母のランドセル

私の母は、昭和15年12月生まれ。材木製材業を営む商家に生まれました。兄弟に女の子は一人なので大事に育てられたそうです。
昭和20年8月。太平洋戦争が終わり世の中が大きく変わります。様々な物資が足りない中、人々は支えあい、助け合いながら迎える昭和21年、22年。
国策で農地改革などもあり、広い土地を管理する商家であった祖父母はその多くの土地を接収され、厳しい時代だったのではないでしょうか。

昭和22年4月、母は小学校入学を迎えます。新入生と言ってもランドセルを持っている子はほとんどいなかったそうで肩掛け雑嚢を新調するだけでも恵まれている雰囲気だったと聞きました。
そんな中 小学校入学に際し、私の祖母(母の母)は革の鞄を用意したそうです。何処からどう工面したのか、革ランドセルのかぶせの蓋にはバラの花が刻印されていたのだそうです。親の愛情に対する感謝と、他の子どもたちと違い過ぎることに気恥ずかしさやバツの悪さを感じた事を、母が私に話してくれました。
私の頭の中には、お母さんが苦労して手に入れてくれたバラの模様の革鞄を恥ずかしそうに背負う小学生の母の姿が浮かびました。
母は多くは語りませんでしたが、やっかみも多かったでしょう。田舎の事だから楽しい良い事ばかりではなかったと思います。
愛されて育つ。恵まれて育つ。恵まれた故に心の中に生まれる何か、子供なりに感じる責任というか負担というか。
同じようなものを私も感じて育った気がしています。そのせいか、小学生の母が本当にいとおしく感じてたまりません。

母は私が25歳の時に急逝しました。もっといろんな話をすればよかった、と淡い後悔があります。
これまでにどんな出来事があったか、その時どう思ったか、誰に何を言われたか、その時どう返事したか…教えてほしかったなあ。
娘と息子が成長した今、母が子供を育てながら何を考えていたか、「そうそう!あるある」と笑ってみたかったなあ、そう思うのです。

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