見出し画像

🧷表現と余地

こんなことばかり考えている。こどもの頃からずっと。
そんなことを思い出す時間を持てる誕生日なんて幸せなんだろうけど。


表現、特に演劇や音楽といった時間に支配されるものについて、その表現はどうあるべきか。

SNSにあった「観客のための余地を残すか残さないかが大切なのではないか」

「観客のために」とか「観客席に向かって」ではなく「余地」を考えること。それはすなわち表現することのそのものではないのか。

私たち人間は、空気のために何かを発する訳ではなく、意識下にはなくても、自分自身が記憶したことを踏まえてなんらかの行為をするわけだから。

西川祥子さんからもらった
宮沢賢治「星めぐり」のお菓子


だけど音楽は演劇とは違う。
観客を前提にしないものも存在していいはず。
だれのためでもない、自分だけの、大切なものもある。
それを忘れないでいこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?