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神戸⇄長浜往還記 21

5月3日(晴)

ゴールデン・ウィークはほとんど夏並の暑さです、猛暑日が続くようです、というようなことを、出先のホテルで毎朝一応つけるテレビを(テレビの話はしないでおこう。きりがないから)見て知った、にしても、とびきりの暑さ。黒いスーツは、さらに太陽の光を集める。
昼、「ひよこ」で混ぜそば食い、無事に四国から関西へ戻ってきた石段氏との計画進め、別れて長浜へ。JRの駅で、来ない電車を待っている時、この暑さにはたしておれは、世界は、耐えられるのだろうか、などと考えた。
窓に映る景色を見ていて、おそろしいことに気づいた、手前は右に進んでいて、奥は左に流れている、つまり上下でちがう運動が行われている、二つの相反する運動、電車は未来に進み、景色は過去に送られている。ということは? 時間はメビウスのように輪になっているはずだ、過去のしっぽを未来がくわえている…

窓ぎわの席はおそろしい暑さだ、でも色濃くなりはじめた太陽が、今は夏蜜柑を思わせる健康的で、はちきれそうな色で輝いていて、照らされた世界は、草木国土悉皆成仏、なんと目に美しいことよ、青い水田と、見るも鮮やかな緑に、ポツンと赤いトラクターが置かれていて、傍に白い帽子の人。その景色に、太陽が暖かいフィルターをかけて、追憶へと、郷愁へと世界を追いやる。

妻と『新古今和歌集』を少しずつ鑑賞している。そのときに、たしかこんな話をした。「感傷 / センチメンタル」は人が景色に対して持つ力で、「郷愁 / ノスタルジー」は景色が人に与える力だと。

おれたちは宇宙からやってきた、はじめは一粒の情報にすぎなかったが、この星にあったものと結びつき、降り注いだ海の底から、ふたたび陸を目指し、もう一度天に帰るため、ただその意志に導かれて、森の奥から、砂漠の蜃気楼の向こうから、揺らめきながら、永遠に死んでは生まれ変わることを繰り返しながら、ここまでやってきた。音楽と共に。ビートと共に。リズムと共に。声と共に。

ドアーズ『L.A. Woman』、昨夜はじめて分かった、理解した、はじめて聴いた時から十五年は経っている。分かればあとは笑うだけだ。どうしてこんな扉が開かなかったんだ?  時間をかけて開く花もある。他人と比べない限り、時間はある。永遠に。完成はない。こちらもまた永遠に。すべてが途中なのだ。なぜならおれたちは進行(当然これは信仰にかかっている、などと野暮なことも書いておく)のまっただ中にいるからだ。道だけがあって、意味はない。日本の景色、どうしてこんなに胸に迫るのか。わたしは世界を愛している。ときどきは。


こんなに他人の目がない無欲な演奏を、いつか成し遂げてみたい。仙界のロック。

すべて酒とレコードと本に使わせていただきます。