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柄谷行人『世界史の構造』ノート

序説:交換様式論

1.マルクスのヘーゲル批判

現在の資本主義先進国のシステム

資本=ネーション=ステート

資本ーー経済的格差・階級対立を生む

ネーションーー共同性、平等性を志向する観点から、諸矛盾の解決を要求する

ステートーー課税、再分配、諸規制によって課題を果たす

ヘーゲルはこれを『法の哲学』で窮極的な社会形態と捉えた
それを越えるなら『法の哲学』を吟味する必要がある

ネーション=ステートを至上に置くヘーゲルに対して、マルクスは
それは観念的な上部構造であり、資本経済こそが基礎的な下部構造
だと考えた(史的唯物論)

ステートは能動的な主体(ヘーゲル)なのではなく、単に市民によって規定される観念的対象(マルクス)

ここから次のような考え方が出てきた

経済的な構造を変えれば、ステートやネーションは自動的に消滅する

↑ マルクス主義に
・国家社会主義(スターリン主義)
・ナショナル社会主義(ファシズム)
のようなさまざまな躓きを与えた

資本主義を超克する運動は、ステートやネーションを解消せず比類なく強化してしまった

フランクフルト学派のマルクス主義者たちはウェーバー社会学やフロイト精神分析を導入→ネーションやステートの「相対的自立性」を重視

経済的な下部構造の問題を棚上げ
「決定不能性」←ポストモダニズムの源泉

資本性以前の社会

原始社会
ステートがない、経済的構造と政治的構造の区別がない

互酬交換(マルセル・モース)→生産様式ではない、マーシャル・サーリンズは、これは家族的生産様式という過小生産だというが、余剰生産物を蓄積せず贈与するので、互酬交換は必然的に過小生産になる

アジア的生産様式
経済的構造と政治的構造の区別がない

国家装置(軍・官僚・警察機構など)は、経済的な生産関係の上にあるものではない。皇帝・王とそれを支える官僚層と被支配者の政治的関係は、それ自体経済的な関係である。

経済的下部構造=生産様式(人間と自然の関係からくる生産力と人間と人間の関係からくる生産関係)という前提にたつと、このように資本制以前の社会を説明できない。
のみならず、資本制経済さえも説明できない。

資本制経済は、それ自体が観念的上部構造(貨幣と信用に基づく巨大な体系)を持っている

↑ マルクスはこれを説明するために、生産様式ではなく商品交換という次元から『資本論』で考察を始めた。
資本主義的生産様式=資本と労働者の関係は、貨幣と商品の関係(交換様式)を通して組織されたものである。
ゆえに我々は

「生産様式」=経済的下部構造という見方を放棄して、交換様式から出発するべきだ。
交換が経済的な概念なら、すべての交換様式は経済的なものである。
ステートやネーションはそれぞれ異なる交換様式(経済的下部構造)に由来している。区別して、観念的上部構造とみなすのはおかしい。

ステートやネーションを啓蒙によって解消できないのは、交換様式に根ざしているから。

それらは観念的な形態をとるが、それは商品交換に根ざした資本制経済システムでも同じだ。

資本主義システムは物質的ではなく、むしろ信用に基づく観念的であり、だからたえず恐慌(危機)を孕むのだ。

すべて酒とレコードと本に使わせていただきます。