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もずくはケチるもんではない

この記事は別のブログに書いていたものを
こちらに移動させたものです。


前回の記事で、皆さん沢山のコメントをありがとうございました。ひとつずつじっくり読ませてもらいました。

しょっぱなの日記からこんな暗くて大丈夫かなとか、こういうことを書くと「ねぇ励まして!よしよしして!」という歪んだ魂胆として受け取られてしまわないだろうかと投稿する前は色々と考えてしまってたんだけど、思いきって今の気持ちを等身大に書いて本当によかった。

「人の心を軽くする」ってすごく難しいこと。

身近な人や大切な人が悩みを打ち明けてくれた時「この人にどうか元気になってほしい」って心の底から思うのに、自分の口から出てくる言葉や方法は何か違うような気がしてしまう。言葉が思いに伴ってない感じ。

それでなんの気休めにもならないことしか伝えられなかったり、大切な人の小さな救いにもなれない無力な自分を歯がゆく思ったり。
そんなことが最近あった。


わたしは、大事な人が今の自分と同じような悩みを抱えていたらこんな風に心を掬いあげる言葉をその人に差し伸べられるだろうか?
人の心の痛みを想像して寄り添って、だけど考えを押し付けたり変わることを強要するわけでもなく、心のこもった言葉が言えるだろうか。

それを、会ったことのない名前も顔も知らないこんなひとりのしがない漫画家に伝えようとしてくれたことが本当にうれしかった。

月並みに聞こえてしまうけど、冷静に、本当にすごいことだなあと思うのです。

たまに読者の方からお手紙をいただいたり、AmazonレビューやGoogleレビューでもそうだけど「素敵!これ好き!」「これおいしい!」って思う出来事があったとして、そこでおしまいじゃなくてキーボードを開いて(あるいはペンを持って)その気持ちを言葉にして送り届けるってことがどれだけハードルが高いことなのか、わたしはよく知っている。

どれだけそのハードルを諦めて、自分の中で完結してしまう思いがこれまでにあったか。


その高いハードルを越えて、前回の記事に寄せてくださった皆さんからの温かいコメントが本当にありがたくて、それを思うとまた泣けました。
本当に本当に、ありがとうございます。


この一年、低浮上の間にも「ああ好きだーー」って思うことがいっぱいあった。
これからはそういうことや日々の些細な楽しかったこと嬉しかったこと(たまに愚痴やら弱音も)そのままに言葉に残していけたらいいな。
どうぞ気が向いたときにゆるっと覗いてくれたらうれしいです。


二日連続でなんだか湿っぽい日記になってしまった。打って変わってめちゃめちゃしょうもないことを書こう。


今日の晩ごはんはコチュジャン肉野菜炒めと、中川政七商店のフリーズドライ味噌汁、玄米ごはんと明太子、もずく酢だった。


こないだスーパーで3パック150円のもずく酢を買ったら、なんか臭いし変な食感だしもずくは少ないしでまったくおいしくなかった。


わたしは健康(便秘改善)のためにもずくを買っているはずなのに、このおいしくないもずくをいやいや食べるストレスの方がよっぽど健康に悪影響を及ぼすのではないか?と思いながら残りの2パックを連日やるせなく消費した。

そして今回いつもの3パック200円のを買ってみたら安定においしく、もずくはケチるもんではないんだなと学んだのであった。



昔石垣島に行った時、生のもずくを卵黄の入っためんつゆにつけてざる蕎麦みたいに食べるメニューがもう衝撃的においしくてあの感動体験が未だ忘れられない。
あれを食べるためだけに石垣島に行く価値があると思うくらいのおいしさだった。

それまでわたしはもずくが少し苦手だったんだけど、あれから好きになったのだ。
本当においしかったな…あともずくの天ぷらも!
食感からして全然違った。また食べたい。


海ぶどうもぷちぷちしゃきしゃきで全然臭みがなくて感動した。あーまた食べたい!
沖縄いきたいな〜。


ではでは。

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