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いくつになっても「私がドキドキした」を大事にしていける人生がいい

*音楽以外のところで最近考えたことを言語化します
*注、長い。そして自己満文章過ぎて雑い。

2021年、今年も変わらず平凡なOLやってるけど、色んな出会いがあって、たくさんドキドキしている。
そして私は、その「ドキドキする」感覚がたまらなく好きだし、いつまで経っても、それを大事にできるような人生がいい。そう思った。

将来を見ることを放棄していた。目の前のことに本気で向き合うことで作った今日という「点」を後から振り返ったら「線」になっていた、という人生がいいと思っていた。だから、先を将来のことなんて考えたって仕方ない、それよりも、目の前のことを。そう思って、生きてた。もちろん、それが間違ってるなんて思ってないし、これを書いてる今も、その考え方から離れたわけじゃない。少し変わったけど、根底にはこの考え方がある。

基本的に、私、楽しく生きてると思う。毎日一度は「幸せだな」って感じる瞬間がある。
冷静になると、しょっちゅうクレーマーに噛みつかれる仕事、なのに薄給、頼るにはイチイチ勇気が必要な職場の人間関係、それを癒してくれる恋人もいないし、家族とも離れて一人暮らしで、仕事後頑張って作ったご飯もひとりで食べてる…って、楽しくないことを挙げたらキリがないけど。
だけど、そんなのを許せてしまうくらい楽しくて幸せな瞬間へのアンテナが高いし、小さな幸せを噛み締められるタイプだから、日々楽しく生きてる。朝の挽きたてコーヒーの匂いとか、レースのスカートの映った影が綺麗とか、ご飯が美味しく作れたとか、近くの家の澄んだ風鈴の音とか。
毎晩、寝る前に日記を書いて、「なんだかんだ今日も楽しかったなぁ」って、そう思えてる日々。

だから、私、人生に満足してた。小さな日常の中で、小さな幸せを見つけることに。目の前のことだけに向き合う日々に。
でも満足してしまってるから、その先はない。なんとなく、それは感じていたけど、気付かないふりをしてた。

そんな中、2021年、本当にたくさんの出会いがあって、その中でもたくさん考えるきっかけになった出会いが2つあった。

一つは、商店街のお店をリノベーションして、地域の商い人が繋がる拠点…として運営しているお店。
行くたびいろんな出会いがある。表札のクリエイターさん。コーヒー屋さん。はんこデザイナー。挙げたらキリがない。俗に言う「サラリーマン」ではないたくさんの素敵な人たちに出会った。楽しそうに話すこと、それがみんなに共通してた。好きなことを仕事にしたり、表現している人たち。
そんな人たちと出会って、話して、私は「好きなことを全力でやってる人たちが好き」だと気付いた。そしてあとひとつ。人との出会いには、たくさんのドキドキが詰まっている。話すたび、この人が見た世界、私も知りたい見てみたいって、視野が急激に広がる感覚がした。

もう一つは、研修で知り合ったお兄さん。
歳はそんなに変わらないけど、やけに生き急いでて、私の知らない世界をたくさん知っていた。
彼から聞かれた「お金も時間も、全部自由だったら、何がしたい?」という質問に、私は何も答えられなかった。「音楽、ゆっくり、聞く」絞り出した答えがそれだった。
だってお金もないけど、時間もないけど、私、幸せなんだもの。だから、全然考えてこなかった。お金と時間が無限にあったら、なんて。
彼は同じ業種で、同じくサラリーマンで。だけどいろんな世界を知っていて、そしてそれらみんな自分の努力や経験で知った世界だった。似た道にいるはずだけど、圧倒的に先にいる。目視はできてるけど手が届かない。そんな彼と話していると、私ももっと色んなことを考えたい。彼のように努力をしたら、私ももしかしてもっと幸せになれるんじゃないの?と思えた。
彼は一瞬で憧れの人になった。そして、考える、変わる努力をする、きっかけになった。

そんな出会いをきっかけに。人から聞いた色んな考えをメモして、まとめて、私、いったいこれからどうやって生きていきたいんだろう?って考えてみた。

私は。
いくつになっても、「私がドキドキした」を大事にしていける人生がいい。

そういう、結論に至った。

目についたドキドキにいつでも飛び込んでいける人生がいい。技術力がないとか、語学力がないとか、お金がないとか、そういった要因でドキドキをストップさせない。いつだって「私がドキドキした」って事実を起因にして、やることを選び続けられる人生にしたいんだ。

正直これも、「どんな人になりたい」「どんな最後を迎えたい」「何歳でどんなことをしたい」みたいな、明確な指標じゃない。
「目標」やそれに向けた「道筋」は、「線」は定まっていない。
でも、考えてるうちに気づいたことなのだけど、
私、過程が好き。結果がついて来なくたっていい。
努力したり、手をかけてみたり、興味を持って調べてみたり。過程にはいつでも、何かを変えようと思う動機が、ドキドキが、詰まってるから。
だからいい。
相変わらず、未来に向けた「線」は引けなくたっていい。答えが出なくっていい。何も成し遂げられなくたって、別にいい。
目の前のドキドキする「点」を並べて、いつ振り返っても、ドキドキの点が並んでできてる、それが「線」だった、で、いいんだ。

こう書くと結局目の前のことしか見ていない、ようにも思えるけど、でも圧倒的に違う。

いつかの未来、「ドキドキしてるのに、技術力がないから諦めなきゃいけない」「ドキドキしてるのに、お金がないから諦めなきゃいかない」なんてことが起きないよう、勉強しよう。将来に向けて資産をつくろう。そんな風に考えている。

未来にも目を向けつつ、でも目の前のドキドキは見落とさない。そんな贅沢な気持ちを詰め込むと、

いくつになっても、「私がドキドキした」を大事にしていける人生がいい。

って言葉になった。道筋ではない。目標でもない。でも、これが、私の人生の道標。

考えてるうちに、急にもっと生きたくなった。もっともっと、幸せになりたくなった。欲深くなった。あれもやりたい。それも欲しい。もっと知りたい。
そして、もっともっとドキドキしたいよ。

まとまらないけど、最近の考えてることと人生の道標の記録でした。
いつか読み返して、きっとまた人生について考えるきっかけになればいいなって。

最後に少しだけ音楽の話。

落ちてく過去は鮮明で
見せたい未来は繊細で
すぎてく日々には鈍感な君へ

最近胸を抉られた曲。
上に記したフレーズが大好きなのだけど、でも、私は、いつまでも過ぎてく日々にも感度が高過ぎる私でいたいな、なんて思ったりしたのでした。

おわり。

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