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自分にとって「夢小説とは何か」を考えてみた

突然だが、私は夢女子である。
小学生くらいの頃にはその自覚があり、個人サイトからSNSに至るまで様々なツールや作品を通して「夢小説」という媒体にお世話になった。
否、現在もなり続けている。

さて、ここ最近疑問に思うこととして、
自分にとって「夢小説」の何が魅力として映り、なぜ夢女子というカテゴライズに自分が属しているのか
というものが挙げられる。
気づいたら夢女だったもので確固たる理由が今のところ思いつかないのだ…。

そんなわけで、このnoteでは、とりわけ二次元のキャラに対して恋愛関係になりたがる自分自身の心情や傾向に対する「なぜ」を言語化し、まとめていきたい。



そもそも「夢女子」とは

【夢女子】とは
 女オタクの一種で、「夢小説」ないし「」創作を好む女性を指す呼称のひとつ。「夢見乙女」「ドリーマー」と形容されたり、性自認を踏まえ「夢者」と名乗る人もおり、人によっては名称が違うこともある。
例えば作品内に登場するキャラクター(二次元キャラクター)と自分あるいは自分の作ったオリジナルキャラクターとの恋愛関係(異性愛同性愛)を好んだり、恋愛関係でなくとも友達・家族などキャラクターと何らかの形で関わる創作を好む女性を指す。

ピクシブ百科事典

夢女子における、キャラとの関係性や楽しみ方も大きく分けて二通りある。

①自身がオリジナルキャラクター(夢主)になってキャラクターと出会い、恋愛・友情などの交流を楽しむ。「夢主=自分」または「夢主≒自分」と表記されていることが多い。
②自身ではなく、自身で創造したオリジナルキャラクター(夢主)をキャラクターと出会わせて、作品に登場しない第三者(あるいは神の)視点で恋愛・友情などの交流を楽しむ。「夢主≠自分」と表記されていることが多い。

ピクシブ百科事典

①と②のわかりやすい区分として一番に考えられるのは、名前変換機能(「ドリーム機能」とも言われる)において、夢主の名前を自分の名前とする、もしくは自分と似た名前にする(苗字だけ変えたり、名前をあだ名や略称にする形)のが①、自分と完全に違う名前にしたりするのが②ではないだろうか。
ちなみに私は①側の夢女子であり、基本的にキャラと自分が恋愛する小説などを見るのが好きだ。
ただ、自分は夢主=自分というよりも、自分のなりたい姿や理想を詰め込んだもう一人の自分を夢主として動かしているため、どちらかというと夢主≒自分だと思われる。


「夢小説」の魅力

さて、夢小説の一番の魅力といえば、キャラと恋愛ができることである。
この世に漫画や小説、ゲーム等々作品がごまんとあるわけだから、どこかしらに自分に刺さるキャラというものは存在するものだと考えているが、夢小説の存在によって「仮に好きなキャラが恋人になったらどうなるのか」という乙女思考的な何かが叶えられ、好きなキャラの照れた時の行動や好きな子に対する態度などを創作の世界を通してみることができるわけである。
物語が進むにつれて、夢主とキャラの関係性が近づいていき、もはや少女漫画をよく読んでた頃を思い出す。
というか、少年誌や青年誌作品に夢小説が多い(夢女人気が高い?)のも、普段戦いや青春や部活に全てをささげているキャラが恋愛をするとしおらしくなったり、慎重になったり、優しく、甘くなるというある意味ギャップ萌え的なものなのでは・・・?とも思えてきた。

また、これは①夢女にいえることかもしれないが、夢小説という作品にのめりこむポイントとなるのが、名前変換機能ではないかとも思う。
変換機能において(個人情報的にグレーな感じもあるが)自分の名前やそれに似たものを入力することによって、結果、好きなキャラに自分の名前を呼んでもらえる。
名前を呼ばれるという行為は、そこにその人が存在しているという認識の表れであり、次元を超えて自分という存在がキャラの前にいるという理解を頭の中で起こさせるのではないか。
夢小説を読むときは、思い込みや妄想力が不可欠であり、その世界に入りこむことが大切ではあるものの、「名前を呼ぶ行為」を通して、キャラに「自分という存在がここにいる」と認めてもらえ、「キャラと自分が恋愛している」という錯覚を引き起こす。(もちろん夢小説作品ごとに夢主のキャラは違うので、全てに錯覚を起こすわけではないが)



「私」が夢女子というカテゴライズの中で生き続ける理由

ではなぜ、自分は夢女子として生きるのか。

第一に、昔から現実世界から逃避する癖が私にはあった。

私には、好きな遊び場なんてどこにもなかった。外の世界に好きな場所はひとつもなかった。他の子たちとどう接したらいいかよくわからず、いつもどこにいてもうっすら居心地がわるくて怖かった。少女マンガに没入することだけが私の居場所で、その世界に溶け込んで自分が消え失せるのが喜びだった。

川口晴美「怖いと思うのはもうやめた」ーユリイカ「女オタクの現在_推しとわたし」より

川口氏のように私も幼い頃、同い年の子や周りの子、近所の子と馴染めなかった。学校から帰ったら外に遊びにいくのではなく、学校から帰ったらすぐアニマックスをつける子供であったし、長期休みは一日中アニメを見ていた。それが当たり前で、時間を忘れて「物語」に集中することが楽しみであり、喜びであった。

漫画の世界、すなわち非現実に憧れの気持ちを抱き、「いつかこんな生活が送れたらなあ」と日々思っていた。(これは今も)
だからこそ、自分(≒自分)が夢主という形でその物語に加わり、憧れた生活の一部分となっている事が堪らなく楽しいのだと思う。
(ここは②派の夢主≠自分ではない人からは賛同は得られない部分だとは思うが)

約10年くらいの間、私は文章を通して様々な「私」として存在をしてきた。
スポーツに青春をささげる男子高校生の恋人となり、時にはマネージャーやプレイヤーとなった。
魔導士になってギルドに所属しながら冒険したり、魔法使いになって魔法界の英雄と共に魔法学校に通った。
死神や呪術師、ヒーローなど謎の職業にも就いたし、戦国時代や室町時代にタイムスリップしたり、突然歌舞伎役者や悪魔の執事を従えた貴族にもなったり、真夏に一家総出でAIから世界の平和を守ったりもした。
もちろん、普通にのんびり高校生活を送る男子校生たちの幼馴染兼恋人として、普通にJKライフを過ごしたこともある。

これは全て、私ではない私が送った青春であり、しかしながらその事実というのは形としてハッキリと残っているものでは無い。
自分ただ1人が「あの時、あの人がああしてこうだったな〜」と記憶しているのみである。


また、第二の理由として、夢小説という媒体を通して「なりたい自分になれる」というのも魅力ではないかと考える。
名前変換機能というものがあれど、夢小説ごとに夢主のキャラは異なるわけで、ドジっ子で天然な夢主もいれば、クールで冷静な夢主も、清楚キャラも不良もいる。
「憧れる性格の子」に夢小説と名前変換機能を駆使して変身できるというわけだ。

本当の自分とキャラの恋愛であれば、どこか冷静な気持ちに戻ってしまう夢女もいるだろう。特に自己肯定感が低ければ、「いやなんで素の私のこと好きになるわけ?」とか疑問に思わないか?私なら思う。
接点と惚れる要素マジでどこやねん。と

しかし、理想の自分という「自分の中で誇れる見た目や性格、能力を持った自分」とキャラであればそんな疑問点も出てこない。
ある意味誇れる自分であり、納得できる自分なのである。

(第三の理由もあるのだが、これは私視点が特に強いのでかっこ書きさせていただく。
第三の理由は単純に夢小説は自分の「理想」と、こう動いてほしい、こう言ってほしいという「欲」が絡み合って作られるものである。
だからこそ、夢小説のキャラは基本的には私に向かって心無い言葉は浴びせない。ブスとも死ねとも消えろとも言わない。攻撃してこないという安心感が強く、彼らは傷つけてこないという確固たる自信がある。
・・・ものにもよるが基本的には傷つけてこない。)



夢女子でいることは幸せなのだよ、ワトソン君。

夢女子で生きているとどうなる?
 知らんのか?生活のQOLが上がる。

こんなカッケェ彼氏いるし、さすがにまともな見た目するか~となるし、へこんだら脳内で慰めてくれるのだ。最高じゃないか?

まあ、ガチ恋夢女なっちゃうと色々拗らせて泣くこともあり、ちょっと大変ではあるけども。
二次元の悪いところなんて画面から出てこれないことくらいだよ。

夢女でいることを後悔はしたことないし、特に恋人欲しいとかも切実な気持ちにならない。
最悪自分が妄想できる脳みそさえあれば永遠に供給ありな世界なので実質結婚と変わりないよ。オーケー、いい視点を持ったな。

そんなわけで、いつでも「夢女子」というクソデカ現実逃避を楽しみながら、ギリギリの現実生活をどうにか送れているというわけなのである。


作品の世界に没頭して時間を忘れるのが一番の至福ってことさ!!

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