キッカケ

この世にはたくさんの職種があり、だいたいの人がその道を選んだ理由があるはず。

今回はなぜ僕が芸人になろうと思ったのか。
それをお話したいと思います。


話は高校生の頃にさかのぼります。



僕は当時東京都の下町にある高校に通っていました。
その高校は決して頭が良いとは言えず、それはそれはギラギラした人が多くいました。
いわゆるヤンキー高校です。



僕はその中でも同じクラスのヤンキーFくんに目をつけられてました。

Fくんは見た目とガタイがほぼミスターSASUKE山田勝己で、顔が気に食わないという理由だけでその子のお腹にキックを入れたり、授業中にAK-69をひたすら流し続けるヤカラだった。
しかもFくんは地下格闘技をやっていてめちゃくちゃ強く、誰も抵抗したり言い返したりできませんでした。


では何故そんなFくんに目をつけられたのか?というと僕は小中学生の頃はムードメーカー的な存在で、学校のおちゃらけキャラでした。


その感じで高校に入学してすぐの休み時間にめちゃくちゃカッコつけてコブクロの蕾を熱唱してたら「面白いやつが3組にいるらしい!」と学校中の噂になり、色々なクラスの人が僕を見にやってきました。


それをよく思わなかったFくんが「別におもしろくねぇーわ」「調子乗んなよ」などと言い僕に詰めてきました。(たしかに今思えばコブクロ熱唱するだけなのは面白くないし調子にも乗ってたし正論)



小中とヤンキーのいない平和なスクールライフを送っていた僕はそれに対して小さな声で「へぇーす」と謎の返答をするのがやっとでした。


それからというもの僕は机の上にシュークリームを潰して擦られたり、柔道の授業で寝技に持ち込まれ首を絞められて気を失ったり、バリカンで坊主にされたり(ベタなのは基本やられているので省く)と色々なことをされました。



そして高校1年生の時の文化祭前日。
事件は起きます。


僕は文化祭の準備中、急にFくんに廊下に呼び出されました。


するとFくんは開口一番


「このフィリピン人貸すから明日漫才やれ」



そう言うとFくんは横にいたフィリピン人の同級生Mくんを僕に差し出し去っていきました。






は?



脳内真っ白。
全然喋ったことのない同級生のフィリピン人Mくんと漫才をやれ??
正直全く理解できませんでした。



しかし逆らったら次はなにされるかわからない。


この状況を冷静に受け入れてとりあえず僕はMくんを連れて、放課後近くのマックへ。


その当時からお笑いは好きでしたが、テレビでやってたら観るくらいのレベル。
当然ネタなんて書けるわけありませんでした。
なので当然煮詰まる。


これはもう無理だなと思った僕はYouTubeでサンドウィッチマンさんのネタを観せて、これを全く一緒の感じでやろうと話を持ちかけました。
するとMくんは、、、、




「いや、パクるのはなんかなー」



急に謎のストイックさ。
正直むちゃくちゃムカついた。
何のプライドだよ。


結局何時間経ってもネタができず。


集中力も切れ、めんどくさくなった僕は
「もう明日はアドリブでやろう。僕が何か言ったらMくんは「バナーナ!」って言って。」

そういって長い長い人生初めてのネタ合わせは終了した。



−そして本番当日−






まさかの馬鹿ウケ




「バナーナ!」がお客さんにハマるハマる!!!


今までムードメーカーとして何度も笑いはとってきたものの、今まで感じたことのないレベルのウケ量!!!心の高ぶり!!!
なんかめちゃくちゃ気持ちが良かった!!!


その瞬間に僕の夢は決まりました。


今となって色々と思い返してみればFくんにやられたことに対して僕は


「何やってんのよー!」

「やりすぎー!やりすぎー!」

とツッコミで返して、笑いに変えてた。

これは正直僕がまわりからいじめられてるという目でみられたくなかったから。

自然と「いじめ」を「いじり」へと自分の中で勝手に変換してたのかもしれない。

なんか色々と難しいけど、芸人になるキッカケをくれたのはFくんだし、こうやって話にもなるし、ツッコミもたくさん練習できたし今ではすごく感謝してます!!!!



ありがとう!!!


ちなみにその後一緒に漫才をやったMくんにコンビ組んでまたやろう!って言ったら「笑われてた感じがしたからもういい」って断られました。


マジストイック。



 

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