わたしは何をやっているんだろう。
ライブのために準備して作曲したりアレンジしながらリハをして、作曲やアレンジの書き仕事をして、その合間にバカみたいに本を読んでる。
そこにこのところ増えてきたのがピアノを弾くこと。
必然がある時に全然ピアノを弾くけれど、練習のための練習はできないから、必然がなければピアノは弾かない。
なのになぜかずっとピアノを弾いている気がする。
それも楽譜に書かれた音の。
マタイのプロジェクトに関わってから、歌手やオケの練習で音符を弾くことが増えた。でも時期的なものだから、普段はそれほどでもなかった。
それがなぜだろう、このところ、急に増えたという気がする。
スケジュールを見返してはたと気づく。
短い期間に、バッハの音楽の捧げ物があり、ピアノソロでのシューベルトがあり、夜の音楽での立岩さんのウスクダラがあった。
あー、どうしてこんなことを企画したのか、引き受けたのか。
どれほど後悔しても、結局は楽曲の魅力にやられたのであり、自分の責任であり、粛々とライブの日はやってくるから、楽曲と向き合うしかない。
わたしに課せられたタスクは、その曲を魅力を引き出すことだと常々思っているから、それに向けてピアノと向き合う。
そして結果としてキャパの長い曲が多いので、自ずと気づけば夜明けになっていたり、びっくりするほど長い時間ピアノを弾いている。
どれも、早くも遅くもない適度な8分音符が折り重なる音型による曲。
これって、超絶技巧とか、そもそもピアニスティックなものは弾けないわたしでも演奏は可能ではあるけれど、正直言ってめちゃくちゃ難しい。
早いパッセージを世界観で持っていってしまうことも、白玉の響きで誤魔化すこともできない。
「素」の世界。
わたしの演奏する「素」は、ボコボコで、全然上手ではない。
だけど、この時間の積み重ねが、この時間の積み重ねがを与えてくれたことこそが、それぞれの世界をより深く理解させてくれて、伝え得るピアノ演奏に投下させてくれるはず。
その「素」を裏付けるためだけではないけれど。
いろんな歴史を、文化を、意見を知るために。
今日もバカみたいに本を読む。
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