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神戸⇄長浜往還記27

2024.5.25(土・晴れ)
エリアーデ『永遠回帰の神話』読み終える。訳がところどころ日本語になってない。
晩豆腐麺、サラダ、餃子、鶏もも、全部セブンで、これらノンアルで流し込み、風呂につかり、終了。

信仰だけが、唯一、物理を超越するのではないか? と考える。

2024.5.26(日・晴れのちくもり)
昨夜は風呂場で溺死体を見つける夢を何度も見て目覚めた。おまけにひどい咳が続いた。酒を飲まないからこうなるんである。
で、今日部屋でぼさっとしてると、いつもより飛蚊症がひどいということであってくれ、と思ったがそうではなく、やはり目の前を横切ったのは大きな蝿で、壁にぴたりととまった。いちかばちかでティッシュで叩きつぶすことに成功し、トイレに流した。そうか、ベルゼブブ(蝿の王)がおれに昨夜の悪夢を見せたのだ。
いやしかし、とおれは風呂に浸かりながら考えた。一見悪魔の姿をしたものこそ、反対に聖であるということも考えられはしまいか? 知恵の実を与え、楽園という囚われの牢獄からアダムとイヴを連れ出した蛇こそが神だとグノーシス主義では考えられているように。
そんなことをいちいち考えていると、なにもしないままあっというまに寝る時間になる。けっ! なにがベルゼブブじゃ! ここはおれの部屋! 眠りをさまたげる侵入者は蝿だろうが人だろうが溺死体だろうが叩き出すのみ! 「「そうだそうだあ!」」 ほらあ、声たちもそう言ってるじゃない…

豆腐麺、唐揚げ、餃子、ノンアルビール。

2024.5.27(月・雨)
神戸へ。『メメント』観ながら帰ってくる。うーん。

2024.5.28(火・雨)

真舟とわwithヒュードロドンin旧グッゲンハイム邸。起きて、よっしゃライブやから身を清めて、なんて考えるのがそもそもライブを特別な日にしてしまい普段と同じ演奏ができないようにしている原因なのではないか、と思い、普段と同じように、一人で練習しながら酒を飲みついでに爆音でマーヴィン・ゲイ流して踊ったりシャドーしたりする。それでくたくたになった夕方、飯も食わずに塩屋へ向かう。雨の中。ブルトン『秘法十七番』読みながら。まったく意味がわからない。最高。


で、塩屋に着いたはいいがグッゲンハイム邸にたどり着くのがなかなか難しい。山の方から進んだがこれはどうやら遠回り。この階段踏み外したら死ぬな、中島らもみたいに、と思いながらグッゲンハイム邸に着き、先に来られていた高井さん、カナミネさん、山内さんに挨拶。「どこかでお会いしましたか?」と高井さんに言われて、どきっとする。なんとなくこちらもそう感じたのは、後付けの記憶なのだろうか。おそらく初対面なのだが、あちこちでろくでもないことをしてきたので、そういう場面で出くわしてないことを祈るばかり。

リハ前に近所を真舟、西川くんと探検に行く。雨の中。わざわざ。それで、駅前にあった喫茶店に入る。おじいさんがマスターの、入り口は開け放たれていて、壁にマリリン・モンローのポスターがあって、デューク・エリントンかなんかの、スローで優しい夢のようなジャズばかり流れている、時間が停滞した喫茶店。雨の音を聴きながら。真舟と西川の話を聞きながら。椅子に沈み込んでいるとケジャくんが合流。彼が頼んだクリームソーダがまた完璧に夢そのものの美しさで、大変満足したのだった。

「お待たしました、こちら
『イド・自我・超自我の意識モデル』でございます」


それからグッゲンに戻り、辻くんと、ここでどんなバンドを観たいかの話で盛り上がったり、グッゲン二階へ上がり、瀟洒な洋館の極上の美を堪能したりしているうちに出番。
演奏を終えると、何人か話しかけてきてくれて、絶賛してくれた。これがとても嬉しかった。ようやく、ようやく自分の音楽が通用するようになってきたのかもしれない!

一息ついて、今度は床に座り込みながら、暗闇の中、高井さん、カナミネさん、山内さんの演奏を聴く。重力を思い出し、身体が地面に溶けてゆく。空間が膨張する。逆再生のような音、波のように、寄せ、ときに強く打ちつけて砕けちり、波濤、その白い泡の向こう、曽祖父の家の、舞鶴の家の、縁側の揺り椅子、そこに腰かける、庭の方を向いた曽祖父、つまり顔のない老人、いつからああしているのか、ほとんど永遠に近い時間、言葉が意味を脱ぎ捨ててほどけていく、音としての、純粋な音としての言葉が取り戻されて、それが反対におれの中にある遠い遠いもしかすると前世とさえ結びつき、喚起する…

打ち上げ後、見事に終電を流し、タクシーで我が家へ。妻交えて、お疲れ様会をする。それで眠る。神経が立っていてなかなか眠れない。いつもこうだったらいいのに、と思う。もっとわけわからなく、子供のころみたいに、今だけ考えて生きていくためには?

すべて酒とレコードと本に使わせていただきます。