんは「イマジネーションは移動距離に比例する」とよく言っていた。
おそらくイマジネーションは自宅で再生可能な周波数特性の幅にも比例するはずである。
簡単に言えば、ピュアオーディオを所有するということは、「頭が良くなる」助けになるはずであると今では確信を持って言える。僕にとって、その出発点は、もしかしたら浅倉大介だったかもしれない。
これまでは、むしろ放浪することにエネルギーを割いていたので、僕が聴いてる音といえば専ら、ジェット旅客機の風切り音だけだった。今は幸か不幸か、日本から外に出れないで居るので仕事場にどうしても縛り付けられる。故の、ピュアオーディオによる想像力の拡張が必要なのである。
そういえば、サラリーマンだった頃、何か大事な企画を考えるときには、メインのオフィスから少し離れた誰もいない会議室で、爆音で音楽を聴きながら外界との接触を断って集中したものだ。
KS-55Hyperは、あの頃の僕だけの貴重な時間を取り戻してくれた。
というわけでKS-55Hyper、もしも購入を検討してる人がいたら、強烈にオススメです。在庫があるなら買うしかない。争奪戦です。