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歳を重ねても賢くはなれない

自分の過去の日記帳をパラパラ読み返していて、「あの時こんなことで悩んでたなー」とか「意外といいこと言うじゃんこの時の自分」みたいに感じることもあるにはある。でも第一に「これを物理的に残したまま死ねないな」と思った。

顔を覆いたくなる闇歴史は山ほどあるけど、何者かになりたくて外側に向けて人様に見せたそれと、内省のなかで人知れず思いの丈をぶちまけたこれとでは全く闇歴史の類が違う。
このノートを身近な人に見られるのはあまりにも辛すぎるし、恥ずかしすぎる。

自分の身に何かあったら〜とか縁起の悪いことはあまり考えたくないが、人間いつ何があるかわからない。平等にいつか必ずこの命は終わる。このノートは潔く処分することに決めた。

そんなこんなで、日記はメモアプリに移行した。クラウド上であれば安心ってわけでもないけれど、一応パスワードやら二段階認証やらをかけていることへの安心感はある。

頭に浮かんだことや今日あったことをどんなに粗っぽい言葉でもとにかく乱雑に放り込めるので、紙のノートに書くよりも気軽になって毎日何かしら書き記すことが習慣になった。

自分は普段よそに向けて何かを書くときに「誤解されること」を恐れてしまいがちだ。感動まかせに言葉を発してその間にある細やかな感情を表現することをあきらめてしまうことも多い。

誰から見ても突っ込まれないように、人に誤解されないように、失望されないように、無難に、丁寧に、清く正しく。みたいな。(もちろんそんな完璧にはできてないんだけども)

人の目に触れるところに出す以上、万人に同じ捉え方をされるなんてことはありえない。起きてもいない突っ込みに対して予防線を張る作業は結構疲れる。

この間、母が家にきたときにこんなことを言われた。「これから先、いろんな人の心無い言葉に傷つくこともあるだろうけど、みつこには『自分は自分!他人に何を言われても関係ない!』と我が道を突き進む強さを持って生きてほしいな」と。

わたしは「わたしには無理だな。どうしても気にするし、くよくよしてしまうと思う」と弱々しく答えてしまったけど、もしそうなれたら、この生きる世界を今より明るく感じられるんだろうか。

少なくとも今、新しくダウンロードしたメモアプリの中で「自分は自分!」とのびのび楽しくやれてる感覚があるように。


この週末、Taylor Swiftの新譜「Anti-Hero」をじっくり聴いていた。

この曲は、彼女自身の中にある"不安"について書いた曲。
今や世界のトップを駆け抜ける大スターなのに、もうめちゃくちゃに人間らしくて、真面目で、悲痛で。何度も歌詞を読んで、泣きそうになった。

テイラーのこういう自分の気持ちを言語化する力は本当に素晴らしい才能だと思う。そして年々その表現力がめきめきと加速していってる気がする。

自分のことは自分が一番よくわからないし、理解するのはとてつもなく怖いことだ。他人の評価は気にしてしまうくせに、自分の気持ちと向き合う方がもっと怖い。でもそうしていくうちに、何もできないままどんどん時間は過ぎていく。


人間は複雑で難解な生き物だ。
自分がどんな人間なのかすらはっきりわからないのに、他人なんてとてもわかりっこない。

「この人はこんな人」とレッテルを貼れる人なんてこの世にひとりもいない気がする。皆きっといくつも顔を持っていて、それをうまく制御したり、見せ方をコントロールしているんだ。

子供のときからわたしは何も成長できず、わからないままこの歳になった気がするよ。

わたしはずーっと同じところにいる。

ただ歳を重ねているだけでは、賢くはなれない。

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