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ど素人のピュアオーディオ入門 2.44.1chの究極スピーカーで体感する新体験

水口哲也という男がいる。

敏腕ゲームプロデューサーであり、セガラリー、Rez、スペースチャンネル5といった意欲作を次々と発表し、キュー・エンターテインメントとして独立後はルミネスのようなパズルゲールから、ナインティナイン・ナイツのような硬派なアクションゲームまで、幅広い作風を持つだけでなく、元気ロケッツのような音楽ユニットのプロデュースも手がける。

彼がRezによって開拓したデジタルエンターテインメントの新しい領域、「シナスタジア」は、形を変え何度も何度も挑戦し、組み合わされ、高められていった。

特に、PSVR用に再度リメイクされたRez Infinite(のちにQuestなどでも遊べるようになった)は、20年前のゲームをVR化したとは思えないほどに世界観が忠実に再現され、かつ、エンターテインメントとして高度な次元で成立していた。

昨年は最新作HUMANITYを発売し、パズルゲームでありながら順を追って世界観を語っていくという手法で人間性ヒューマニティというテーマに鋭く切り込む野心作を発表。

そんな水口哲也を師と仰ぐ吾輩は、HUMANITYを遊んでいたら久しぶりに水口さんに会いたくなった。

水口さんの事務所「Enhance社」に赴くと、早速案内されたのが、「シナスタジアX-1」という体験装置だ。

44個の独自開発したスピーカーユニットと2chのスピーカー、そして0.1chのサブウーファーによる完全にオリジナルな音響体験システムである。

「まずは何も知識を得ずに体験してほしい」

そう言われた吾輩は言われるがままに44個のスピーカーの上に「寝そべった」

そう、スピーカーに相対するのではなく、スピーカーに身体を預け没入する。それがシナスタジアX-1なのだ。

まさかの寝て聞くスピーカー

これはオーディオ装置の一種ではあるが一般的なオーディオシステムとはまるで別物だ。

そもそも2.44.1chを同時に演奏するツールは存在しない。そこでツールの開発から行なっている。

スピーカーというのはとどのつまり、空気を振動させて、鑑賞者の両耳に音を運ぶだけのものだが、このシステムでは身体全体が振動を直接受け取る。良いスピーカーは音が割れず、音が割れないから心地よい振動が身体を包むような感動がある。

ジャズ喫茶の名店、ベイシーでの体験はまさにこのようなものだ。しかしシナスタジアX-1では振動が前からだけではなく、後ろから、後頭部から、足の裏から、身体全体をマッサージするように伝わってくる。全く体験したことのない感覚だ。

そこから始まる一編の「作品」は言葉では説明のしようのないものだった。
臨死体験的であり、同時に映像の要素をほぼ完全に排除したシステムであるにもかかわらず、頭の中で様々な映像がまるでStreamDiffusionのように無数に立ち現れては消えていく。終わった後も数日は眠るたびに脳がこの体験を思い出して落ち着いて眠れなかった。それくらい強烈な体験を実現するシステムなのだ。

その後のインタビューの様子は、現在YouTubeチャンネルで随時配信中だ。吾輩が感じた印象を語るよりも映像を見て読者諸氏に判断していただきたいところだが、あえて文字で語る愚を犯すとすれば、どうやら、水口哲也はこのシナスタジアという研究を通じて、人類の次なる地平を開拓しようとしているようだ。

単なるオーディオ装置でも、いわゆる「メディアアート」作品でもない、全く新しい人間の本質的な能力を拡張enhanceする"何か"を作り出そうというのだ。

それが一体どんなもので、どんな形になるかまだ想像もつかない。
しかし久しぶりに、何かワクワクする体験ができた。人間の想像力が自然に膨らむような道具を、AIとは全く別のアプローチで実現しようというのだ。

確かに、人工生命の文脈で考えると、例えば酵母の発酵中にオーケストラを聞かせると味が激変することが知られている。

獺祭の発酵中にオーケストラを聞かせて作られた「交響曲・獺祭・磨」は確かに普通の獺祭とはまるで違う味になる。

僕は普通の獺祭よりもこちらの交響曲・獺祭の方が好きだ。これは好みの問題もあるので人によるが、日本酒でありながら日本酒とは思えない味わいで、尚且つ日本酒っぽさもより強調されるという売文屋泣かせの銘酒だ。

普通、「いい日本酒」とは、「水のようにスッと飲める」と定義されることが多い。それに比べると「交響曲・獺祭」はむしろ生命感がありすぎて「スッと飲める」というほど気軽には行かない。しかし、安い日本酒にあるようなえぐみとは無縁で、むしろ飲むと元気になる気さえしてくる。

普通に考えて、工事の騒音の中、ストレスフルな環境で作られたものと、静かな場所でつくられたものが、同じ生き物が作るものなんだから同じようになるわけがない。

僕がオーディオにハマったのも、オーディオを聴いていると頭の中に色々な映像が浮かんでくることに気づいたからだ。ジャズを聴いていると仕事が捗り、テクノを聞いていると創造的な気分になることに気づいてからその質に拘り始めたのである。いわば僕にとってオーディオは仕事道具であるとも言える。

その延長上ではないが、シナスタジアX-1が目指すところはそこにかなり近いところまで行っているのではないか。

交響曲を聴きながら発酵する酵母たちも、シナスタジアX-1に身体を預けている時の僕と同じ気持ちだったのかもしれない。