「いいファン」一考

深夜に大音量でライブDVDを観て、ファンが作ったMADを観て、Youtubeで昔のPVを漁ったりしていたらふと思った。「私、このアーティストのこと追いすぎじゃない?」って。

歌い踊る美しい姿を観ると、仕事でどっかにいってしまった自我が正しい位置に戻ってくる感じがある。自宅が肉体的な家なら、アーティストは精神的な家のような感じ。だから、「ハァハァ、かっこいいよハァハァ」と粘度高い視線で見つめているわけじゃなく、「はー疲れたポチー」くらいのテンションで見てる。

だけど、それにしては彼のパフォーマンスに毎回新鮮さを感じすぎなので、この気持ちは一体どこから来るんだろうと不思議に思った。

そもそも、それが仕事だろうと何だろうとファンクラブが存在する側の人間になったことがないから、彼らの気持ちが1ミリも分からない。私なんかは自己肯定感が低い星の下に生まれてしまったから、万が一他人に「私はあなたのファンです」と言われたらリップサービスみを感じて即距離を取ると思う。

「(ファンとは)個別に友達になりたいわけでもない」の所で笑っちゃった記事。でも、芸能人に気軽に話しかけられる人のメンタルへのモヤモヤが言語化されていてスッキリした。

「有名にならなくてもいいから地元でライブをしてほしい」「私にだけ握手してほしい」「名前を覚えてほしい」といった特別待遇を望む人は、ファンというよりも自分の欲望を満たしてほしいだけ。「ファン」の肩書を名乗りながら、応援対象の相手のことは見えていないな、と思います。
 私自身、ファンの方のことは好きですが、個別に友達になりたいわけでもなく、「はあちゅう」として夢をかなえていくところを見てほしいし、それを応援してくれる人が私にとっての一番のファンだなと感じています。

かといって、親でもないんだから「はあちゅう、夢、叶えたね、うれしい」って涙は出来ない。私の理想の形で発信をして、とまでは言わないけど、ファン還元もなく突き進まれてもちょっと応援出来ない。夢を叶えるならファンが必要なわけで、ならファンも巻き込んでWin-Winの形で完成するのがいいんじゃないのかな。

この記事を読むと、ファンクラブの年会費も払ってるし、ライブDVDも買ってるし、勢いに任せてライブグッズも買ってるし、「名前覚えて」なんて思わないし、2万人以上の会場でライブしないでとは思うけど、オフの姿とかいらないと思うし、適当な距離で「いいファン」をやってるっていうことになる。

そしてこうやって正当化ばかり上手になるのが見えて自分で気持ち悪くなる。そんな感じ。

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